2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

人文的な世界

よく時代劇で、水戸黄門にしてもその他にしてもそうだけれど、勧善懲悪な、悪巧みをして、民衆を苦しめる悪人を、「お上」が成敗して助ける、といった作品が何度も繰り返し作られた。そして、こういった日本人の性質の傾向として、自己責任で、民主主義に自…

経験論と「合理論」

普段、私たちは当たり前のように「日常」を生きていて、回りの人と、いろいろなことを話しながら生きている。そうした場合、まさか、そういった一連の(言語行為を含んだ、さまざまな)行為が 無意味 だとは思っていない。ところが、経験論、つまり、「科学…

津堅信之『京アニ事件』

あれほどの大災害、死者を出したのにも関わらず、「京アニ事件」についての本は、ほとんどない。掲題の最近出版された本にしても、これで何が説明されたのだろうかが、よく分からない内容だ。 京アニ事件は、容疑者が京アニのファンだった可能性があり、京ア…

アプリオリ(≒超越論的)概念は早晩、滅びるのか?

前回は、リチャード・ローティのカント批判論文に対する、カント研究者による批判的な吟味が行われた論文を紹介したわけであるが、そこで、あまり議論の中心にしなかったことがある。それは、まあ、掲題からお分かりではあろると思うが、カント哲学の中心概…

ディーター・ヘンリッヒ「挑戦者か競争者か」

掲題の論文は、 ヘンリッヒ他『超越論哲学と分析哲学』超越論哲学と分析哲学―ドイツ哲学と英米哲学の対決と対話作者:ヘンリッヒ,D.,ローティ,アーペルメディア: 単行本 という、1992年に出版された、カント哲学に対する分析哲学からの批判と、それに対す…

「怖(こわ)い」東浩紀先生

ネットを見てたら、なにやら、いつもの東浩紀先生が、怒髪天をついて、お怒りになっているから、なにかなと見てたら、なにやら 女性に男性の性不全の話をされた ということらしい(なんだ、東浩紀先生自身が最近は、性不全でカリカリしてんのか)。 「もしあ…

K値モデルという「カルト宗教」

ここのところ、東京の新型コロナの感染拡大に伴って、地方にも、少しずつ感染者が増え始めていて、いろいろと、有識者が発言を再開し始めている。 私がまず、興味をもって視聴した動画は、以下の児玉龍彦先生と、児玉先生の研究に資金的サポートをしている、…

予防原則

新型コロナについては、東京の感染拡大が出始めて、(前回もそういった傾向はあったけだが)最初は若い人が中心に広がっていたのが、少しずつ高齢者にまで広がり始めている。 また、おそらく、それに伴って、重症者の人数の増加が、近々に現れてくるのではな…

湯浅正彦『存在と自我』

つまびらかにカントの哲学を考えてきたとき、おそらく、最初に気付かれる点は、カントが ダーウィンの進化論以前 だ、ということだと思うわけである。つまり、カントのアプリオリ性とか、超越論的といった議論は、明らかに、ダーウィンの進化論以前の文脈に…

なぜ政治家は人の生死を語らないのか?

フジテレビのリアリティショー番組「テラスハウス」に出演していた木村花さんが自殺で亡くなって、今回のフジテレビの社長がコメントを出すやいなや、日経新聞などが一斉に、 悪質誓約書 について報道し始めた。 誓約内容に違反して制作に影響が出た場合、出…

リチャード・ローティ「人権、理性、感情」

ローティは、ボスニア戦争の時の掲題の論文において、以下の「ムスリム人は人間ではない」というコメントにインスパイアされて、彼の持論を展開していく。 数カ月前のボスニアからの報告のなかで、デイヴィッド・リーフは次のように述べています。「セルビア…

リチャード・ローティ「予測不能のアメリカ帝国」

(この論文については以前にも、このブログでとりあげて、このタイトルで記事も書いているが、改めて、その主張をまとめておきたい。) 最近の videonews.com では、宮台真司先生が、リチャード・ローティの話をとりあげてばかりだ。そして、おもしろいこと…

オートポイエーシス・システムの数学的モデル化は可能か?

昔から、 生物学 というのは、物理学とは、なんらかの意味で「違う」科学なんじゃないのか、と言われてきた。それは、生物学が物理学の法則に従わないから、ということではなくて、通常の物理学の手法では 扱えない 性質のもの「だから」、生物学という「分…

冨田恭彦『ローティ』

よく、日本では 分析哲学 と呼ばれて、文系の大学の学部で教えられているわけであるが、そもそもこれは、欧米では 言語分析哲学 と呼ばれていたものであって、なぜ前半の「言語」が省略されて呼ばれているのか、というところに、私はなんらかの「陰謀」のよ…