2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

原発とリバタリアニズム

いつの時代も、パターナリズムに耐えられないと思う人はいるのではないだろうか。 自分の子供を義務教育に通わせたくないと思っている人。 福島第一の半径20キロ圏内に住みたい人。 法律で禁止されている、放射性物資に汚染されている、食糧を食べたい人。…

第二の国家

よく考えてみると、なぜ、国家は複数存在しないのかは、不思議だ。つまり、日本列島になぜ、一つの国家しかないのか。 それは、沖縄やアイヌは民族が違うのだから独立すべきだ、とか、会津などの東北は、明治維新で、対立したのだから、独立したっていい、と…

日本人はなんのために生きているのか?

今週の、videonews.com は、デンパクということで、大変に興味深いものがあった。 日本の広告代理店の世界において、恐しいまでの、圧倒的な規模を誇る電通は、二位の博報堂の倍近くに迫る。 しかし、普通に考えて、それは、あまりにも大きすぎないだろうか…

原発一般意志2.0

株式や保険の世界では、よく、ポジション・トークということが言われる。この場合、その発言をする、著名な市場関係者は、あくまでも、「予測」であるので、「風説の流布」のように「嘘」と区別されます。 しかし、この事態を、「利益相反」ということから考…

照井一成「相互作用としての計算」

アリスという人が、ボブという人と、「対話」をしたいと考えたとする。しかし、直接、フェイスツーフェイスで会うことは、忙しい現代人には、難しい(体を二つに分けて、別の場所に同時に存在することはできない)。しかし、 通信 を使うことによって、この…

リチャード・セイラー『実践行動経済学』

(キャス・サンスティーンとの共著。) ある人Aが、別のある人Bに、なにかをしてあげる(行為C)、とする。この場合に、ある人Aが、その行為Cを、 なんの見返りも期待せず、純粋に、「ある人Bのため」を思って、行った と判断できる場合に、「パターナ…

日本最大の謎

時々、日本人にとっての究極の「謎」ってなにかな、と考えることがあるが、それは間違いなく、明治維新になるのではないか。 なぜ、江戸幕府は崩壊したのか。いや。崩壊するのはいいのである。なぜ、それが、ほとんど「抵抗」もなく、レジームチェンジを受け…

與那覇潤『「日本史」の終わり』

(池田信夫との対談。) 私たちは「なぜ」と問うことに、疑問をもっていない。しかし、「なぜ」と問うた時点で、それは、歴史を語ることになる。 それは、つまり、未来に対して、現在と過去は、まったく別のカテゴリーだということである。つまり、現在と過…

文化の隔世遺伝

柄谷さんは、一時期、よく「他者」という言葉を使った。その多くは、文芸批評の文脈であったように思うが、普通に考えると、この言葉は、ちょっとロマンティックに聞こえる。つまり、ちょっと、神秘的な印象を受ける。 なにか、よく分からない存在、自分が出…

女性の「偶像視」への、ある疑問

私は、ときどき、男性の女性を、「偶像視」する姿勢に疑問をもつことがある。 もちろん、男と女から、次の世代が生まれるわけであるし、家族とは、そういうものなのだから、「そうであってほしい」と思うことは、普通なのだろう。 しかし、言うまでもなく、…

ETV特集「永山則夫 100時間の告白」

NHK教育での、ETV特集についての、永山則夫のインタビューは、非常に興味深いものであった。 逮捕され、精神鑑定書を作ることになり、その医師の方は、当時としては、とても独特の手法を行う。つまり、「彼の言葉」によって、自らを語らせる中に、その真実を…

市民と国民

以下のサイトを見ると、なるほど、市民と国民と人民には、いろいろな分類があるんだな、ということが分かる。 では、ここで、カール・シュミットにとって、市民と国民とは、なんだったのか、を考えてみたい。 市民とは、古代ギリシアにおける、アテネ市民と…

中二病ルネッサンス

京アニの最新作のアニメ「中二病でも恋がしたい!」の第一回を見て、私は考えさせられてしまった。 いつも思うが、京アニが描く学校の風景は、どこか、田舎だ。田舎というのは、なんというか、一言で言うと、 なにもない。 いや。正確に言えば、なにもないわ…

高橋秀実『「弱くても勝てます」』

私もこうやって、ただの、アラフォーの、おっさんになってみて思うことは、子供の頃、自分がどうだったのか、そのころ何を考えていたのか、ということが、実際のところ、その多くは、今になってみると、どうでもよかったな、という感じであろうか。 正直、こ…

古賀敬太『シュミット・ルネッサンス』

カール・シュミットが、国家のカテゴリーを「敵味方概念」に求めたことは、今さら言うまでもないことであるが、しかし、考えてみると、このことは、ある種のパラドックスになっている。 というのは、もし国家が「敵味方」のカテゴリーによって定義されるなら…

否定

論理学で、「否定」というプレフィックスがある。つまり、「なになにではない」という言い方であるが、よく考えてみると。否定というのは不思議だ。なぜなら、なぜ否定というプレフィックスを使うのかが不思議なのだ。 もし、ある人が、なにかを伝えたいなら…

渡辺幹雄『リチャード・ローティ=ポストモダンの魔術師』

リチャード・ローティの、Wikipedia の項目を見ると、以下のように書かれている。 プラグマティズムの立場から近代哲学の再検討を通じて「哲学の終焉」を論じた。 プラグマティズムの代表者ジョン・デューイや、トーマス・クーン、ルートヴィヒ・ウィトゲン…