小林敏明『風景の無意識』

プラトンイデア論を始めて聞いた人の多くは、びっくりするであろう。私たちは、ある意味において、産まれたときには、すでに、

  • なにもかもを知っていた

と言うのであるから。しかし、なぜこういったアジェンダ・セッティングがされたのかと考えれば、つまりは、こういったパラドックスがあるからである。つまり、私たちは、知らないことを知っていることはできない。よって、私たちは、いつまでたっても、新しい何かを知ることはできない。
この学習の不可能性を示すパラドックスは、何が間違っているのだろうか?
言うまでもない、「知る」という言葉の「定義」に問題がある。
しかし、そもそもの話をさせてもらうなら、実は、もっと、これの何倍も「困難」な問題に、私たちは、さらされているのである。
それは、なにか?

  • わたしたちは、ほとんどのことを「知ることができない」

ということである。
どういうことか。
言うまでもないが、これは少しもパラドックスではない。例えば、あなたの友人を考えてみよう。あなたは、その人について、とても、たくさんのことを知っていると思っている。どんなときに笑うか。どんなふうに笑うか。どんなときに、その人を特徴づける癖を示すか。
しかし、はたと考えてみると、あなたは、その人の「ほとんど」のことを知らないのだ。休みの日は、家で何をしているのか。どんな家族構成なのか。子どもの頃は、どんな性格だったのか。
驚くべきことに、私たちは、ほんとうに、びっくりするくらいに、この世界のほとんどのことを知らない。知らないで生きている。
ここで、ある疑問がわいてくる。
なぜ、これだけ「知らない」ことが、この世界にあるのに、私たちは、常日頃、それらを知らないことに「不安」にならないのだろうか。これが、ハイデッガーの問いであったし、フロイトは、このことがもたらす「病気」を生涯に渡って研究した心理学者であった。
しかし、掲題の著者は、この二人に代表される、ドイツ独特の思考形式のモデルに、ドイツ・ロマンテック、つまり、ドイツ・ロマン主義の伝統を、色濃く読み取る。
しかし、そのドイツ・ロマン主義的な芸術運動であり、美学運動の形式的な始源を見ていったとき、例えば、カントによる、美と崇高の形式化の範例があることがわかるし、実際に、それ以降のドイツ・ロマン主義の運動において、大きな影響を彼の批判哲学が与えていることも分かってくる。

カントの哲学体系においては、まず三批判をそれぞれ貫く基本概念として、悟性 Verstand、理性 Vernunft、判断力 Urteilskraft の三つの認識能力が前提にされる。悟性が扱うのは狭義の認識能力で、その原理は合法則性であり、対象となるのは自然である。これを論じたのが『純粋理性批判』である。次に究極目的の原理にしたがって欲求を扱い、自由を目指すものが狭義の理性で、これの理論的展開が『実践理性批判』である。これらに対応するように、『判断力批判』の主役たる判断力は合目的性の原理にしたがいんら、快・不快の感情を扱い、技芸(クンスト)を志向する。ここで大事なことは、判断力が扱う快・不快の感情はあくまでも主観的な趣味(Geschmack 好み・センス)の問題であり、それは客観を対象とする論理的な認識とは区別されなければならないということである。この主観的な趣味判断が属するのが、われわれの追っている美と崇高という美感的または美学的な概念にほかならない。とはいえ、カントにとってこれらはんなる主観的で、諸個人ばらばらのものではなく、そこには何らかの合目的性、必然性、普遍性がみられるという。では、問題の美と崇高はどのように区別されるのか。

自然の美しいものは、制限の中に置かれた対象の形式に関わる。これに反して無形式の対象でも、その対象について、あるいはその対象をきっかけとして無制限性が表象され、しかもその全体性が付け加わって考えられるならば、そこに崇高なものが見出されうるのである。したがって、美しいものは、規定されていない悟性概念の描出とみなされる、崇高なものの方は、同じく規定されていない理性概念の描出とみなされるようにみえる。

ここでカントが目論んでいるのは、判断力の二大支柱をなす美と崇高を、片や限定された自然を相手にする悟性に、方や無形式、無限定を扱う理性にそれぞれ振り分けようということである。だから無制限な理性につながる崇高にはもっぱら他を凌駕して「ひたすら大きい」という性格が属することになる。この無制限の大きを考えることができるのは、たんなる感性や悟性ではありえない。それは主観が持っている超感性的な能力としての「構想力 Einbildungskraft」、すなわちイマジネイションである。この構想力がわれわれを、自然概念の根底にあって「諸感官のすべての尺度を超えるほど大き」な「超感性的な基体」に向かわせる。言い換えれば、構想力は無限の大きさを前にして自らの能力が失効してしまうような自らの限界にまで追いやられる。だから美とちがって、崇高の感情には「尊敬」が伴うと同時に、その大きさに圧倒されての「動揺」や「恐れ」が伴うことにもなる。つまり、たんに自然の側から触発された快から生まれる美に対して、崇高には快と不快の両方が共存しているのである。このあたり、恐怖を「崇高の支配的原理」とみなしたバークの考えを踏襲したものと考えていい。この「大きさ」に由来する崇高を、カントはいささか近代的装いを凝らして「数学的崇高」と名づけたのであって。ついでに付け加えておけば、この崇高論にとって決定的な意味を負わされている「構想力」の概念は後のロマンティクの芸術家たちによって好んで使われ、ロマンティク特有の概念「詩情(ポエジー)」に合流していくことになる。
この崇高における快と不快の共存ないし尊敬と恐怖のアンビヴァレンツの構造をさらに明らかにしているのが、崇高に特有な「力 Macht」および「威力・暴力 Gewalt」という特徴要因であり、ここから生まれる崇高は「力学的崇高」と呼ばれる。これもすでに内容的にはバークの著作の中にあったもので、バークはこの特徴を「力能 Power」と読んでいた。言うまでもなく、英語の power とドイツ語の Macht 同義語である。

力とは、大きな障害を凌駕する能力である。この同じ力は、自ら力を所有しているものの抵抗をも凌駕する場合には、威力[Gewalt 暴力]と呼ばれる。自然は、美感的判断のうちでわれわれに対しては威力[暴力]を振るわい力とみなされる場合には、力学的に崇高となる。
自然がわれわれによって力学的に崇高であると判定されるべきであるとすれば、自然は恐怖を引き起こすものとして表象される必要がある。

バークのときにそうであったように、この引用でも重要なのは、自然が「恐怖を引き起こすものとして表象され」ながら、しかし「われわれに対しては威力[暴力]を振るわない力とみなされる」という条件である。恐怖が恐怖のままであれば、そこにプラスの感情をともなった崇高の念が起きることはりえない。崇高が生じるのは、あくまでその恐しい対象を見る側の安全が保障されている場合に限られるのである。

急峻な張り出した、いわば威嚇するような岩石、電光と雷鳴をともなって大空に湧きあがり近づく雷雲、すさまじい破壊的ん威力のかぎりを尽くす火山、惨憺たる荒廃を残して去る暴風、怒涛逆巻く際限のない大洋、強大な水流の高い大瀑布などは、これらのものの力と比較してわれわれの抵抗の能力を取るに足らないほど小さなものにする。しかし、われわれが安全な場にいさえすれば、それらの眺めは恐るべきものであればあるほど、ますます心を引き付けることになる。そしてわれわれは、これらの対象をよく崇高と呼ぶ。

この自分の身の安全という条件はカントの基本的な理論構成にとっても重要である。それはまずバークの言う「自己保存」本能のために欠かせない条件だからだが、この安全保障は同時に、自分自身が「自然の力に依存しないもの」「自然に優る卓越性」をもっていることを知らしめる条件にもなるからである。つまり、崇高の感情はたんに恐怖をもたらす自然対象から生じるのではなくて、まずそれに応ずる人間(主観)の構想力がその能力の限度を知らされるほどに刺激を受け、それを通してその恐るべき自然に抗することができるような自らの力が感じられるからこそ生じてくるというのである。つまりここで考えられている崇高には、対象の崇高ではなく、主観の側の崇高にほかならない。

かくて崇高さは、自然物の内には含まれておらず、われわれの心情 Gemut の内にとみ含まれていることになる。われわれは、われわれの内なる自然を凌駕していると意識することができ、それによってまたわれわれの外なる自然(それがわれわれに影響を及ぼすかぎり)をも凌駕していると意識しうるかぎり、そうなのである。この感情をわれわれの内に呼び起こすものには、われわれの諸力を奮い起たせる自然の力も属するのだが、これらのすべては、そのかぎりで(本来的ではないとはいえ)崇高と呼ばれる。そして、われわれの内のこの理念を前提にしてのみ、またこの理念と関わってのみ、われわれは[......]あの存在者 Wesen の崇高さという理念に到達することができるのである。

対象から主観への反転をもたらしたカントの認識論がコペルニクス的転回と呼ばれるのなら、この立論も「崇高のコペルニクス的転回」と呼ばれてよいだろう。崇高は対象の側にるのではなく、あくまでそれを見る主観の側にこそ成り立つと言われるのだから、そしておそらくここにカント崇高論の眼目がある。
こうして崇高に固有な、恐れつつ魅了されてしまうというアンビヴァレントな感情、バークの言葉で言えば、快と不快の共存たる「喜悦」が理論づけられるのだが、それとともにカントはこうした共存が可能となる前提として、そこに「開化 Kuntur」すなわち「文化」が成立していなければならないと言う。一種の啓蒙主義の立場である。これがなければ、人間の側に自然を凌駕する感情も生まれようがないからである。そしてこの開化された人間感情の中でだれにとっても必要なものこそ「実践的な理念に対する感情」すなわち「道徳感情」でり、これが判断力と(実践)理性の橋渡しを可能にするのである。

崇高とは、上記にもあるように、「無制限」の例である。しかし、ここで「無制限」とは、どういう意味か。それは、自分がその対象の

  • 果て

を見積れない、ということを言っているにすぎない。つまり、そいつの「全体」が、どれほどのものかを、分かっていない、と言っているのである。
このように見たとき、カントの崇高論は、一種の「他者」論になっていることが分かるであろう。私たちは、他者を完全に把握することができない。もしも、完全に把握できるなら、私たちは、

を行うことの「正当性」を獲得したことを意味するであろう。しかし、私たちは決して、それを実現することはできない。だから、私たちは選挙を行うし、民主主義的な多数決を手放すことはない。
そのことは、私たちが「他者」に対して、ある種の「崇高」の感情をもっていることを意味しているのかもしれない。
カントは、この崇高を、非常に興味深い側面から考察し、ほりさげた。崇高の対象を私たちは、本当の意味では、知っていない。つまり、ということは、ハイデッガー流に言うなら、私たちは、「不安」であるし、フロイト流に言うなら、私たちは、どこか「病気」なわけである。
ここで、カントは何が起きているのか、と考察するわけである。
つまり、ここで、ある「悟り」の感情が生まれる。
まずは、その「不安」と1対1になって現れてくる、上記の言葉で言えば、構想力であり、つまり、イマジネーション。なんらかのイメージが、ぼわっと、頭を占拠する、というわけである。
これは、なんなのか? よく分からないものである。なんらかのイメージ喚起的なものをもちながら、そもそも、その指示対象を私はよく知らないと言っているわけですから、当然、その対応物の、なんだか、よく分からない「ぼんやり」したものでしかない。いわば、思考の「かけら」のようなもの、と考えることができるであろう。
このぼんやりしたものは、ほうっておくと、私たちを、さまざな「不安」の感情に導いていく。フロイト的な病気へと導いていく。
それに対する、私たちの側の「対抗策」が、

  • 日常
  • 親密さ

ということになるであろう。ある対象を私たちは、知らない。本質的に、知らない。しかし、たとえ、そういったものであったとしても、それに、日常的に接していると、なんらかの「親密」さが、わいてきたりする。それは、どんなに、むちゃくちゃな政治運営が行われていても、日本の大衆が、安倍首相を

  • どこかにくめない

と思ってしまうような、なんらかの「(おそらくは、だまされているであろう)どじっ子」属性的な感覚は、そういった「親密」性による、ごまかしの一種だと考えることもできるのかもしれない。
こういった日常性は、なぜ、私たちの「不安」を欺瞞的であれ、緩和すると考えられるのか。それは、その日常の「維持」という実践的な行為「自体」が、なんらかの、

  • 本人の「力」の証明

になっていると考えられるからであろう。日常的に平和が続くということは、その平和を継続しているという「実践的な自信」を、生み出していくことになる。つまり、平和や日常が継続しているという、そのこと自体が、そのことを可能にしている

への自信をもつことを可能にしている、と考えられるわけである。
ある対象についての、なにかを私たちは知らないわけだが、そのことに、もしも「不安」に思わない一瞬があるとするなら、それは、どんな瞬間であろうか。もちろん、その対象に対して、私たちが、なんらかの「力」によって、完全にねじふせていられれば、不安にはならないかもしれない。しかし、そもそも、そんなことは可能なのだろうか。だって、その対象について、大いに「知らない」と言っているのに。だとするなら、こんなふうにも考えられるのかもしれない。つまり、

  • それから逃げられている

と。柔道の乱取りのようなものを考えてみてもいいであろう。それなりに相手との距離が置けているなら、少なくとも、相手を近づけない間は、それなりに安全と考えられるかもしれない、と。
しかし、たとえそうだとしても、やっぱり「不安」はぬぐえない。だって、どんなに、そうやって「安全」を主張しても、結局は、相手のことを完全に知っているわけではないのだから。
しかし、だとしても、それなりに、こうやって「逃げられている」だったり、「戦えている」といった感情は、やはり、「安全」の意識が少なからず生まれてくるわけだが、こういった自分の「力」とのバランスによって、カントの崇高概念は生まれてくる、というわけである。
崇高の特徴が、例えば、「美」と違うのは、それが快と不快の感情の両方を併せもっている、とされるところである。崇高は、自分を「安全」な場所に置くことが可能になった、と思えるようになったから、ちょっと、

  • 上から目線

で、相手のその状態を「観察」できるようになっている、と言うことができるであろう。しかし、私たちは、その対象について、どんなにがんばっても、完全な知識をもつことはできない。そうである限り、自分のこの「安全圏にいるから心配ない」という気持ちは、いつ揺らいでも不思議ではない。
しかし、たとえそうであったとしても、だとしても、私たちは、それなりに、蓋然的に、「不安」から解消されるときがあるとするなら、それは、

  • なぜ

なのか、という問いが、どうしても生まれてくるのではないか。
つまり、どういった「条件」のときに、その確率は高まるのであろうか。
言うまでもないであろう。

  • 知識

である。つまり、「啓蒙」ということになる。昔のこと、歴史を知っていれば、私たちは、過去の範例から、多くのことを学ぶであろう。自分たちは何者なのか。どういった祖先であったのか。
例えば、日本の平和主義を考えてみよう。もしも、中国の軍隊が日本を攻めてきたらどうしようか。これが「不安」である。最悪の場合を考える限り、日本は軍事力を増強すべきだ、といった浅慮が高まる。しかし、もしもそうやって、両国が軍事増強を行えば、より危険な緊張が高まることになって、より危険になる、と考えられなくない。だとするなら、どういった

  • 知恵

によって、お互いの軍拡競争を抑えることができるのか、を考えることが、求められるであろう。そうした場合に、私たちの過去の先祖たちが、どのようにして、緊張のエスカレーションを抑止する「実践的行動」を行ったのかを、過去の歴史から学べないか、ということになるであろう。
もっと言えば、こういった「啓蒙主義」をあきらめる限り、第三次世界大戦は避けられない、ということになるであろう...。

風景の無意識――C・D・フリードリッヒ論

風景の無意識――C・D・フリードリッヒ論