特定秘密保護法は「憲法違反」か?

特定秘密保護法は、「憲法違反」であろうか? もし憲法違反であれば、普通に考えれば、なにか、日本人全員で、裁判所に訴えれば、いいように思わなくもない。しかし、おそらく、そういった手続きが許されていないから、この特定秘密保護法は、まだ、違憲かどうかが裁判で争われていないのであろう。
ということは、普通に考えて、違憲かどうかを裁判所で争えないことは、三権分立に反していることにならないだろうか? なにかは、違憲かどうかを裁判所で争えて、他は争えないというのは、どこか矛盾していないか?
もしも、現在の法律が、憲法に違反しているのであれば、その法律を「適用」して、だれかを犯罪者にすることは、「合憲」だろうか? この場合、問題になるのは、「憲法に違反している」という表現であろう。このフワッとした表現は、具体的には何を意味しているのか?
憲法を公理的論理学における「公理」と考えて、その命題群から、矛盾した結論に至る、ということを形式的に示したとするなら、それは、「裁判の材料」として、結果的に有効に機能するかもしれないが、それ自体が、「憲法に違反している」ということを示す、

  • 手続き

ではない。あくまでも、「憲法に違反している」とは、裁判所で、違憲だと判決されることであり、(それでさえ、あくまで暫定的であったとしても)それ以外にはない。
最近、参議院選挙における定数が二倍以上に開いている現状が、「憲法違反」であるとする判決が地裁において示されたが、今のところ、国会は、ほとんどこれに反応していない。それは、この後、次々と、同じ内容の判決が待っているので、その結果を待って反応するということなのかもしれないが、おそらく、たとえ「違憲」という判決が、今後、すべての裁判所で出続けても、国会がその結果を「無視」し続けたら、おそらく、

  • 何も変わらない

のであろう。しかし、どうであろう。その違憲判決に伴って、裁判所が、国会議員に、なんらかの「罰金」なり「賠償」を課したら? その支払いさえ、国会議員は「無視」するだろうか? まず、お金を支払うだろうか? 支払わなかった場合、逮捕されるだろうか?
たとえば、こんな命題は、どう思われるだろうか。

  • たとえ「悪」であっても、法律で許されているなら「正しい」か?

これは、死刑制度を考えてみると分かるかもしれない。人が人を殺すことは、戦争などの平時ではない非常事態を除けば、基本的に人間として許されていない行為である。実際に、死刑とされる人は、確かに、逮捕される前には、さまざまな不法行為をしたかもしれない。しかし、そうだからといって、その人を国家が殺すことを認めるという法は、一体、どこから導き出されるのか。大事なことは、別に、殺さなくてもいい、ということである。ずっと、死ぬまで、牢屋に入れておくにしても、殺すことが必要という理屈にはならない、ということである。
特定秘密保護法は、法の立法者たちの「立法意志」が、そもそも、最初から、

を秘密にすることを「目的」にしているところが特徴である。つまり、この法律には、何を秘密にできるのかの規定が書いていない。というのは、何を秘密にできるのかを書くと、もしも、その規定に外れたものを秘密にした場合の「処罰」規定を書かざるをえなくなる。つまり、特定秘密保護法は、秘密を所持することについて書いておきながら、それを秘密にしたこと自体が、

である場合の対応については書いていない。というのは、そもそも、「それがやりたい」から、この法律を作っているのだから、と考えざるをえないであろう。
つまり、この法律は、最初から、国家が、

  • 憲法違反を行う「ため」に作った法律

だということである。国家が憲法違反行為を行うことを「正当化」できると考えている、ということである。
最初から、国家は憲法違反行為をやりたくてやりたくてしょうがない。そして、その憲法違反行為を隠せば、なんとでもなると思っている。そして、「それ」が今回の法律だった、ということである。
つまり、今回の法律は、一種の「クーデター」であった、と考えるべきである。これによって、国家転覆を彼らは実現した。
しかし、興味深いことは、もしも、特定秘密保護法違反と称して、だれかが逮捕されるという事態は、本当に起きうるのであろうか、ということである。ある人が特定秘密を取得した、とする。それは、その秘密が「秘密」であることを分かって、取得しようとして、実際に取得したなら、この法律に違反した、ということになる、と言う。
しかし、である。先ほどから言っているように、もしもその特定秘密が「憲法違反」であったなら、あなたは、どう思われるだろうか? わざわざ、特定秘密にしようとするということは、最初からこれは、

行為であることを認めているのと変わらない。憲法違反だから、特定秘密にしたのであって、後めたいから、隠すわけである。むしろ、特定秘密保護法違反ということは、

の国家の行為を、なんとしてでも止めさせるために、国家を「守ろう」とする行為としては、国民として、誰もが目指さなければならない、

  • 国民にとって最も必要な行為

なのかもしれないわけである。そう考えるなら、特定秘密保護法違反で誰かが逮捕されたという事実は、そこに「憲法違反」があったということを、自らが「ばらす」行為であるのと変わらなくなるわけである。
つまり、こういうことである。特定秘密保護法違反で誰かが逮捕されたのと同時に、その特定秘密を秘密として指定した人間を、「憲法違反」として逮捕

  • しなければならない

ということになるわけである。特定秘密保護法は、その秘密指定自体が

であった場合に、どうなるのかが書いていない。つまり、その秘密指定が、「あらゆること」に対して指定できるし、もちろん、憲法違反さえ秘密にできる(やれないと書いていない)。もちろん、特定秘密保護違反を犯した人の、その特定秘密が、そもそも憲法違反を指定したものであった場合に、

  • どちらの「違反」が優先されるのか

も書いていない。憲法違反を告発することさえ、犯罪だと言っているわけで、つまりは、

であることを意味し、つまりは、この法律自体が憲法違反であることを意味しているわけで、つまりは、クーデターであった、ということになるわけである...。