フェイトはいつからこんな人気作品になったのか?

ここのところの、NGT48の件は、そもそもの「アイドル・ビジネス」の終焉が見えてきた事件であることに、当事者たちが今だに気付いていない、ということが恐しいわけであろう。
ここのところ、5CHは、その話題のスレッドばっかりであるが、これは具体的な事実がなんなのかの問題なんかじゃない。そんなレベルをはるかに超えて、そもそも「アイドル」というビジネスモデルを、これ以上継続できるのかが問われている、ということを分かっていない。
まず、どういった関係であれ、ファンが好きなアイドルの「住所」を調べて、押しかけるだけじゃない。その近辺に住居をかまえて、いつでも、相手を「掴まえ」られるような「距離関係」でい続けることを、まるで「当たり前」のこととして、行動をし始めたら、まあ、普通はそれを

  • ストーカー

と言うよな。つまり、そういったストーカーが発生する限り、アイドルだろうが、どんな職業だろうが、その「存在」を認めることを「前提」とした、どのような「活動」もありえないのではないか?
ところで、話題は変わるが、映画館でアニメ「Fate/stay night」を見てきたわけだが、これを見たと言っていいのかはよく分からない。というのは、最後の一席が空いていたので、それにしたら、最前列の端っこで、まあ、ようするに、まともに映画を見られる角度じゃなかった、というわけで、そもそも、こんな席を売り物にしていること自体を、映画館としてどうなのか、と問いつめたい気持ちにもなったのだが、まあ、それでもいいと買った側が、どうのこうのと言うような筋合いじゃないのだが。
ようするに、ここで言いたかったのは、なんでフェイトって、こんな

  • 人気作品

に、いつのまにか、なっちゃったんだろう、というのが、よく分からないのだ。もちろん、エロゲ作品として、登場してから、ゲーム版はいろいろ、新しい展開はあるのだろう。けっこう前の、テレビアニメ版を、ひとまず、セイバールートだとするなら、たしか、劇場アニメ版で、遠坂ルートがあって、今回のは桜ルートってことになるのだろうが、これ、そんなにおもしろいストーリーか? と、素朴に思ってしまうのだが。
というか、そもそも、こんなにお客が入るようなコンテンツだったのかな、と。いつから、こんな「人気」コンテンツに変貌したのかな、と。まあ、そう言ってしまえば、以前から、コアな人気はあったとか、そういう話になっていくんだろうが。うーん。そういうことなのかな。
おそらく、映画館の観客の、かなりの層が、韓国語や中国語を話していたように思えたので、どうも、そっち方面での、なんらかの「評価」が関係しているのか、と、ひとまず憶測しているわけだが(まあ、ある意味で、この話は、出るところに出れば、言い尽されたネタなんだろうな、と思いながら)、まあ、いいや...。

「毒」社会

日本において、#MeToo 運動の盛り上がりに寄与したと考えられる、フリージャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者でジャーナリストの山口敬之にレイプされた事件は、山口が「不起訴」となったことで、山口が、安倍首相の伝記を書き、何度も当時のワイドショーで、「よいしょ」発言をしていたこととも関係して、この事件が

  • 安倍首相「案件」

として、上からの圧力でもみ消されたのではないのか、として、この事件の経緯の「悪質性」が、まさに #MeToo 運動との関連において、世界中で注目されたわけであるが、私が興味深く思ったのは、この山口という鬼畜が行った

  • デートレイプドラッグ

という手法であった。もちろん、こういった手法は、近年においては、むしろ「ありふれた」ものとして受け取られているわけで、特に、高学歴エリートたちが、食事に薬をすべりこませる、という手法を、まるで

  • ツイッターにおける「カジュアルブロック」のように)「カジュアル」に混ぜやがる

その手際に、あまりにもの「普通さ」に、多くの人々が、その「エリート」の

っぷりに戦慄している。
よく考えてみてほしい。今や、世界は「絆(きずな)」社会である。困っている人がいたら助けよう。しかし、そういった「善人」は、サイコパスにとって、恰好の「餌食(えじき)」である。私は「イジメ」られたくない。では、子どもが、学校を卒業するまで、

  • イジメられない

ための、最善の方法はなんだろう? 言うまでもない。クラス全員の「精神」を支配することだ。自分以外の、全てのクラスメートが「イジメをできなく」すればいい。ようするに、自分以外のクラスの全員を

  • 薬漬け

にすればいい。みんな、頭をボーッとさせて、自分に「イジメ」の矛先を向けることを、思い付かせなければいい。しかし、子どもにとって、自分が卒業まで、「イジメられない」ということは、自分が成績上位で、この学校を卒業するための、最低条件なのではないか? 功利主義的に、自分が「イジメられない」ことと、クラスの全員を薬漬けにすることと比べて、なぜ前者が軽視されなければならないのか。
私たちの人生は、私が「幸せ」になるための人生である。そうであるためなら、なぜ世界中を「不幸」にすることを、ためらうだろう。悪の倫理学である、功利主義は、私に「ドラッグ」の、

を自覚させる。社会学者の宮台先生は、最近の「最先端の研究」において、

  • 福祉削減=公共善

となっていると、ぶち上げた。そもそも、宮台は、90年代の、ブルセラ女子高生を「自己決定権」の「自己責任」で、シバキ上げ新自由主義を名目に、正当化した、典型的な

  • 御用学者

なわけであろう。というか、本人自身が、社会学という学問そものもが、マックス・ヴェーバーに象徴されるように

  • 国家学(=国家擁護学)

そのものであることを自認していたわけで、最近の古市・落合対談における、延命治療廃止論も、もろ、そのもの、宮台の言っている

  • 福祉削減=公共善

のレトリックそのものなわけで、とにかく、この辺りに、うごめいている「緊縮厨」たちの、

  • 日本の滅びを止めるもの=緊縮

という、なんとしても。消費税を35%まで上げて、プチ・ブルジョア小金持ち連中への「増税」を避けて、自分たちの今の安穏とした「富裕階級」っぷりを、日本の大衆階級から

  • 守りたい

という「執念」が伝わってくる(まあ、私がここで言っている連中とは、橋爪大三郎大澤真幸宮台真司、あと、東浩紀先生を含めるか、といった失われた10年の頃から、一方で、新自由主義的なシバキ主義を標榜して大衆の「福祉削減」を当たり前のことのように言祝ぎながらw、他方で、当たり前のように、消費税増税と、金持ち減税を「セット」で、主張しくさる、腐った連中のことなわけですがw)。
さて。ここで、掲題のタイトルが示しているような「毒社会」に、<ふさわしい>日本の現象を列挙してみよう:

  1. デートレイプドラッグ
  2. 近所のノラ猫などの動物の虐待・虐殺
  3. 放火魔(去年埼玉で連続に起き、ワイドショーで話題になっていた)
  4. 新宿駅で見られた、女性ばかりを狙ってぶつかってくる鬼畜

ところで、今期、なぜか分からないが98年に初版が出版され、話題になった『ブギーポップは笑わない』がアニメ化されている。まだ、第一巻の途中であるが、そのラノベにおいても、「ドラッグ」が重要な役割を果たす。

麻薬をやってた、なんてことが知られたら京子はおしまいだ。停学じゃすまない。他の生徒への示しとして退学処分を受けるだろう。それはやっぱり、わたしはさせたくない。

なぜ、ドラッグ汚染は止まらないのか。それは、人々が「絆社会」を生きているからだ。友だちがドラッグをやっているところを見たからといって、それを学校に報告しなければならないと思わない。なぜなら、「その程度」で、人生を棒にふってしまうことは「かわいそう」だからだ。つまり、ドラッグは私たちの「優しさ」が、その拡大をもたらす。

彼はドリンクを皆におごった。運んできた店員の手から彼が受け取り、そしてみんなに配った。
草津秋子の手にも渡した。渡す前に、直径五ミリほどの小さな錠剤をカップに落としたのを見た者は誰もいなかった。錠剤は百合原美奈子が "合成" した物で、彼女の言うとおりにそれは速やかにダイエットコークに溶け込み、草津秋子に存在を気づかれることはなかった。
ブギーポップは笑わない (電撃文庫)

そもそも犯罪とは、「エリート」が行うものである。それは、上記の山口が「デートレイプドラッグ」を行うように、そもそも、頭の悪い大衆には難しいわけである。犯罪は、「エリート」が大衆を支配する

  • 手段

としてあみだされる(そういう意味で、公共政策と犯罪は似ているw)。まさに、「そのため」にエリート進学校の子どもたちは、朝から晩まで、勉強をさせられて、東大に入るまでそこから抜け出せないわけである...。