千葉雅也「ラディカルな有限性」

千葉先生による、思弁的実在論についての哲学史的なまとめが、雑誌「現代思想」に掲載されているが、ここでは、そこでの指摘を敷衍していき、私なりの、特に、ここで説明されている

  • 日本の文脈

なるものに対して、その総括を行いたい。

カント以後、我々は「物自体」の認識はできない、我々は思考の枠組み=「超越論的なるもの」によって整序された限りでの「現象」を認識している、という立場が哲学史において標準的となった。我々は、思考と「超越論的に相関する」限りでの事物(現象)のみを認識できる。このことをメイヤスーは相関主義と呼ぶ。そして、ハイデガーも、後の現代思想ポスト構造主義)も、ウィトゲンシュタイン以後の分析哲学も、相関主義の圏内にあるのだとされえる。そこでメイヤスーや、哲学の新たな地平を開くべく、相関主義から離脱せよというスローガンを掲げたのだった。

ここでの引用において、メイヤスーの「物自体」にまつわる主張が、あくまでも、「メイヤスーの主張」として限定化されていること(なんらかの、「証明」されたこととか、「真実」として紹介者によって説明されていないこと)が特徴であろう。ちなみに、『有限性の後で』の訳者解説では、以下のように記述され、もう少しラディカルな「結果」として総括されている印象を受ける。

世界は、私たちの考え方に依存する形で私たちに現れれおり、また逆に、世界の何かに関わっていない思考(思考だけの思考、純粋思考?)をすることもできない。思考と世界、世界と思考は、いつでも互いに「相関」していて、私たちはこの相関の外に出ることはできない。このことをメイヤスーは、本書で「相関主義(corelationisme)と名づけた。そして、カント以来(遡れば、バークリー以来)、近代哲学の基本的前提は久しく相関主義であり続けてきたが、これは自然科学とは根本的に相容れないものだと見るべきである、ゆえに今こそ相関主義から脱出しなければならない、と大見得を切ってみせる。
(千葉雅也、大橋完太郎、星野太「訳者解説」)

有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

つまり、ここで「バークリー以来」と言っているということは、カントとバークリーの「共通点」において、

  • 自然科学とは根本的に相容れない

としているわけで、少なくとも、こういった認識はカントにはなかった、といった視点はないわけで、つまりは、メイヤスーとカントでは、なんらかの「認識の不一致」が起きているのにも関わらず、訳者はその説明をしていない、というところがポイントとなる。
しかし、他方で訳者は以下のように述べることで、カントに対しては、一定の「距離」をメイヤスーととっている。

ところで、先に「物自体への旅」という表現をラフに使っておいたが、物自体という用語は、カント哲学の用語として「認識不可能」の意味を含むものなので、メイヤスーの目的地については、それとは区別された言い方をするべきだろう。本書では、カント的な意味での物自体ではない、認識可能となった物自体を、「事物それ自体」「それ自体における事物」「実在」などと表現している。
(千葉雅也、大橋完太郎、星野太「訳者解説」)
有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

つまり、ここで言う「物自体」は、あくまで

  • 比喩

なのだから、あまり、めくじらを立てないでくれ、と言っているわけで、じゃあ、カントがどうとか言わなければいいんじゃないのか、と思わなくもないが、こういった

  • 言い訳

はどこか、「クラインの壺」だとか「ゲーデル不完全性定理」だとかといった言葉を、そのままリテラルに本文で使っておきながら、実は

  • 比喩

だったんだ、と「言い訳」を繰り返す、いつもの「現代思想クラスタの「風景」となるわけw つまりは、これをソーカルの『「知」の欺瞞』は糾弾していたわけで、こういった

  • 煽り芸

はいつになったらやめるのかな、といった総括になるだろうかw
いずれにしろ、こういった「説明」は本文にはないのだから、言ってみれば、訳者自身が「執筆者」の意図を超えて、なにかを語っているということに、微妙な「立場」の揺らぎのようなものを感じる。
ちなみに、メイヤスー自身の主張の文脈に則って、議論を振り返るなら、むしろ、ここでの主張の論点は「物自体」うんぬんではなく、「数学」の扱いの方に重点があることが分かる。

第一章でメイヤスーは、近代科学は数学によって事物それ自体に絶対的にアクセスできている、と認めることから議論を始める。こうした数学の特権性は、もちろん、あくまでも仮定的に承認されれいる。事物それ自体・世界それ自体への旅は、数理的な自然科学を今改めてどのように基礎づけるか、という大きな課題に一致せざるをえない。
(千葉雅也、大橋完太郎、星野太「訳者解説」)
有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

メイヤスーがなぜか「こだわって」いるのは、放射年代測定などによって、人がまだいなかった過去の時代について、科学が「語れる」ということを「不思議」と思うのかどうかなわけだが、しかしそれにしたって、今ある物質の「測定」から、そういった「仮説」から導かれる結論を、暫定的な科学の主張としているわけで、その時代に人間がいたかどうかは、まったく関係ないわけでしょう。もしも関係があると考えるなら、それは、バークリーやフィヒテのような「自我的観念論」においてなわけで、少なくとも、カントとは関係ない。しかし、いずれにしろ、ここでメイヤスーが「問題」としているのが、放射年代測定などに間接的に関係している

  • 数学

に対してに、ポイントがあることが特徴となっている。
ところが、この本全体を通しての、メイヤスーのこの数学での「ポイント」は、さらに論点が移っていく。

哲学史をふまえ、論理的に「絶対的なもの」を確保する。その過程で、ある特定の数学の哲学が、論理的な要請に促される形で浮上してくる。それは、カントールの無限集合論に「存在論的」な射程を認めるという立場である。けれども、この立場は間接的に支持されるに留まり、本書は幕を閉じる。
(千葉雅也、大橋完太郎、星野太「訳者解説」)
有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論

つまり、問題は数学というより「カントール集合論」だと言うふうに変わってしまったわけであるが(さて、カントール集合論と放射年代測定になんの関係があったのかは知らないけど、あれだけ、放射年代測定は問題だ問題だと言ったんだから、結局なにが問題だったかくらいは自分で始末できないのかねw)、なんというか、この本においては、そう言ってはみたけれど、それは「仮説」的に言ってみた、といったレベルで、別に、なにかを証明したわけでもないし、そのことによって、最初の問題が解決されたわけでもないし、なんだったのかな、といった徒労感だけが残る、という感じだろうか。
こういった内容を受けて、掲題の論文では、今の状況を以下のようにまとめている。

SRは現在、純哲学的な提案というよりは、社会的応用がどのように可能かをめぐって展開している。一方でそれは加速主義であり、他方でOOOの応用である。

まあ、そうだよな。カントの物自体が問題だ、と言ったと思ったら、それは関係ないと言い始めて、じゃあ、何が言いたいのかと、ごちゃごちゃと言ってみても、それが最初にやたらと強調された、放射年代測定などとなんの関係があるのか、一向につまびらかになっていかないし、まあ、誰もこんな議論にはコミットメントしたくない、といった感じなのだろう。
さて。
掲題の論文は、もう一つ、興味深いポイントについて提示している。つまり、こういった議論と「日本の文脈」なるものについて、というわけである。

我々の思考=内部が、その外部、すなわち、物自体=「不可能なもの」であるXを取り込もうとしては失敗するという運動が、相関主義である。このことが、ポスト構造主義において、なかでもラカンデリダの考察によって明示された。そして日本現代思想においては、浅田彰が『構造と力』でそれを「クラインの壺」としてモデル化し、さらに東浩紀が『存在論的、郵便的』において「否定神学システム」と呼んだのだった。
ごく図式的に話を進める。まず言えるのは、SR的外部とは、クラインの壺モデル=否定神学システムの外部に他ならないということだ。このことは仲山ひゆみもブログ記事「哲学のホラー----思弁的実在論とその周辺」において示唆しているが、本稿ではさらに展開したい。
こうした図式はラカンの概念によって言い換えることができる。ラカン精神分析理論においては、いわゆる「現実界」が相関主義的外部に当たる。それは、「想像界」(イメージ)と「象徴界」(言語・記号)が構成する認識の平面に取り込まれ損ない続ける「何か」である。、これに対し、SRは「現実界の外部」を問題にしていることになるだろう。ラカンの三項図式の外、第四の次元が、SR的外部なのである。

ようするに、掲題の著者の論点は別に、メイヤスーが本当は何を考えているのかとか、そういったところにはないわけである。本当はメイヤスーがなにを言いたいのかなんか、どうでもいい。関心があるのは「こっち」の文脈だ、というわけで、ようするに

のことをずっと語りたいし、この「問題」をずっと問題にし続けている、というわけなのであって、なぜそれを「現代思想」と呼ぶのかは、まあ、誰にも分からないw
そこで、上記の引用に合わせて、この文脈なるものを、私なりに振り返らせてもらった上で、こういったもの(ラカン精神分析なるもの)を、こういった文脈に

  • 関係のない人たち

つまり、私たちがどのように扱えばいいのか、といったことについて、示唆できればいいかな、といったことを目標にしてみよう。
ところで、浅田彰の『構造と力』については、実は、上記の引用にあるように、カントの物自体について言及している個所がある。

カントは、主観に対して現象する対象はすでに人間主観にア・プリオリに具わった形式によって構成されたものであり、そのような構成に先立つ「物自体」について語ることはできない、と論じた。
現象界と物自体界、透明な表彰体系とその外部の《暗部》。後にショーペンハウワーがこれを《表彰としての世界》と《意志としての世界》という形で読みかえたことを付け加えることができる。
こうした二世界説は、最終的には、形相 / 質料、観念 / 物質の二元論に由来するものであり、実際、観念論と唯物論の同位対立の恰好の舞台とならざるをえない。

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

ここで重要なポイントは、ここでの浅田彰による言及が、完全に物自体の

  • 二世界説

に旗色を鮮明にしていることなのだ。もっと言えば、浅田彰は完全に、カントの物自体を

  • ショーペンハウワーの解釈

に依存して主張している。つまり、これは実際にカントがなにを言っているのかに関係なく、完全な「ショーペンハウワー」論になっている、ということなのだ!
言うまでもなく、現代のカント研究者の間でも、カントの物自体に対する「二世界説」には多くの異論があるわけで、まったく「自明」ではない。つまり、浅田彰はもしもここの文脈を丁寧に議論をするのであれば、この文章の主語をカントではなく、ショーペンハウワーにするべきだった、つまり。

  • ショーペンハウワーは「物自体」について、以下のように語った。

というふうに始めなければならなかったわけだが、彼はそうしなかった。まあ、これで自分もカントと戦う戦士の一人となったと自慢ができるのだから、みんなこうしたいようであるw
ところで、浅田彰の『構造と力』は、全体の議論としては、いわゆる「構造主義」、つまり、山口昌男の一連の本が典型のように、共同体の内と外、それを混乱させる「祝祭」の役割とか、そこにおけるジョルジュ・バタイユの重要性(快楽の役割)といった議論に対する、一つのアンチテーゼとして、その内と外の弁証法を破るような形式

を、資本主義社会における「貨幣」の役割に見出すことで(「主体」の独我論的な「自我」の抜け出せなさを、貨幣という、主体さえもが次々と「商品」となって、流通していく、主体が次々と「客体」に変わり、を繰り返す構造)、言わば、「構造主義」の呪縛を破ろう、といった意図の下に描かれている、といった形だと思うのだが、ただ、浅田自身は自らこの「ネタ」の出所について、正直に、本書の中で告白しているわけである。

本章は一九六〇年頃までのラカンに重点をおいて書かれている。それ以降のラカンメビウスの輪をはじめとするグラフやアルゴリズムを駆使して秘教的な教説を述べ続けたラカンについては、資料が出そろうのを待って新たな論考を用意する必要がある。
構造と力―記号論を超えて

浅田がなぜこの本で「クラインの壺」の注目したのかは、こういった文脈から考えれば自明であろう、上記の引用の時期に、ラカンが「クラインの壺」に言及していたかは知らないが、メビウスの輪に言及した時点で、浅田がそれをクラインの壺に敷衍して思考することは自然なわけであろう。
しかし、そのことと「クラインの壺」が実際になにを言ったことになっているのかは、まったく別の話だ。クラインの壺は確かに、メビウスの輪と同じように、閉じられた平面でありながら、

  • 内と外がない

といった構造になっているわけだが、大事なポイントは、クラインの壺は3次元ユークリッド空間上には存在しない、というところにポイントがある。それは、4次元以上においてしか存在しない。よく、壺のような形で描かれるクラフは、ある種の「射影」操作を行うことで、擬似的に3次元的に表現をしているだけで、混乱の元なのだ。
しかし、大事なポイントはそこではない。浅田がここで注目した、「クラインの壺」は、そもそも、上記の引用にあるように、

の文脈に関係したものでしかない。つまり、厳密に議論をするなら、これはあくまでも、「ラカン」の議論の文脈に置かれることで始めて意味のあるなにかだ、ということなのであって(まあ、ラカンがそもそも意味のあることを言っているのかについては、今はおくとしてw)、私たちの文脈とは

  • 関係ない

ということなのだ。
ところで、浅田のこの本の後半は、さかんに柄谷行人に言及しているのだが、また、最後に載っている一覧において、「ポストモダン」という言葉が使われていること(モダン、つまり、資本主義社会を「クラインの壺」として、それ以降という意味で、ポストモダン、と)を考えてみれば、東浩紀の『存在論的、郵便的』がこの二つに関連して書かれることになったのは、ある意味で、当然なのであろう。
東浩紀の『存在論的、郵便的』はデリダ論となっているわけであるが、その切り口は柄谷行人の「ゲーデル不完全性定理」解釈から始まっている。

形式化の諸問題については以下、柄谷行人が八〇年代前半に行った一連の仕事、「内省と遡行」「隠喩としての建築」「言語・数・貨幣」を参照することにしよう。したがってここでは、いわゆる「脱構築」が「形式化の自壊」の運動そのもの、つまり、あるひとつのシステムから出発しその内在的逆説に到達する思考の運動であることは確認にとどめておく。柄谷が明らかにしたように、その運動は形式的にはゲーデル不完全性定理に等しい。実際前章でも触れたように、ド・マンによれば「脱構築」とは、テクストをオブジェクトレベル(コンスタティヴ)で読むかメタレベル(パフォーマティヴ)で読むか決定できない、その決定不可能性を利用しれテキストの最終的な意味を宙吊りにする戦略にほかならない。そして「脱構築」はその決定不可能性にこそ、テクストの開放性や他者性を見ると主張している。それゆえ柄谷にしたがえば、デリダの仕事は結局、形式化を押し進めることで否定的(ネガティブ)に「外部」を出現させるさまざまな運動の一変奏だと解釈される。

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

ここの事情も上記の、浅田彰のカントの物自体解釈と似ている。つまり、上記の引用で「言いたい」ことは、そもそも、ポール・ド・マンのテキスト論に主張に尽きているわけで、これだけなら、柄谷に言及する必要がない。柄谷も基本的には、このポール・ド・マンのテキスト論の文脈で思考する中で、それとの「ゲーデル不完全性定理」との、ある種の見た目上の「類似性(=対応関係)」を示唆したに過ぎず、ゲーデルは別に彼の主張の中心ではないわけだ(まあ、そうなのだろうが、彼は彼なりに「言い過ぎ」てはいるのだろうがw)。
問題は、この東浩紀の『存在論的、郵便的』の記述において、例えば、上記の引用にもあるが

みたいに「言い切って」いるわけであるし(これはソーカル先生に怒られるなw)、意味不明なまでに、この本には「ゲーデル」という言葉が、連投されすぎているわけで、東浩紀が「まとも」な、「注意深い」学者であったなら、ゲーデル柄谷行人という言葉を排して、あくまで、上記のポール・ド・マンからの引用からだけで、議論を展開したなら立派だったのだろうが、まあ、浅田彰のあの本の後継として書かれるには、それではインパクトがなかったのであろうw
この本では、浅田彰の「クラインの壺」に代わる概念として

と、それに対応した

  • 郵便

という言葉が強調されるわけだが、この言葉にそこまでの意味を与えようとする姿勢はどこか不自然、不健全な印象を私などは受ける。以下、少し詳しめに見ていこう。

すでに六〇年代からデリダは、彼自身が提示したさまざまな逆説的観念、例えば「差延」がきわめて否定神学的に見えることを十分自覚していた。ただしここで「否定神学」とは、肯定的=実証的(ポジティヴ)な言語表現では決して捉えられない、裏返せば否定的(ネガティヴ)な表現を介してのみ捉えることができる何らかの存在がある、少なくともその存在を想定することが世界認識に不可欠だとする、神秘的思考一般を広く指している(デリダ自身がそのような広い意味で使っている)。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

ゲーデル脱構築の残余物を神学化すること、デリダはこの誘惑に抵抗せねばならない。そしてまたそれは決してデリダ固有の問題なのではなく、体系的思考を乗り越えようとする試みがきわめて陥りやすい誘惑だとも言える。それゆえデリダは、「暴力の形而上学」におけるレヴィナス批判や「ラカンの愛に叶わんとして」におけるラカン批判など、形而上学批判のモチーフを共有する思想家たちに対してはむしろその否定神学性をこそ批判することとなる。したがって、自分の思考が否定神学に近いことを認めたうえで、かつそれを否定するデリダの抵抗の意味は、理論的にきわめて大きいのである。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

ここまでは、まあ、デリダの解釈であるから、いいのであろう。しかし、次の柄谷行人の「解釈」になってくると、少し事情が異なってくる。

八三年の「言語・数・貨幣」で一群の仕事が打ち切られたことは、柄谷もまたその危険に敏感だったことを示している。そのテクストはつぎのような一節で終わっている。

しかし、われわれは生物学的観点からではなく形式的な観点から、そのような問いをたてなおすべきである。なぜわれわれがとらえるのは、いつもすでに閉じられた形式体系であるほかないのか、と。だが、われわれはそうでないような形を一方に提示することはできない。自然成長性としての自然は、数学的(形式的)な構造によってはとらえられない。それは、そのような形式体系がぎりぎりのところで追いやられるパラドックスにおいてのみ、つまりネガティブにのみ示されるだけである。

この結論は明らかに否定神学的である。そしてこの地点から脱する、あるいはそこに抵抗するためにこそ、柄谷は八五年に「探究」シリーズを始めた。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

ここで「明らか」に否定神学的としれ「引用」された文章は、そのまま、リテラルに「否定」の文で「結論」部分が終わっている。しかし、逆に言うなら、「それが何か?」というわけであろう。ようするに、東浩紀の「否定神学」の「解釈」は、どこか

の様相を示しているわけである。彼は、世の中の「理論」と呼ばれれれいる言説の、こういった「結論が否定」の文章を、かたっぱしから、かき集めてそれらを

とレッテルを貼って、毀誉褒貶しれいる。つまり、それらがその文脈において、具体的に言おうとしていることと関係なしに、まさに、そういったレトリックを使ったという「形式」において、批判されるべきなにかと、こき降ろす「運動家」になり下がってしまっている。
しかし、いずれにしろ、他方において、彼が「否定神学でない」という意味で「賞賛」しているテキストとは、具体的になんなのか、については、以下が分かりやすい。

私の考えでは、『探究1』の柄谷もまたまさに同じ方向にクリプキの議論を先鋭化させている。彼はつぎのように記している。「たとえば、私が、ある言葉の『意味』を知っているかどうかは、私がその言葉の用法においてまちがっていないと他者(共同体)にみとめられるか否かにかかっている。もしまちがっているとしたら、他者は笑うか、『違う』というだろう。そのとき、私は『規則に従っていない』とみなされる。しかし、ここで注意すべきことは、そのとき、他者もまた規則を積極的に明示できるわけではないということだ。彼はただ『否』としかいえないのである」。規則は失敗からしか語れない。これは「否定的にしか語れない」という主張とは異なる。『探究1』は、コミュニケーションの様態を「話す-聞く」関係と「教える-学ぶ」関係とに区別している。これは私たちの言葉で言えば、誤配のない郵便と誤配に満ちた郵便の区別に等しい。「教える-学ぶ」関係ではコミュニケーションの成立は保証されず、暫定的に見出された規則はたえず他者により訂正される可能性を孕んでいる。そしれそこではまた「無限」の、すなわち超越論性の問題もコミュニケーションの具体的かつ郵便的な局面(教える-学ぶ)から考えられる。「ウィトゲンシュタインは『実無限』の問題をたんに経験論的な立場から放棄したのではなく、それをいわば《他者》との関係のレヴェルに移動させたのだ」。この認識は、私たちがいままで論じてきた後期デリダの理論的射程と深く呼応している。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

この引用は、確かに、さまざまな事象がまるで「対応」しているかのように紹介され、説得力があるように読めるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。
上記の柄谷の紹介する例において問題にされれいることは、このコミュニケーションの一つ一つが「成功」するか「失敗」するか、に焦点があるのではない。そうではなく、「教える」と「学ぶ」には

  • 非対称性

がある、というところにポイントがある。ところが、東浩紀の解釈においては、それは、

  • 誤配した郵便

  • 誤配しなかった郵便

の二つのケースに「分類」することに重点が置かれている。つまり、もしも東浩紀の「解釈」の側に立って、この例を考えるなら、結論としては、もう一つ「上」のメタの立場から、

  • 郵便の成功する「確率空間」

をシステムとして採用すればいい、という凡庸な結論にならざるをえないだろう(そして、実際にこのことは、後半のハイデガー解釈の凡庸さによく示されている、と言うこともできる)。そして、もっと重要なことは、ようするに、

と化した、東浩紀生の哲学は、結局のところ、

  • 否定的な結論の理論はダメ
  • 積極的な結論(=否定神学をまぬがれている)でなければ理論はダメ

と言っていることと、ほとんど変わらない人になってしまったわけで、そのことの含意が、それ以降の彼の「保守主義」的主張への理論的退行だった、ということになる(まあ、左翼リベラルは、保守派の伝統を「批判」する、「なんでも反対」な人たちなわけだが、それじゃダメということは、ようするに、保守派の「決断主義」を、そのパフォーマティブ性において、肯定する「だけ」の人たちに、後退していくわけで、実際に、保守派の人たちの言うことは、全部「肯定」なわけで、威勢がいいわけですけどねw)。
例えば、

同様に柄谷もまた、九〇年代にはしばしば理論的に後退していると思われる。例えば彼が九三年に始めた「探究3」には明らかに、超越論性の条件を「主体」の構造、あるいは構造の欠如から位置づける試みへの回帰が読まれる。「カントがいう超越論的主観は超越的主観ではない。それは超越論的に見いだされえる主観である。それは、自己意識あるいは言語的に対象化されるコギトではなく、それを可能にするような条件のことである。超越論的主観は一般的主観ではないし、共同主観性でもない。それはいわば各主観の存在論的基礎(の不在)である」。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

と言っているわけだが、そもそも、上記の引用における柄谷の発言は、

の「両方」が成り立つから、このように書いているのであって、別にこの「後者」だけを主張しているわけではないのに、これを「否定神学」とレッテルを貼るのは、ここまでくると、「言葉狩り」と言われても、しょうがないだろうw
実際に、なんでこの発言に、東浩紀が「怒って」いるのかは、一つ前の引用の直前の以下の言葉がよく示しているわけで、

規則や固有名の超越論性は端的に存在しない。それはコミュニケーションの失敗(誤配)から遡行的に捏造されたものにすぎない。より正確に言えば、私たちが「超越論性」と呼ぶものは、郵便空間の亡霊的効果の実体化にすぎない。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

という、東浩紀の「超越論的(=まあ、カント哲学そのものですね)」の「解釈」から、それが「間違っている(=つまり、カントは間違っている)」という主張の延長から、怒ったわけであろう。このように、東浩紀のように、

  • さらにメタ

の立場から、まさに、フロイト精神分析のように、幼年期から大人になる間を「含んだ」、そこにおける、子供のコミュニケーションの「成功」と「失敗」(=遡行的な捏造)の

  • 確率空間の時間的変化(=確率過程)

として、それ「全体」として、理論化すれば(まさに、それこそが、ラカン精神分析なわけであろう)、まるで、上記の問題は「克服」されたかのような含意を与えるわけで、これでは、柄谷がこだわっているような

  • 「教える-学ぶ」の非対称性

  • 「売る-買う」の非対称性(=命懸けの跳躍)

のような問題は、まったく「どうでもいいノイズ(=統計的なノイズ)」のように後景に退いてしまい、無視される(まあ、ここまでくると、こういった主張自体が、東浩紀にしてみれば「否定神学」と受け取られるわけだから、何を言っても無駄なのだろうがw)。
では、この問題を柄谷自身はどのように説明しているのか、といえば、それは、むしろ『探究2』の文脈に関係してくる。

「主体」はさまざまに批判される。しかし、もしそれが本格的なものであるならば、必ずそこに《超越論的》な主体がひそんでいる。意識あるいは意識主体を、言語、存在、社会的関係といった「原因」においてみようとする批判は、けっしてデカルト的な主体を片づけてしまうのではない。たんにそれについて、語らないだけである。
われわれは、このような私については積極的に語ることができない。この主体を "主題"(サブジェクト)として語ったとたんに、それは再び主体となるからだ。デカルトは、この危うさのなかにあった。一方で、彼は、外界や身体だけでなく、心理的な自己そのものを疑いカッコに入れることにおいて、コギトを見出している。しかし、他方で、このコギトを心理的な自己と同一化してしまっている。こうして、思考が共同体(慣習・文法・システム)や身体のなかにあるのではないかと疑う主体は、その外部性をうしない、それらを超越するような主体になってしまう。デカルト主義はここに成立したのである。

探究2 (講談社学術文庫)

探究2 (講談社学術文庫)

超越論的ということを、カントやフッサールの "方法" や対象領域に限定してはならない理由は明瞭であろう。現象学マルクス主義精神分析、さらにフーコーの "知の考古学" やデリダの "ディコンストラクション" は、それぞれ超越論的なのである。そう考えた上で、はじめて超越論的主体という問題が出てくる。これらの考え方は、経験的な私(主観)や自由意志を批判する。しかし、それは、主体を否定したり滅却したりすることではないし、そんなことはできはしないのだ。さらに重要なことは、私という主体はないと言うこと、ランボー流にいえば、「私とは他者だ」と言うことが、それ自体超越論的な主体によって可能だということである。
そのような主体が在るというならば、それはただちに経験的な主体となってしまう。あるいは、超越的な主体になってしまう。超越論的主体は、そのような主体を批判することにおいてしか無い。いいかえれば、超越論的主体は、世界を構成する主体=主観ではなく、そのような世界の外部に立とうとする実践的な主体性においてしかないのである。超越論的であることは、主体的であることであり、その逆も然りである。
しかし、なぜそうするのか。カントやフッサールにこのような問いはない。彼らは、万人が自己のうちに超越論的自我をもっているからだと考えたのである。
探究2 (講談社学術文庫)

柄谷は、『探究1』『探究2』において、カントを否定的に議論していたが、「探究3」以降はむしろ、カントをより肯定的に解釈していくようになる。その問題について、柄谷がどこまで十全に議論しえたのかは分からないが、上記の二つの引用においても、こういった事態をカント的に受け入れられる、と彼なりに解釈したわけであろう。
大事なポイントは、カントの言う「超越論的自我」は、かなり、デカルトの主張に忠実だ、ということにある。実際に、この議論はスリリングでさえある。それは、その「超越論的自我」の

  • 場所

がカントの理論体系において、あまりにもラディカルに、もっと言えば、荒々しく提示されているだけの強引さであり、一般的に整理されているような、カントの諸概念の関係の中に、うまく、その場所を位置付けられない、ということがよく示している。この理論の「破綻」と言ってもいいくらいの「強引さ」の問題を深く考えない限り、カントは凡庸な主張を行ったといったような、まさに、東浩紀のような、

のような議論に落ち着いてしまうわけで、そういった様相がより強調されていると解釈できるという意味でも、上記の東浩紀による柄谷批判は興味深いだろう。
さて。上記の分析を経て、東浩紀の『存在論的、郵便的』の後半ではなにが語られているのか、ということになるわけだが、そこにおいては、ますます

に「依存」する形の言及の色彩が強くなっていく。つまり、ここで確認しておくべきことは、前半における柄谷の「ゲーデル不完全性定理」の解釈などは、そもそも、そこまで

  • 重要

ではなかった、ということなのだ。どういうことかというと、それはむしろ

もっと言えば、ラカン派の「ゲーデル不完全性定理」の解釈においてこそ、始めて、東浩紀の「言いたいこと」が記述される、という形になっているというわけで、まあ、本当に、柄谷の「ゲーデル不完全性定理」の解釈の強調は必要なかった。あくまでも、ラカン派の「ゲーデル不完全性定理」の解釈の文脈において、東浩紀は語ればよかったし、実際に、後半はそうしているのと変わらなくなるわけで。
(ところで、私の印象を言わせてもらうなら、東浩紀が柄谷のウィトゲンシュタイン解釈である「教える-学ぶ」の関係をほぼ全面的に肯定していることは、とても、印象的に思われる。というのは、まさに精神分析という医療の場面における、医者と患者の関係というのはこういうものであるし、それは、オウム真理教が示していたような、グルと信者の関係、もっと言えば、チベット密教における、グルと弟子の関係には、非常に強く、精神分析での「関係」に近いものがある、と思っているからである。つまり、否定神学という形で、あらゆる「否定的」なものを拒否するという姿勢が、結局のところ、オウム真理教が示していたような、「グルと信者の関係」についての批判的な視点を、うまく確保できていない、という印象を東浩紀の一連の言説からは受けてしまう。まあそれと、彼の一貫した「御用学者」的な立ち位置との関係は、決して無関係ではないだろうが。)

ラカン精神分析ゲーデル的整理は六〇年代にすでに確立している。例えば cfr. Alain Badiou, "Marque et Manque: propos du zero", in Les cahiers pour l'analyse, no.10, Seuil, 1969.
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

(ちなみにこの論文は、ネットで検索をすると、フランス語のpdfファイルが読めるわけだが、これは日本語に翻訳されているのだろうか? アラン・バディウはいろいろ調べると、かなりのテキストが翻訳されていなくて、なんか、この界隈の「神秘化」に寄与してるんじゃないのか、といったうがった見方さえしたくなるのだがw)
東浩紀の『存在論的、郵便的』の後半は、こういったラカン派の「ゲーデル不完全性定理」の解釈が、ある意味、前提となったような議論が続けられいるのであろう。
まず、そこにおいて、「ハイデガー」のこの本の文脈における「解釈=再評価」のような議論がなされる。

では前期ハイデガーはどうか。前述したように、彼のシステムは二レヴェルの短絡から成立している。その短絡の回路を以下「クラインの管」と呼ぶことにしよう。その存在は声(フォネー)の機能、メタとオブジェクトの峻別を犯す。第三章でも触れたように、『存在と時間』はこの機能侵犯に「呼び声 Ruf」という音声的隠喩を当てている。呼び声(ルフ)は私の外から到来するものではない。それは「私の中からしかも私を超えて aus mir und doch uber mich」響く。そしれその声こそが「現存在の本来的な存在可能」を、つまり「客体的存在者の『事実性』からは本質的に区別されるべき」「実存性」を開示する(第五四 - 五七節)。呼び声(ルフ)が実存論的構造を可能にする。私たちはこのハイデガーの主張を、今度はクラインの壺の安定化装置について語られたものと解釈できるだろう。呼び声(ルフ)は管と円錐部分を循環し、底面=世界のゲーデル的亀裂をより高次で「縫合する suturer」。その縫合作用がなければ世界は開かれたまま放置されてしまう。言い換えれば、象徴界シニフィアンの単なる集積に散逸してしまう[図2 - 2]。現存在の統一性、底面に空いた穴とその縫合作用、すなわち「現 Da」の開放性とそれを閉じる呼び声(ルフ)の循環構造で維持されるのだ。私たちは以下このシステムを、やはり前二章にしたがい「否定神学システム」と呼ぶことにしよう。そこでは「不可能なもの」は世界内にただ一つ現れる。ゲーデル的亀裂を縫合する呼び声(ルフ)とは第二章のパースペクティブで言えば、システムを不完全性において完全にする逆説的 - 超越論的シニフィアンラカンの言う "必ず届く手紙" のことである。実際テマティックにも、『存在と時間』の呼び声(ルフ)は、「いかなる知識も与えない」にもかかわらず人を「負い目ある存在」に変える「不気味さ」と規定され(第五八節)、『盗まれた手紙』に登場する手紙と多くの特徴が一致する。
二〇年代のハイデガー否定神学システム、新しい「超」を発見した。その重要性についてはさきほど述べた。しかしここでより注目すべきは、彼が同時にそのシステムの安定化装置、つまり超越論的シニフィアンの循環運動を発見していたことである。前掲書の浅田は同じ装置を、資本主義システムをつねに破壊しつつ同時に安定化させる「貨幣 - 資本の循環運動」に見出していた。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

以前、上記の引用にある「ゲーデル的亀裂」の「縫合」なる議論の

  • トンデモ

さについて、このブログに書かせてもらったことがあるが、もはやここには、柄谷やカントに見られたような、理論的

  • 緊張感

は見られなくなって、ヘーゲルや、ラカン派的な「なんとでも言える」といったような、理論の「弛緩」をぬぐえない。それは、この引用にもあるように、浅田彰の「クラインの壺」自体がそうであったように、もはや、この「システム}は、一種の「循環系」として

  • 閉じて

しまっているわけで、確かに、ハイデガーの理論はそうなのだろう。
それを、後期ハイデガーの「詩」や、デリダの「パフォーマンス」にその、柄谷やカントのような「転回」を読み込もうとすることは、一見するとラディカルであるが、しかし、こういった態度は、カントに言わせれば、理論理性に対する

  • 実践理性

の「場所」のことを、わざわざ、彼らが「そのような表現」によってしか、示しえなかった、ということを意味しているに過ぎないわけで、こうやって考えてくると、むしろ問題は

が、さまざまに<間違っていた>がゆえに、その現象学の弟子筋にあたる、ハイデガーデリダなど(もちろん、浅田彰東浩紀自身もこの中に入る)へのその「影響=理論的挫折」が、こうやって、さまざまな形で「歪(いびつ)」に現れざるをえなかった、といった所が、実際の話で、本当はもっとシンプルにありえた、ということなんでしょうね(まあ、そのシンプルさは、現在の分析哲学が継承している、ということなのかもしれないが...)。

現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018

現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018