大谷の通訳問題

この事件は、そもそもギャンブルというものを「合法」化していこうとしている連中の毀誉褒貶が激しいという印象があるわけだ。
まず、日本でも今、大阪の万博跡地に巨大カジノの建設が、日本維新の会によって、たくらまれている。さかんに、アメリカの多くの州で、ギャンブルは合法だと繰り返されたわけだが、ギャンブルがなにをもたらすのかは自明なわけだ。
しかし、そもそもとして、水原が行った賭け事の胴元のボーヤーは、合法の州で業者として正規に登録されたライセンスをもっていない。つまり、たとえ合法の州だったとしても、正規に登録された胴元じゃないんだから、そいつを胴元として賭け事を行えば

  • 違法

なのだ。次に、ボーヤーによる水原の賭け事は「信用貸し」で行っている。しかし、この賭け事の方法は、たとえ合法の州だったとしても

  • 違法

だ。つまり、水原の賭け事の方法は、たとえ、合法の州だったとしても「違法」な方法で行われていたわけで、水原が行った賭け事が、どの州で行われていたかに関係なく「違法」なわけ。
つまり、水原や大谷がどこに住んでいたのかと、水原の賭け事の「違法」性は関係ないわけ。
あと、この話の一連の議論で気になったのが、最初、大谷が会見を行ったとき、それを「盗み」と言ったことだろう。つまり、窃盗なのか横領なのかが議論されていた。大谷は水原と「仕事の契約」をしていて、その中に、口座の管理があったなら、大谷が水原に「任せて」いた仕事の中で「口座からの引き出し」をやった、ということになったわけだ。しかし、アメリカの捜査側から発信された内容では、水原が銀行に自分が大谷だと偽って、メールなどの連絡先を大谷から自分に勝手に変えていたといったことなどが言われているわけで、これを向こうでは

  • 銀行詐欺罪

という、かなりの重罪ということで検挙が進んでいる、ということらしい。銀行はこの社会の信用の基盤をなしているインフラだから、この銀行業務を「詐欺」によって騙す行為は、この社会への「敵対行為」だとして、重罪とされている、ということらしい。
この事件は、さまざまな登場人物がいる。整理すると、

  • 大谷 ... 被害者。大谷の銀行の口座に預金していたお金を水谷に盗まれた。ただし、大谷は水原を通訳や身の回りの細かいことをやってもらう関係で一部で雇用関係にもなっている。水原に盗まれた金額は億を超える金額で世間的には、とんでもない大金だが、大谷の生涯の全収入の中では、「相対的」には、そこまで困る金額ではないのかもしれない。
  • 水原 ... 加害者。大谷の銀行の口座に預金していたお金を盗んだ。大谷がエンジェルス時代に球団から支払われた報酬に相当する金額を全部盗んだと言われている。
  • 胴元ボウヤー ... 水原に違法の賭けの金額を貸しこんだ。
  • 代理人バレロ ... 本来なら、大谷の財産の管理を任されている立場。そもそも、バレロのチーム内に日本語を話せる人間がいない。ずっと、水原とだけ話していた、という鬼畜の所業を行っていたとされている。昔、大谷が仮想通貨でミスをしたときも、バレロが関わっているし、今は大谷にバレロの不動産ビジネスに出資させている。
  • 銀行 ... 大谷のお金を借りていた。あっさり、水原に騙されて、大谷の財産を水原に盗まれるままにしていた、最低の存在。

こうやって眺めると、おそらく最も重大な問題は以下の二つではないかと考える。

  • 水原という「存在」の日本のイメージに与える悪影響 ... 一般的に、日本人は礼儀正しく「良い」人だと見られている。財布を落としても、わざわざ走って返しに来てくれる人たち、と。しかし、今回の水原という「鬼畜」の所業によって、実は日本人は心の底では悪いことを考えているんじゃないのか、というふうに警戒されるようになってしまった。
  • アメリカ社会が、この社会に大量に潜伏している「水原」レベルの鬼畜によって社会インフラの存亡の危機にさらされている ... アメリカ社会は、そもそもの存亡基盤が脆弱だったことがばれてしまった。銀行は、大谷の財産を守れない。つまり、富裕層はアメリカに住んではいけない、ということを意味している。

おそらく、一つだけはっきりしていることは、大谷の代理人バレロは根本的な組織の再編を強いられる、ということだろう。 彼は完全に「ヘタ」をふんだ。もう、新しい顧客に振り向いてもらえないくらいに、絶対にあってはならない大失敗をおかした。どうあがいても、信頼回復は不可能なくらいの失敗をおかした。大事なポイントは、「チーム大谷」の再編に、バレロが今後関われるかどうかに関係なく、「チーム大谷」は根本的な大改革を必要としている。今のまま放置されるなら、大谷はこの社会の最大規模の「穴」として、アメリカに避けているクレバスとして、アメリカ社会を危機におとしいれる...。

追記:
当り前だが、大谷が球団から給料として振り込まれる銀行口座を「一度も照会したことがなかった」としても、銀行は大谷の財産を守らなければならない。これができなければ、「銀行の過失」となる。
しかし、他方において、大谷の口座開設時に、まだアメリカに慣れていなかったこともあって水原に手伝ってもらったことが、そのときのさまざなまな情報を水原が銀行をだますときに使われたことも、大きく影響しただろう。
そもそも、水原の悪事がばれる直前まで大谷は水原とフレンドリーに仕事をしていたわけで、このこと自体に大谷の「管理責任」を問うべきという議論は止むことはないだろう。
他方において、それを大谷の「責任」と言うことのナイーブさも忘れてはいけない。大谷は大リーグで勝負をしている立場なのであって、シーズンが忙しいにきまっているわけだ。そうであれば、管理人のバレロが「チーム大谷」を組織して、徹底したセキュリティを用意しなければいけなかった。しかし、完全にこのバレロはその業務を怠った。これが、アメリカ品質だ。あまりにも、仕事ができず、レベルが低い。バレロの場合は、水原との共謀を疑われてもしょうがないくらいの、責務怠慢が言われている。まあ、大谷はアメリカでも最大クラスの大金持ちだ。バレロだけじゃない。さまざまな、大谷の財産を狙った「鬼畜」が彼の回りに集まってくる。バレロにしてみれば、大谷を「かも」にして、ひと儲けすることしか考えていない、金の亡者なわけだ...。

「葬送のフリーレン」のユーベル

アニメ「葬送のフリーレン」は、先期で終わったわけだが、2期に渡って放映された、その2期目は一級魔法使い試験編だった。しかし、この試験編は漫画読者の間でも、賛否両論だった。その理由は、ここだけ、

  • 意図

がよく分からない内容だったからだ。当り前だが、この一級魔法使い試験には、多くの魔法使いが受験した。そして、作者はその中でも、最終的に「合格」となることになる魔法使いを中心として、その活躍を詳細に記述した。この物語はフリーレンの物語だったはずなのに、なぜ、たんに試験の受験者を、ここまで心理描写を含めて、詳細に描写したのかがよく分からなかったのだ。
そして、その中でも、ひときわ、異才を放っていたのが

  • ユーベル

だった。ユーベルの作品内での最初の登場シーンはとても印象的なものだった。その場面は、その土地で海賊行為のようなことを繰り返していたヤクザの下っ端の連中にからまれていた場面だった。そこに現れたのが、以前にフリーレンたちと行動を共にしたこともあった、フリーレンと同じ、長い年月を生きているクラフトだった。クラフトは、そのヤクザの下っ端のような連中を格闘技で返り討ちにして、追い返したわけだが、彼はそのとき、ユーベルの

  • 本質

を見抜いていた。つまり、ユーベルはそもそも、そういった連中を魔法によって殺すことを、なんとも思っていなかったし、実際に今まで生きてきた中で、そうやって彼女に殺された、たくさんの人がいたことを匂わせる内容だった。
ユーベルは最近の言葉で説明するなら、「サイコパス」が一番、ふさわしいだろう。彼女の常に、その目元に漂わせる

  • 三白眼(さんぱくがん)

は、彼女のある種の「本質」を表しているわけだが、他方において、クラフトはそうは言いながら、最後に、彼女の「今後」について、少し予言的な、含みをもたせるような言葉を残して去っていった。
ユーベルの「謎」は、実際に一級魔法使い試験において、説明されることになった。
彼女には姉がいた。彼女は小さい頃、いつも姉と一緒にいた。姉は裁縫の仕事をしていたのだろうか、彼女に着るものの仕立ての仕事の場面を見せていた。ユーベルはいつも、彼女の姉が、

  • ハサミ

を「シャーッ」とさせて、服の生地を裁断していくのを見ながら、その光景に見惚れていた。彼女の魔法の「起源」はそこにあった。ユーベルは、彼女が

  • イメージ

できる範囲で、「なんでも切れる」という魔法をもっていた。この魔法の「根源的」な恐しさは、そもそものその相手が「それがなんなのか」というレベルで、

  • そもそも、なにものによっても切れない

という「知識」レベルでは誰でも知っていることだったとしても、ユーベルの魔法にとって、それは関係なかった。ユーベルの魔法にとって、唯一意味のある基準は「ユーベルが切れるとイメージできるか」だけだった。彼女が切れると「イメージ」できれば、実際に<それ>は切れた。
最終的にユーベルは、一級試験に合格する。しかし、第3次試験で合格を言い渡すゼーリエは、その「理由」を言わなかった。ゼーリエがユーベルを合格させた理由は自明かもしれない。なぜなら、ゼーリエは「強い」「戦士」を絶対の基準としていたから。
しかし、他方において、

  • なぜ作者は、このユーベルの「物語」をここまで詳細に描いたのか?

については説明していない。なぜ、彼女をここまで細かく描写したのか? 実は、この点については、原作の週刊少年サンデーの連載の方では、つい最近、ユーベルが再登場していることが一つのヒントになっているのかもしれない。今のところ、まだよく分からない役割だが、少なくとも言えるのは、クラフトが彼女の「今後」に含みをもたせるような言い方だったように、作者は彼女を、「たんなるサイコパス」といった描写だけで終わらせるために登場させたのではないだろう、ということだけは言えるのだろう...。