2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

非人間性の人間性

ここで、あらためて、 少女不十分 (講談社ノベルス)作者: 西尾維新,碧風羽出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/09/07メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 16人 クリック: 469回この商品を含むブログ (126件) を見る について考えてみたい。よく考えると…

西尾維新『少女不十分』

久しぶりに、西尾維新の小説を読んだのだが、うーん(まあ、これを読んだ、この人の読者はみんな同じように、考えこまされただろうが)。 この小説を書くのに、10年かかった、という言葉が何回か出てくるが、そういう意味では、彼の作品の一つの橋頭堡にな…

原発推進「逆ギレ」派

例えば、どういった時に人は 怒る のかを考えてみよう。あいかわらず、インターネットには「怒っている」人で、あふれかえっている。怒る、とは、どういった行為なのだろう。 もちろん、このように言ったときに、私は親が子供をしかることを問題にしているわ…

古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』

よく考えることは、つまり、リバタリアンのことだ。彼らは、どういった社会を理想としているのか。例えば、日本の保守派には、英米的な自由主義、つまり、近年で言えば、ネオリベ的な新自由主義に親和的な人たちが、それなりの勢力を占めてきたような印象を…

私的「リア充」論

巷では、リア充なる言葉が、ろくな定義もされず、人それぞれの都合で使われている。一般には、アキバ事件を起こした、加藤だったかなんだっかが、ネットの掲示板に、いろいろ書きこんだそのルサンチマンが、いかにもリア充を dis ってると認識されたようで、…

仲正昌樹『いまこそハイエクに学べ』

ハイエクといえば、保守派の御本尊のような扱いで、ミルトン・フリードマンのネタ元みたいなイメージだが、実際のハイエクが何を言っていたのかを、彼の全集「全体」から見えてくるような、その主張の全貌をあぶりだしていくのが、掲題の本であるようだ。 た…

第二のクーデター

日本で原発推進の維持を、「くわだてる」連中がしきりに話をそらす重要な事実が、昨日、今日と長谷川幸洋さんによって報じられている。まさに、 第二のクーデター と言っていいだろう。管総理がなぜ、やめろやめろの大合唱になったのかと同じように、鉢呂経…

トーマス・フリードマン『フラット化する世界』

なぜ、戦後の日本は先進国になれたのか。それは、戦後すぐから始まる冷戦体制による、偶然だったのだろうか。日本の戦後の復興とは、アメリカへの工業製品輸出によるものだったと言えるだろうか。その場合には、なにが成功の鍵を握るだろう。 日本からアメリ…

ゴードン・ベル『ライフログのすすめ』

ライフログという考えについて、真剣に考えたことがある人はどれくらいいるだろうか。 人間には感覚といわれる器官がある。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。もちろん、人間の体内においては、そういったものとは一見無関係に、言わば、自律的に活動している器…

仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉』

あいかわらず、日本の言論は 偽善 を告発するものに満ちている。どうも、学歴が高ければ高いほど、他人の「偽善」を告発することで、なにか「知的」なことを言った気分になれるようだ。 佐伯はかつて、かつてべ平連に対して感じた「気分」として次のように述…

「ばらばら」という言葉

楽しみにしていた「思想地図」の最新刊は、前回とは、まったく趣を異にした、まさに、緊急増刊号という体裁になっていて、内容も、まさに、ここ半年の、ほとんど感覚としては、ずっと続いていたように思える、 余震 の揺れのように、絶えず、この身を振るわ…

万世一系?

私は、そもそも、(天皇制の話でよく言われる)「万世一系」というのが、よく分からなかった。ようするに、あんたがいれば、あんたの親(この場合、父親)がいるよね、って話らしい。だから、一系、だと。 つまり、それって、普通の人間じゃん、と思うのだが…

マッケンジー・ワーク『ハッカー宣言』

私には、311以降に、いわゆる世間で「経済学」なるものを自らのバックボーンにしている人たちが、「さらした」醜態は、一体なんだったのかな、という気持ちが強い。 彼らは、さまざまな屁理屈を並べた後、結局のところ今は原発を動かすことが「経済合理的…

構造主義的ジャーナリズム論

ネットではないマスコミで、原発問題が、安全厨と危険厨に完全に国民を二分した、あの311以降のネットの状況について分析したものを、寡聞にして私は知らない。 つまり、ああいった完全に「党派」が分かれてしまうというのは、これだけソーシャルネットが…

福島の子供たちによる「子供宣言」

原発問題がやっかいなのは、その放射能という現象が、日本の戦後の出発点において、重要な意味をもってしまったがために、どこかダブー視されているところにあることではないだろうか。 放射能に対する態度は、広島長崎の原爆反対運動や平和運動とも関係し、…