肥田舜太郎『内部被爆の脅威』

(鎌仲ひとみ、という方との共著。)
広瀬隆さんが、テレビで、解説した内容が、YouTube でアップされているが、おそらく、今後は、この内容を基本線に、大マスコミも放送せざるをえないだろう。
彼は、初動において、今行われている、電源を引いて、冷却装置の再稼働を目指すことについて、なによりも優先して目指されるべきであったことを強調している。また、こと、ここに至っては、(素人としてその判断は分からないが)チェルノブイリのように、コンクリートの棺桶をやるべきではないのか、と一言している。
これらのことと一緒に彼が強調していたことで、多くの人たちは、あれ? と思ったのでは、と思うことがある。つまり、
内部被爆
について、である。彼は、外部被爆と内部被爆を、明確に区別する議論をしている。また、これについては、昨日の videonews.com での対談において、琉球大学の、矢ヶ崎克馬教授の電話インタビューで、「専門家」として、よりつっこんで発言されている。
すると、今日のNHKニュースで、東電が30キロ圏内で自宅待機している人たちが外に出る場合の注意点ということで報道していたが、時間がないということもあるのだろうが、最低限の説明という印象をまぬがれなかった。
また、今日のNHKニュースでは、日立や東芝の技術者が、続々と副島原発のサポートに集まってきていることも報道されていたが、これも、広瀬隆さんが、まず必要な施策であると言っていることであったわけだ。
今までの、NHKニュースは、あまりに、恐怖をあおらないことが目的だったのか、できるだけ、不安をあおるようなことを「言わない」ことを目指しているような報道で、私たちが自分で判断するに「必要十分」な情報を国民に提供することを、目的としていなかったのではないか、という印象を受ける。
しかし、広瀬隆さんも表で発言されるようになって、フリーのジャーナリストたちが、専門家に語らせるようになってきて、リスクを含めた、今の現状と、これからのリスクが少しずつ、形となってきたような印象がある。
おそらく、NHKニュースも、これからは「内部被爆」というキーワードを使って説明せざるをえなくなるだろう。
では、そもそも、内部被曝とは、なんなのか。なぜ、多くの人たちが、この問題への言及を避けたがるのか。

爆発と同時に放射された放射線分子は塵や埃に付着して広範な地域に飛散し、地上に降下する。一部は発生した水滴に混じり、いわゆる「黒い雨」となって降下し、雨滴に触れた者に放射能障害を与える。また、空中、水中に浮遊し、食物の表面に付着した放射性物質は呼吸、飲水、食事を通じて体内に摂取されて肺と胃から血液で運ばれ、全身のどこかの組織に沈着し、アルファ線ベータ線などを長時間、放射し続ける。そのため、体細胞が傷つけられて慢性の疾病をゆっくり進行させ、また、生殖細胞が傷つけられて子孫に遺伝障害を残した。
このような被ばくを内部被曝といい、これまで、アメリカの被ばく米兵と復員軍人局の補償をめぐる論争のなかで、また広島・長崎の原爆被ばく者と厚生省の認定をめぐる論争(被ばく者の疾病が放射線起因であるか否か)のなかで、その人体に対する有害性をめぐって争われてきた課題である。
加害者側は、被害を与えるのは体外からの高線量放射線だけで、体内に入った放射性物質からの放射線は低線量(微量)であり、被害は一切無視できると主張する。被害者側は、内部被曝は体外被曝と全く異なるメカニズムえ細胞を破壊し、微量でも重大な被害が起こると訴えている。それを裏付ける研究が数多く報告されており、また、世界的規模での核実験および諸々の核施設の内外に発生している膨大な被ばく者の数がこれを証明していると主張している。
内部被ばくの問題は、放射線被害をめぐる加害者と被害者の国際的な規模での論争の焦点である。現在も「科学的根拠がない」として、被害者への補償が全くされていない現実がある。

たとえば、近年、非常に大きな問題となったのが、アメリカのブッシュ元大統領が、イラク戦争で「劣化ウラン弾」を使用したことであった。これこそ、まさに「内部被曝」の典型であろう。
劣化ウラン弾は、戦車の装甲さえ貫くということで、非常に大きな破壊力をもつ。あの、戦車が装甲を貫かれるのだ。それでは、戦車は戦車の意味をなさないだろう。しかし、である。その「代償」は、あまりに大きかった。彼は、悪魔の手を、広島長崎に続いて、再度、あのイラク戦争で使ったのだ。
イラクの多くの子供たちが、内部被曝し、次々と、さまざまな病気を発症し、多くが死んでいった。
しかし、この武器は、諸刃の剣、であった。
イラクに派遣された、アメリカ兵をも、蝕んだからだ。
そして、さまざまな裁判で、アメリカは内部被曝の「事実」を一貫して認めなかった。彼らアメリカ兵の体調不良は、劣化ウラン弾の「せい」ではない、と言うのだ。
これが、国家である。
そして、アメリカがこの「ていたらく」ということは、「国際社会」は、完全に、たらしこまれている、ということを意味するだろう。

国際放射線防護委員会(ICRP)は放射線に関する世界的権威である。ICRPは長い間、微量の放射性物質による内部被ばくを過少評価してきた。この考え方の根本にあるのは「放射線防護の主たる目的は、放射線被ばくを生ずる有益な行為を不当に制限することなく、人に対する適切な防護基準を作成することである。[中略]「すべての被ばくは可能な限り低く保つべきであるという助言が注目されてはいたが、意識的に適用されることはまれであった。その後、全ての被ばくは”経済的、社会的要因を考慮に入れて合理的に達成できるかぎり低く”保つという欲求がいっそう強く強調されるようになった。
このことの意味は「放射線は人体に危険を与える潜在的な可能性のあるものであるが、一方で人類にとって必要不可欠な存在であるから社会が容認できるような被害にとどめるための安全な基準を設定しよう」というものだ。人や社会が容認できる「被ばく」の限度、すなわち「現在の知識に照らして身体的または遺伝的障害の起こる確率が無視できる」線量を超えないような線量限度を勧告している。これがICRP勧告と呼ばれているものだ。

加えてICRPは、微量な放射線の影響が学問的にまだ明確でないことをふまえたうえで、慎重な考え方をとることを表明している。
問われているのはこのことだ。つまり、ICRPは「しきい値放射線影響の安全と危険の境界の値)はない」としながら許容限度を設定していること、そして、メカニズムの違う内部被曝外部被曝と同等に扱い内部被曝の脅威を正当に評価しないこと、この二つの矛盾がずっと横行し続けているのだ。
国際的な権威であるICRPが規定する放射線量に対して、歴史上、少なくない数の科学者が異議を唱えてきた。これらの科学者たちは、より微量の放射線でも人間は影響を受けると主張している。しかし、どれも科学的データが不足しているとされ、研究が引き続き必要という言い回しで学会では事実上否定されてきた。十年ごとに改定れるICRPの勧告は二〇〇五年に最新のものとなるが、ドラフトをみる限りでは内部被曝に関しては大きな変化は依然として何もないようだ。

たとえば、日本の広島長崎の被爆者への国の保険がなかなか認定されなかったことも、この内部被曝の評価に関係していたことが指摘されている。
考えてみれば、アメリカは世界一の、核実験大国で、何度も何度も核実験を行ってきた。劣化ウラン弾だけでなく、多くの影響が、国民に与えていることは考えられるわけである。

同時に、戦後五十年間(一九五〇〜二〇〇〇年)の日本女性の全国及び各県別の乳癌死亡数をグラフ化し、次の事実が明らかになった。(死者数は一〇万対)

  1. 全国死者数は一九五〇年の一・七人から二〇〇〇年の七・三人まで一定の勾配で右上がりに上昇し、四・三倍になっている。
  2. 一九九七〜一九九九年の三年間は、青森県一五人、岩手県一三人、秋田県一三人、山形県一三人、茨城県一四人、新潟県一二人と、六県の乳癌死者数が一二〜一五人と突出して増加している。
  3. 次に気象庁の放射性降下物定点観測所(全国一二ヶ所)におけるセシウム137の降下線量(一九六〇〜一九九八年)を調べた。降下量が増加しているのはつぎの通りである。
    • a 第一期(一九六一〜一九六三年)米ソ英仏が頻繁に大気圏核実験を行った時期。
    • b 第二期(一九六四〜一九八一年)一九六三年に大気圏核実験禁止条約発効で実験が中止、代わって中国が一九六四年から核実験開始。セシウム137はわずかに増加。
    • c 第三期(一九六八〜一九八六年[チェルノブイリ事故の年])秋田観測所でのセシウム137が単年度に極端に増加した。
  4. 秋田観測所でセシウム137の降下量が顕著に増加しているのは一九八六年だけである。原子力発電所運転管理年報によれば、この年には国内の原発にはどこも大きな事故の報告はなく、県別乳癌死者数分布図から推定して、一九八六年のチェルノブイリ原発事故から放出された放射性物質死の灰の雲となって日本の東北部に濃厚に降下したものと考えられる。
  5. 2 の東北四県と茨城、新潟両県の乳癌死亡の異様な増加は 3c の一九八六年、秋田観測所が観測したセシウム137の異常増加のちょうど十〜十二年後に起こっている。これは一九九六〜一九九八年にセシウム137をふくむ空気、飲料水を摂取した上記六県の女性が、乳癌を発病して死亡するまでの平均時間に一致している。当該県民の医療知識水準と医療機関の状況からみて、乳癌死亡の高騰とセイウム137の大量降下の間にきわめて高い相関があるものと推定される。

さて。私たちは、どうすればいいのだろうか。上記の、videonews.com での琉球大学の矢ヶ崎克馬教授の電話インタビューで、人々が、どういったことに気をつけるべきかを詳しく説明している。これは、宮城県の人々だけや、その近辺の人たちの話をしているわけではない。
内部被曝の可能性がある、放射性物質が拡散した地域全てにおいて、少なからず求められていることは、上記から明らかであろう。西日本だろうが、例外ではない。
では、どうしたらいいのか。
まず、宮城県内や他の県の、被災者をまず、物資の供給が安定している地域に、早く避難させることだろう。次に、この内部被曝の問題だが、せめて、原発周辺での拡散量を、恒常的に調査してもらい、それに伴い、風の向きによって、どれくらいの量が、どこに拡散しているのかのシュミレーションが求められる。
しかし、究極の「安全」は、地球の裏側にでも行かなければ、得られはしない。
上記にもあるように、結局は、経済とのバランスとなることが予想される。おそらく、この原発事故が収束しなければ、日本企業の株価は低迷を続け、多くの株主に深刻な損害をもたらすだろう。
本格的に、私が暗示した「放射能都市」のイメージが、よりリアルになっていくということなのかもしれない。

鎌仲 今の二十代や三十代の若い世代には、「世界の終末のイメージ」が深く植えつけられているように思います。彼らが親しんでいるテレビやゲームやアニメの世界では、三十年も前から「人類の終末」というイメージが組み込まれているんです。「人類の終焉は織り込み済み」というイメージを抱えており、それを表現して物語をつくっています。「世界の終末のイメージ」は既に意識のなかにきわめて深く入りこんでいるようです。
肥田 宮崎駿のアニメ「風の谷のナウシカ」も核戦争で荒廃したところから物語が出発していますね。
鎌仲 でも不思議なことに、その世界のなかでは人類は生き残っているんですよ(笑)。

どうだろう。これが、「若者」への上の世代の人たちの見方なのだ。何度も言っているように、私たちが問われているのは、私たちの思考の「強度」なのであって、なぜ、ナウシカは生きているのか、は
強烈なサブカル世代へのアンチテーゼ
なのだ。計算を止めてはいけない。徹底した妥協なき思考が、答えを導くまで...。

内部被曝の脅威 ちくま新書(541)

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