2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

水野和夫『資本主義という謎』

(大澤真幸との対談。) もし、ある人が、自給自足の生活をしていたとき、その人にとって、「不安」とは、なんのことだと思うだろうか? もしも、本当に自活が「できている」なら、そういう人が「不安」とは、逆に、意味が分からないのではないだろうか? こ…

島薗進『つくられた放射線「安全」論』

戦後の日本のガバナンスがアメリカの「占領」政策から始まったことには、日本における、さまざまなシステムの「正統性」が曖昧に「存在」していることを結果しているように思われ、また、そのことに、日本の多くの知識人が無自覚であることが、この日本の特…

都築響一『ヒップホップの詩人たち』

ユーチューブなどで、二次創作の作品を見ていると、一体これを作っている人はどんな人なのだろうか、と思うことがある。多くは、アニメなどの場面をコピペでパッチワーク的につなげていくようなものであるが、細かい説明的な文章を画面に表示するところが、…

藤田直哉『虚構内存在』

よく、文系文化人の話すのを聞いていると、非常に、「トートロジカル」な発言を、かなり、無自覚にしていることが気になることがよくある。 AはBである。 と言う場合に、確かに、AとBは、「記号」としては、違う「文字」であるのだが、BがAによって導…

ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』

マキャベリやスピノザが、「統治の技術」として、国王が国民に、 真実を言わない 嘘を言う ことを、「手段」として肯定したとき、それは、むしろ、マキャベリやスピノザなどの当時の知識人たち自身が、「本当のこと」を言うことが、自分の「危険」と関係して…

大竹弘二「公開性の根元」

(雑誌に連載途中であるが、現在までのところで、考察してみたい。) 結局のところ、国家って、なぜあるのだろう? 国家は、何がしたいのか? おそらく、このことは、近代「以前」の国家においては、自明であった。というのは、国家とは「宗教」と区別されて…

久坂部羊『医療幻想』

結局のところ、科学といってみたところで、ようするに「帰納」のことなわけである。というのは、数学や物理において、「演繹」というのが、すべての源泉のように記述されるのだが、それが「フワッとした議論」であれば、「なんとでも言える」から、あまり、…

葉留佳と佳奈多

アニメ「リトルバスターズ!」の第16話から第18話は、三枝葉留佳(さいぐさはるか)の物語であったが、この回は、それまでの、神北小毬(かみきたこまり)や西園美魚(にしぞのみお)とは、ずいぶんと違った印象を受ける。 それは、一言で言えば、「非常…

大澤真幸『生権力の思想』

日本における、大学受験のシステムが、どこか、「嗤える」のは、日本中の高校生や浪人生による「競争」によって、優秀な人を「選抜」するという、そのスケールメリットを強調されることの、どこかチープな印象によるのであろう。 というのは、「実態」として…

久保陽一『生と認識』

ドイツ観念論といえば、一昔前では、ヘーゲルのことであった。それは、別に変わっているわけではないが、例えば、戦中の京都学派であったら、まず、カントの三批判書を苦労しながら、読破したら、その次に、 いきなり ヘーゲルの精神現象学に、ぶちあたって…

ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域』

なぜ安倍首相はリフレ政策を、ここまでのところ推進できているのであろうか。以前にも言ったように、リフレ政策は、「中道左派」の政策である。それを、彼が忠実に推進する「いわれ」もないのではないか。 おそらく、そこには、さまざまな「バランス」がある…

暴力とは何か?

ここのところ、個人の「暴力」が、SNS上で、さまざまな「有識者」によって、糾弾される現象が頻発している印象を受ける。 桜宮高校のバスケ部の顧問による部長への「体罰」を原因としたと思われる「自殺」から始まり、女子柔道日本代表監督の「暴行」、A…