柄谷行人は結局なにをやっているのか?

山川賢一さんが、以下のブログの記事で、いかに柄谷行人が「おかし」いか、といったことについてまとめられているわけだが、私なりに気になった点を以下ではまとめておきたい。
この方については、何度かこのブログでとりあげたが、基本的に東浩紀先生の問題点を以前から指摘されている点については私も学ばさせてもらっているところがあるわけだが、ではこの「柄谷行人」批判はどうなのだろう、といったところだろうか。

柄谷は80年代に日本で起こったポストモダン思想ブーム(ニューアカデミズムと呼ばれる)を牽引した人物のひとりだが、この時点ですでに彼の発言にはトンデモな面があった、とぼくは考えているからだ。
柄谷行人がおかしくなったのは最近のことなのか――ポストモダンと代替医療|しんかい37(山川賢一)|note

記事の最初では、最近の柄谷の憲法9条徳川時代の「平和」をリンクさせた発言について、多くの有識者が「トンデモ」だと発言していることを受けて、彼の発言は以前から「トンデモ」な面があった、といった説明に移っていく。
しかし、こういった憲法9条を「平和」と結びつける議論は、日本の多くの左翼が行ってきたことであるし、言ってみれば、「市民運動家がいかにも言いそうなこと」でしかない、といった印象しか受けない。
つまり、これが「トンデモ」だというのは「当たり前」で、しかし、だからといって、柄谷にしてみれば「So what?」でしかないわけであろう。
しかし、おそらく著者にしてみれば、その主張の主題は後半にあるわけで、では後半では何を言っているのか、ということになる。

彼がポストモダン派以外のなにものでもないことをいまから示してみたい。
柄谷行人がおかしくなったのは最近のことなのか――ポストモダンと代替医療|しんかい37(山川賢一)|note

柄谷が唱えた奇妙な結核論の背景にあるのは、文化が人間の認識を土台から支配しているとする、ポストモダン派の理論だ。
柄谷行人がおかしくなったのは最近のことなのか――ポストモダンと代替医療|しんかい37(山川賢一)|note

私がよく分からないのは、ポストモダンというのは「定義」の問題なんだろうか? 私が基本的に「ポストモダン」といったものの文脈を考えるときは、以下の本がよくまとまっていて、この文脈で考えている。

もう一人のレヴィは一九四八年生まれなので、六八年五月のとき二十歳前だった。彼は七八年に、雑誌で「ヌーヴェル天フィロゾフィー(新しい哲学)」についての特集を依頼され、グリュックスマンとともに「ヌーヴォー・フィロゾフ」として認知されていく。ここでは、レヴィが「間もなく三〇歳になる」ときに出版して、たちまちベストセラーとなった書物『人間の顔をした野蛮』(一九七七年)を取り上げ、「新哲学派」が何を主張したのかを確認しておこう。彼は『収容所群島』の衝撃を、次のように語っている。

では、『収容所群島』から、何が変わったというのだろうか。一言でいえば、ソヴィエト連邦の「収容所」が、単にスターリン時代の例外といったものではなく、マルクス主義そのものに根ざし、さらにはマルクス本人とその書物(『資本論』)に由来することだ。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

こうして、レヴィは鮮明にマルクスおよびマルクス主義批判を打ち出すとともに、他方で「新しい極左主義の流行」として、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』への批判も行なっている。レヴィによると、『アンチ・オイディプス』は「六八年五月」の運動を引き継いでいるが、基本的な発想はマルクス主義に依拠しているのだ。したがって、『アンチ・オイディプス』の思想もまた、「新しい全体主義」として、「人間の顔をした野蛮」と呼ばなくてはならない。
このような「新哲学派」のキャンペーンは功を奏して、七〇年代の後半になると、マルクス主義への信頼だけでなく、「六八年五月」への共感も、さらには革命的左翼への希望もすっかり消え去ってしまった。
それに追い討ちをかけるように発表されたのが、ジャン=フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(一九七九年)である。リオタールは、当時アメリカで流行していた文化概念「ポストモダン」を取り上げ、それに哲学的な定義を与えたのである。この概念はもともと、多様性や異種混合性などを特徴とした「ポストモダン建築」において使われていたが、リオタールは先進社会の知的状況をさす言葉へと拡大したわけである。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

リオタールがポストモダンを特徴づけるとき、「モダンの大きな物語は終わった」、と規定したのは有名な話であろう。このとき、モダンの「大きな物語」には、マルクス主義の原理(「労働者としての主体の解放」)も含まれている。したがって、リオタールのポストモダン論は、マルクス主義的な革命思想への葬送曲と理解することができるだろう。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

つまり、リオタールが「ポストモダン」を言い始めるきっかけには、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を出発点として、左翼批判の観点があった。結局左翼ではダメなんだということを、まさに左翼の「バックラッシュ」として、右翼というか、ある種の「資本主義の肯定」という形で、リオタールの消費社会論が提示された。
それに対して、東浩紀先生は自ら著書で宣言しているように、彼自身が自らを「ポストモダン」だと言っているわけで、つまり、東浩紀先生なりに、こういったリオタールなどの、

  • 左翼批判

の延長で活動されている、ということを明確にされているわけで、私なりの視点ではここがポイントだと思うわけである。
対して、柄谷行人を「ポストモダン」だと言うときに、上記のように「何か」で「証明」すればすむようなことなのか、というのが違和感としてあるわけである。
はっきり言ってしまえば、柄谷行人は、どまんなかの「左翼」なわけであろう。というか、東大の初期の全共闘に関わり、基本的に彼は今に至るまで、こういった左翼の「正義」にコミットメントし続けている。それを「トンデモ」と言うのは、まあ、左翼でない人にはそうなんだろうが、少なくとも、上記の文脈と合わない印象を受けるわけである。

柄谷は、日本人が近代医学を信じてしまうのは、西洋由来の「風景」というヴァーチャルリアリティにのみこまれているためだという。ならばなぜ、当の柄谷だけが「風景」の洗脳を逃れ、近代医学の誤りを指摘できるのか。彼の主張は「世間の人々はみなまちがっている。私だけが真実を知っている」という独善的な前提にもとづいているように思える。
この特徴は、柄谷だけにみられるものではない。ポストモダン派は人間の認識能力がいかにあてにならないかを語り、自然科学のように、真理を求める実証的な学問を批判してきた。そのいっぽうで彼らは、しばしば実証的な学問ではありえないような乏しい根拠にもとづき、歴史や社会をめぐる壮大な議論を展開する。こうした態度の裏には、やはり「私だけが真実を知っている」という慢心があるのではないだろうか。
柄谷行人がおかしくなったのは最近のことなのか――ポストモダンと代替医療|しんかい37(山川賢一)|note

うーん。そういった「慢心」というか「傲慢」さはあるんだろうが(それこそが、左翼エリートの特徴だと言ってもいい)、それ以前に、

  • 自然科学のように、真理を求める実証的な学問を批判してきた

と柄谷は主張しているのだろうか? つまり、柄谷は一体何を「批判」しているのか? こういった表現をされると柄谷は

  • 実証的なものはダメ

と言っているように聞こえるのだが、そんなことを言っているのだろうか? あと、自然科学は「真理を求める」学問なのだろうか?

農夫の比喩に関しては、とりたてていうまでもあるまい。船乗りと商人の対極を考えればよい。彼は共同体の内部に属する者であり、また何とか操作しうる自然を相手とする者である。彼は、自然に対して無力であるがゆえにその構造を見きわめようとするどころか、自然に対してたち向かいそれを支配しようとする。すなわち魔術によって。もちろん魔術は自然を動かすことはできないのだが、そのことで挫折したりはしない。なぜなら、その代りに人間を動かせばよいのだから。
シャーマニズムは、個体を共同体に同致させる技術である。シャーマンの「言葉」は、共同体の意志、あるいは共同体の矛盾を察知しそれを解消させようとする意志を示す。エリアーデは、シャーマニズムに宗教の普遍的基礎を見たが、世界宗教はそれを否定することなしにありえなかったのである。世界宗教は、商人と同じように共同体の外の「世界」において「他者を愛する」ことを説くのだから。しかるに、魔術は自己愛的であり、人間中心主義的であり、「感情移入」(ヴォリンガー)的ではあるが、実際は他者(外部)をもたず且つけっしてそれに出会わないような思考なのである。それは説得のための言語を必要としないし、むしろ言葉をしりぞける。なぜなら、それは「言語的分節をこえた実在」に向かうからだ。われわれは本来「実在」を知っているはずなのに、言語によってそこから遠ざけられている、というわけだ。
あが、他者を強制する権力に転化しないような神秘主義などありえない。なぜなら、それは「実在」(真理)を握っているからであり、万人がそれに従わねばならないからである。また、「真理」の実現をさまたげている者は排除されねばならない。この意味で、「理性」が、魔術を排除し非理性(狂気)の領域に追放したなどというのは当たっていない。理性やイデアというものは、むしろ魔術に由来し、魔術的に機能するのである。

探究2 (講談社学術文庫)

探究2 (講談社学術文庫)

これは柄谷の、『探究2』からの引用だが、上記の引用からも分かるように、この本では、「理性」すら疑われている。事実、幾つかの個所でカントが批判の対象となっているわけで、そういう意味では「トンデモ」であるわけだが、しかしこういった「懐疑」の文脈において、デカルトスピノザの懐疑を意識して書かれているわけで、まさに「科学」の出発点に潜むそういった「トンデモ」を使って、カントを批判しているわけであろう。
また、この本では幾つかの個所で

  • 科学とはなんなのか?

ということについて分析がされている(つまり、科学論だ)。そこにおいて「実証的なものはダメ」なんていう、単純なことが書いてあっただろうか?
なんというか、私が上記のブログの記事に違和感をもったのは、柄谷が「トンデモ」であることを「ポストモダン」と関連させて主張されようとしていることに対してなのであって、だったら、中沢新一とか、吉本隆明とか、いわゆる「現代思想」系の連中が、どんだけ今まで「トンデモ」なことを言ってきたのか、っていうことを外して、柄谷だけの問題であるかのように言うのも変なわけで、というか、今だって、いっくらでも、変な仏教系の知識を、まるで「真実」であるかのように語っている連中なんて、ごまんといるわけで、こういった連中はなんで「トンデモ」って言われないんだろうかな、とか素朴に思うわけである。
(柄谷について言えば、確かに『探究1』『探究2』あたりはそんな感じであったが、「探究3」とか「トランスクリティーク」とか、そっちに行くと、今度はカントを妙に評価し始めるわけで、それと平行して、「世界史の構造」だとか「交換関係」だとかいった、どっちかというと、『探究2』が素朴に否定していたような、常識的かつ分析的で、ある意味実証的な仕事を始めるわけで、どっかしら丸くなったのだろう、とは思いますけどね。)
例えば、上記の引用で「魔術」と言っているのは、ようするに「御用学者」のことなわけであろう。いかにも、「左翼」が言いそうなことなわけであろう。私は東浩紀先生は、典型的な「御用学者」だと思っているけど、そういった連中を柄谷は批判しているわけで、そういう意味では、ど真ん中で「左翼」なわけで、私から言わせれば、柄谷が言っていることは、ずっと、なんらかの意味での「左翼」の「正義」の話でしかない、と思うんですけどね...。