リチャード・ローティ「予測不能のアメリカ帝国」

トランプの得票よりヒラリーの得票の方が多かったのにもかかわらず、代議員制度のせいで、ヒラリーが負けた。だったらそれは、「一般意思」じゃない、というのは分からなくはない。しかし、そう言うなら、アメリカは国家ではなく合衆国だ、ということなのであろう。
問題はなぜ国民はヒラリーに投票しなかったのかなのであって、トランプがどうこうではない。しかし思うわけである。ヒラリーとは、元アメリカ合衆国のファーストレディであり、大統領の奥さんとは、この国を代表する

  • お金持ち

だよなあ、と。どうしてそんな「セレブ」が自分を代表してくれていると思えるだろうか。なぜ民主党はもっと「庶民派」の候補を擁立できないのか。まさに、TPPと同じく、大企業やお金持ちたちが

  • グル

になって、

  • 談合

しているようにしか、ヒラリーは思えない。本当に「ヒラリー」に、一般庶民の「気持ち」が分かると、一体だれが思えただろうか。もちろん、彼女の学生時代からの、それなりのフェミニズム的な活動をもって、彼女をそういった一枚岩な解釈をすることに反対する人もいるであろう。しかし、多くの戦後のアメリカの「裕福な中間層」から、現代の、特に白人労働者階級の人たちの

  • 没落

に彼女はどこまで「同情」的であっただろうか。
大事なことは、代表民主制において、候補者が

  • 自分を「代表」しているのか

どうか、だということである。なぜアメリカの民主主義はこの基本を忘れてしまったのか。ヒラリーは労働者を代表しているのだろうか。彼女は労働者に向かって、なにを言ったのだろうか?
トランプの勝利が伝えられてから、アメリカのドル高が続いているわけで、このことのアメリカ国内の製造業に与えるインパクトを考えるなら、これはトランプの意図しているところではないわけであろうが、他方において、トランプの政策は金持ち減税でもある。アメリカの迷走は続く。
さて。掲題の論文は、いつ書かれたのだろうか? あまりよく分かっていないのだが、ブッシュ政権とか言っているので、イラク戦争とかその辺りなのだろう。

急進派----合衆国についての見方はノウアム・チョムスキーゴア・ヴィダルの書き物から引き出される----の視点からすれば、この傲慢さは、われわれが結局合衆国の仮面をはがして、その本性を万人に明らかにした結果である。だが、私のようなリベラルの観点からすれば、それは、われわれが二〇〇〇年にとりわけひどい大統領を選び、二〇〇四年に彼を再選した結果である。「アメリカは結局その本性を露わにし、自分が恥知らずの帝国主義的権力であることを暴露したのだ」と急進派は言う。これに対して、「もちろんブッシュの取り巻きたちが今権勢をふるっているからといって、それは彼らがいつまでも思い通りにできることを意味するものではない」とリベラルは言う。

まあ、確かにブッシュ大統領の後は、オバマ大統領になって、民主党が政権を取り返したという意味ではそうでしょうけど。ま。また、トランプになっちゃいましたけどね。

合衆国には他国に干渉する権利はないと言うチョムスキーに、われわれは同意しない。独裁者に支配された国を制圧してそれを民主国家に変えるために民主諸国の軍事力を使用することは、左派的視点から完璧に擁護できるとわれわれは考える。侵攻に対するこの弁明は、とりわけ、ナポレオン、ムッソリーニスターリン毛沢東アイゼンハワーニクソン、そしてブッシュによって、不当に使われてきたが、だからと言って、それは不当に使われるしかないというわけではない。左派であるということは、国際協調主義者であることである。そして、国際協調主義者であるということは、キム・イルソン、サダム・フセインピノチェト、ミロソヴィッチ、ムガベのような人が自国民や近隣の国民を迫害しているとき、世界の残りの人々は彼を打倒するよう試みるべきだと信じることである。

こうやって見ると分かりやすいが、リチャード・ローティの言う「リベラル」とは、急進左派ではなく、

を肯定するところから始まる。つまり、冷戦は「正義」の戦争だった。もちろん、だからといってベトナム戦争を肯定できない。さまざまなアメリカの「帝国」的振舞いを肯定できない。しかし、そのことと、冷戦が「正義」だということとは矛盾しない。ようするに、アメリカは

  • 漸進的(=プラグマティック)

に、少しずつ、前に進んでは、後ろに下がるを繰り返して、前に進んでいけばいい、というわけである。
しかし、だとするなら、結局のところ、リチャード・ローティの言っていることは、全体としては「右寄り」の政策の肯定ということになる。
リチャード・ローティは、その延長で、上記のように、「侵略戦争」を肯定する。独裁者は殺していいんだ。独裁者とは戦争していいんだ。それが

  • 国際協調

になっていれば。しかし、その理屈は「どんな暴力も、<いじめ>ならいい」と言っているようにしか聞こえない。
例えば、今回の選挙でトランプが当選して、じゃあ、トランプを暗殺していいのか。アメリカに、世界中の国家が協力して、「侵略」していいのか。リチャード・ローティは「自分は急進派左翼ではない」と言うために、独裁者を殺すための「侵略戦争」を肯定する。なぜなら、彼らが

  • 独裁者

だからだ。しかし、そうして「中東」にアメリカは何度も介入して、中東のさまざまな「力のパランス」を壊して、まったくのアナーキーを作った成れの果てがISなわけであろう。ようするに、リチャード・ローティが今の世界の暴力の連鎖を生み出しす理屈を肯定したから、こうなっているのであって、こういった哲学者が自らの「急進左翼」との差別化を言いたいがためのこういった態度が、世界を暗黒の中世にするのだ...。

別冊「本」RATIO 01号(ラチオ)

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