悪魔による宣戦布告

いつものように、東浩紀先生の『観光客の哲学』から始めるわけだが、この本でなんでこんなことを突然言い始めているのか分からない文章がある。

永遠平和の体制に参加する国は、専制的であってはならない。国民が王に盲目的にしたがう国ではなく、自分たちで自分たちを統治する国でなくてはならない。これがまず第一の条件だ。
最近の日本では「民主主義」という言葉が便利なキャッチフレーズとして広まっているので、このように記すと「それは民主主義的な社会であれということか」と受け取る読者がいるかもしれない。しかしカントは「民主主義的でなければならない」とは述べていない。共和主義(統治方法についての概念)と民主主義(統治者の人数についての概念)は本質的に異なる概念であり、民主主義的ではない(統治者の数は少ない)が共和主義的である(行政権と立法権が分離している)社会は十分にありうる。カントが重視したのは、あくまでも共和主義のほうであり、むしろ民主主義は否定している。

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

しかし、歴史的な文脈がどうであれ、現代には現代の民主主義の解釈があるんだから、なんでこの当時のカントの解釈の説明を聞かされなければならないのだろう? しかも、よく分からないのが、上記の引用は前半は、カントの「民衆制」の説明でありながら、最後はそのカントの意味の「民衆制」に対する、カントの評価の説明なのであって、

  • カントによる、現代的な意味での民主主義の評価ではない

というわけで、ますます、なんでこんな「どうでもいい」ことを聞かされなきゃなんないのか、といった徒労感が強くなるわけである。
さて。
そもそも、なぜこんなところで、「民主主義の否定」「共和主義の肯定」といった話を始めたのだろうか?

しかし、こうやってヘーゲルとか読んでいても、民主制なんて別に支持してないよな。カントもルソーも民主制支持してないし。むろんトクヴィルやバークは民主主義反対。最近は妙に「民主主義」なる言葉がバブってるわけだけど、それをすばらしいって言ったのはいったいだれということになっているんだ?
@hazuma 2017/01/09 01:23

トランプはじつはまともだとか、アメリカ人は本当は彼を選んでいないとか、その手の話はすべて現実逃避にすぎない。アメリカ人は合法的に彼を選んだ。彼はまともじゃない。それがすべて。ここから唯一出せる結論は民主主義には欠陥があるということだよ。
@hazuma 2017/01/29 11:33

ようするに、トランプやブレクジットによって、民主主義の欠陥が問題となっているのだから、それを代替しうるものとして、みんなで

  • 共和主義

に移行しよう、と言いたいようである。
しかし、その前に、この「民主主義」を「素晴しい」と言った人は誰なのかの質問に答えるなら、どうなるだろう?

だが、ジョセフソンの指摘にもあるように、ロックは様々な統治の形態を紹介しつつも(ST, 132)、自らはある種の形態を推奨しているように見受けられる。それは、人民による選挙を通じた代表者たちで構成された立法部を持つ形態である。端的に言えば、ロックは民主政(Democracy)を推奨している(ST, 132)。このことは、立法部は人民が選ぶとしている箇所から確認できるだろう(ST, 141-142, 154, 212, 220, 222, 243)。
また、ロックは最高権力である立法部も、被治者自身の同意が無ければその所有物を取り上げることはできないとしている(ST, 138)。というのも、本書第一章で既に述べたように、人間はプロパティに対する排他的権利を持っているからである。だからこそ、人間から所有物を取り上げるには、本人の同意、あるいは自身の選んだ代表者の同意が不可欠なのである(ST, 138-140)。従って、ロックの言うプロパティの有する排他性に鑑みれば、ロックは民主政を推しているのである。つまり、立法部の同意を確保できるような仕組みになっていなければならないのである。

ロック倫理学の再生

ロック倫理学の再生

まあ、普通に考えればそうだよねw なんで今、世界中で民主制がデフォルトになっているのかって、アメリ憲法も、国連憲章も、ジョン・ロック型の

  • 世界観

を踏襲して、それが世界のデフォルトになっているからであって、つまりは、世界は今、「ジョン・ロック型の民主主義」によって覆われているのにも関わらず、いわゆる「哲学者」たちが、徹底してジョン・ロックを無視しているから、こういった意味不明の発言が次から次へとダダ漏れてくるわけであろうw

例えば、「哲学の教科書」と銘打ったシリーズに倫理学の教科書を執筆した永井に至っては、社会契約論を扱う章の中でホッブズを説明した後、以下のように書いている。「ロックの倫理思想は自然法思想の典型として、思想史的には興味深いものですが、なんでも神から与えられた自然法にもとづかせてしまうところがるので、今日的な知的関心からすると内容が乏しいという慯みがあります」。そして、永井はロックを一顧だにせず、即座にヒュームの解説に入ってしまうのである。

ロック倫理学の再生

ロック倫理学の再生

まあ、こういった「ニーチェ推し」の哲学者たちが、ジョン・ロックをまともに「読めない」のは、ある種の必然なのかもしれないがw、いずれにしろ、現代哲学においては、ジョン・ロックは徹底的に無視されている。ジョン・ロールズの正義論も、その社会契約論のベースはカントに依拠しており、慎重にロックを排除しているし、ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』も、その本質的に依拠しているのは、カント哲学だ。
しかしね。問題はロックの哲学理論の「体系」性にあるわけである。なぜ「信託」なのか? というか、そういった「パーミッションマーケティング」なしに、なぜ国民は自発的に、統治に協力する、と思えるのか? すべては「自分で約束は守ると言ったから」という関係なしには、どんな対人間の関係も成立しえないわけであろう。ようするに、ロックは徹底した「コミットメント」の哲学者なのであって、ここを無視して、現代の世界システムを理解できるはずがないわけである。
さて、結局、カントは上記の最初の引用での個所にある、『永遠平和のために』の第二章において、なんと言っているのだろう?

つまり代表制ではないすべての統治形態は、元来奇形であるが、それは立法者が同一の人格において同時にかれの意志の執行者であることができるからである

永遠平和のために (岩波文庫)

永遠平和のために (岩波文庫)

これに反して、民衆的な国家体制はそれを不可能にするが、というのも、そこでは全員が主人であろうとするからである。
永遠平和のために (岩波文庫)

だが統治方式には、それが法の概念にかなっている場合は、代表制度が属していて、共和的統治方式はこうした代表制度においてのみ可能であり、この制度を欠くと、それは(どのような体制であろうとも)専制的で暴力的なものとなるのである。
永遠平和のために (岩波文庫)

まあ、普通に読めば、「直接民主主義はダメだ」と言っていて、けれども、「間接民主主義(=代議制)はOKだ」と言っているように聞こえるわけだが、どう思われるだろうか?
ある程度の大きさの国家になると、どうしても直接民主主義は成立しない。それはカントも言っているように、直接民主制と言いながら、実際には、だれかによる「代弁者」にならざるをえないわけだから、結局はそれは、欺瞞だからダメなんだ、というわけであって、別にジョン・ロックの民主主義とそんなに変わらないわけだよねw
そもそも、近年において、共和主義とわざわざ、この言葉が使われるとき、主に二つの側面がある。一方は、王制に対抗する意味での共和制で、こちらは、独裁ではない、というところに力点があるわけだが、この文脈では王制が問題となっているわけではないから、こちらの意味ではないだろう。
他方は、「民主主義との差異」ということで、議論されることがある。それは、ウィキペディアでも強調されていたが、

  • たとえば、選挙権や被選挙権を国民全員に与えるか、なんらかの「能力」に基いて「制限」するのか

に関係して議論されてきた。つまり、「人的資本」のようなものが、ある一定のレベルになければ、こういった「選択」に関わったとしても、内容が難しくて、理性的に「選べ」ないのではないのか(「選ぶ」能力がないのではないか)、といったわけである。
つまり、共和主義とは実質的には、「エリート主義」のことを言っているわけである。トランプのような「教養」のない奴がこうやって、大統領になってしまわないように、ヒラリー・クリントンのような「優秀」な人しか、選挙に立候補できないようにしよう、今トランプに投票をしているような、低学歴層の選挙権を剥奪して、大学卒以上の「エリート」だけに、選挙権を与えよう、というわけである。
しかし、ね。
果して、トランプとヒラリー・クリントンのどちらが、当選すべきだったのかについては、相対的なことしか言えないのではないのか? もしもヒラリー・クリントンが当選していたなら、それまでのオバマの政策を引き継ぐわけで、それこそ、ウォールストリートの既得権益層の言い成りの今迄通りの政策を、

  • 今回さらに国民の同意を得られた

という言質をとったということで、より金持ち優遇の貧乏人冷遇を強力に推進しただけであっただろう。
そもそも、トランプはアメリカの大統領であるということは、しょせんは「行政機関」のトップであることを意味しているに過ぎず、もしもトランプが問題なら、アメリカの議会は、トランプを罷免すればいいし、実際、そうしようとする動きはずっとあるわけだし、トランプ自身も、そういった勢力の牽制を意識しながら、デリケートに政策運営を行っている側面もある。
このことは、東浩紀先生自身にも言えるわけで。

ぼくは最小福祉国家主義者で、国家は国民の最低限の安全保障と市民生活を維持するのが仕事で(そして実際それで精一杯なはずで)、クリエイティブな才能を伸ばすとかイノベーションを支援するとかには手を出さず、そっちは規制緩和でいいと考えている。だから官僚に夢を与える話はできないのよね。
@hazuma 2017/09/11 12:49

そして日本の最大の問題は少子高齢化なのだけど、これこそ考えてもどうしようもないことで、いま必要なのは高齢者への年金給付だか社会保障だかを大幅に引き下げることなんだろうけど、これは政治的に絶対的に不可能なので、議論しても意味がない。この点でも夢を与えることができない。
@hazuma 2017/09/11 12:51

いやはや。恐しい。普通、「夢」という言葉は、どんなに困難な壁があっても、それを打ち破ろうと立ち向かう、人生の「目標」のことを言うわけでしょう。それに対して、先生は

  • 自分の夢の「壁」は、年金や社会保証だ

と言っているわけでしょう。おそらく、東浩紀先生は死ぬまで、この「壁」を壊すために、パブリックな場では、その「意図」を隠しながら、クーデター的に、暗躍することを誓っているんだよね。恐しいね。
私は、金額の多寡を言ってもしょうがないとしても、基本的に、今の福祉はまったく「足りない」と思っているし、なんとか、これを充実させる方法はないか考えるけれど、それはたとえ少ないお金しか用意できなくなったとしても、今以上のサービスを提供できる「工夫」はないかを、死ぬまで考え続けることだと思っている。
ところが、東浩紀先生の「生き甲斐」は、

  • 福祉破壊

だと言っているんだから、すごいね。こんな人を、「友の会」とかいって「応援」している人たちがいるんだね。すごい世の中だよ...。