2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ルール主義に先立つルール

(タイトルは、クェンティン・スキナーの『自由主義に先立つ自由』をパロディってみました。どうでもいいですけど。) 私が最近、「ルール」の問題に再度関心をもったのは、ジョセフ・ヒースの『ルールに従う』を読んだからであるが、この本では、私は二つの…

川合清隆「ルソー 人民主権と討議デモクラシー」

そもそも、ルソーの『社会契約論』を読んだことがある人というのは、どれくらいいるのであろうか? 私は、そこにある「特殊意志」「全体意志」「一般意志」というのが、今だに、何を言っているのか、分からない。 というのは、ジョン・ロックにおいても、「…

小出裕章『放射能はどこまで安全か?』

311以降の、福島第一の事故以降、京大の小出裕章先生が注目された。私が興味深いのは、なぜ、安全厨たちは、小出先生を 論破 しないのだろう? という疑問であった。彼ら、原発を安全側で主張したい、なんらかの形で、原発推進と利益相反にある(または、…

保坂正康「政治家が軽々に歴史を語るな」

この前、ジョセフ・ヒースの『ルールに従う』を読んで私が、特に思ったのは、 道徳 エチケット ルール ゲーム こういったものを、そもそも、「区別」するなにかってあるのか? という、素朴な疑問であった。 先の議論を通して明らかなように、私は道徳的規範…

國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』

もしも「主体」なるものが「ある」というふうに「言った」とき、果して、そこで、何が起きていると言えるであろうか? 子供は、産まれた時点では、「何者でもない」。ジョン・ロックはそれを、タブラ・ラサ(白紙)と言ったわけだが、ということは、私たちは…

「レイヤー化する世界」とパクリ文化

佐々木さんの最新の本は、まず、次の書き出しから始まる。 この本は、いま新しい世界の構造がつくられようとしている、ということを解説した本です。レイヤー化する世界 テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書)作者: 佐々木俊尚出版社/メーカー: NH…

ジョセフ・ヒース『ルールに従う』

そもそも、哲学に善悪はない、という命題は正しいのだろうか? こんなふうに言うとナイーブに聞こえるかもしれない。それは、物理学に善悪はあるのか、この宇宙に善悪はあるのか、物質に善悪があるのか、といったように、このセカイの カラクリ が「善悪」と…

児玉聡『功利主義入門』

あなたは、「倫理」と「道徳」を区別しない、と言われたとき、どう思われるか。 もちろん、多くの日本人がこの二つを、おそらく区別せずに使っているのであろうことを、私は別に、知らないわけでも、そういう人を道徳的に非難したいわけでもない。 しかし、…

佐倉統『「便利」は人を不幸にする』

掲題の本は、私には少し読むに耐えられない、痛々しさを感じた部分があった。もちろん、その部分がこの本の本題ではないのであろうが、少しこのことにこだわってみたい。 まずは、大手シンクタンクの研究員で独特の経済批評や技術評論を展開している山形浩生…

酒井潔「モナド的主観の<無窓性>」

私にとって、ずっと気になっていたのは、ライプニッツというより、ライプニッツの『人間知性新論』であった。この本は、ライプニッツの生前には出版されていない。死ぬ前に、出版を試みたようであるが、結局、出版はかなわず、死後、半世紀後に出版となった…

大竹弘二「公開性の起源 第6回 情念を統治する」

デカルトは近代哲学の祖のように言われるが、そもそも、デカルトがなにか新しいことを言ったのか、と言われたとき、人々は、なんと答えるのであろうか? そう言わてみると、結局、この人は、なんだったのかな、と思わなくもない。いや、別に、新しいことを言…

野口雅弘『官僚制批判の論理と心理』

官僚論を考えるときには、どうしても、国家についての考察を避けることはできない。 国家とは何か。国家は、国民と以下のようなトレードオフの関係において、存在する。 税金・国民奉仕:国民 --> 国家 福祉・インフラ・社会的(限定的)秩序:国家 --> 国民…

自治と自己犠牲

ラノベ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」の第6巻は、文化祭の巻になっている。つまり、主人公の比企谷八幡(ひきがやはちまん)が、文化祭実行委員会の役員のメンバーに、クラスで選ばれるところから始まる。 つまり、この巻は、文化祭という、高…

大江健三郎「あいまいな日本の私」

今でも、本屋に行けば、岩波新書で、この、大江健三郎のノーベル賞基調講演は読めるが、このタイトルが、川端康成の「美しい日本の私」の批判として、語られていることは重要である。 なぜ、彼は川端を否定しなければならなかったのか。なぜ、「美しい」では…