トルケル・フランセーン『ゲーデルの定理 利用と誤用の不完全ガイド』

掲題の本は、原書が2005年で、翻訳が2011年ということで、比較的最近書かれ、訳者あとがきを読むと、「この分野の専門家や関係者たちから絶賛されて」と書かれており、ただ、作者は2006年に亡くなられている、ということらしい。
読むと、その「網羅」性に驚かされる。あまたある「ゲーデル不完全性定理」の「誤用」について、ある意味、それらを「パターン」で分類し、すべてに一つのパースペクティブからの「答え」を与えようとした「執念」のようなものすら感じる。
私もそれらの全てを細かく見たわけではないが、幾つか興味深い指摘があるのも確かだ。

フェルマの主張により提起された問題を数学者たちが最終的に解くまでに300年にわたる数学の発展を要したことや、ゴールドバッハやその他の算術の予想がまだ解決しれいない事実を見れば、数学者によって提出されるすべての算術の問題が、十分な時間と労力を与えることで必ず解決できる保証があるかどうか疑わしく思えるだろう。しかし、これができるという信念が、ドイツの数学者ダヴィット・ヒルベルトによって、1900年パリの数学者国際会議における有名な演説で表明された。彼は、新世紀の数学者が立ち向かうべき23の重要な問題を提示して、次のように述べた。

明確に記述された未解決の問題を任意に1つ選びたまえ。オイラー=マスケローニ定数Cの非有理性の問題でも、2^n+1 の形の素数が無限個存在するかという問題でもよい。これらの問題がどんなに取り組みがたく見えても、またそれらを前にして私たちがどんなに無力に思えるとしれも、それにもかかわらず私たちは、純粋に論理的な有限のプロセスによって、その解が得られるに違いないという固い信念をもっている。(中略)すべての数学の問題が解決できるというこの信念は、研究する者の強い動機である。自分の中に絶え間のないかけ声が聞こえるのだ。"問題がある。さあ、解を探しなさい" と。あなたは、純粋な理性によってそれを見いだせる。なぜなら数学に "イグノラビムス"(ignorabimus、永遠に知らせないこと)はないから。

ゲーデルの第一不完全性定理は、決してこのヒルベルト楽天的な見方を否定するものではない。この定理が立証したことは、ヒルベルト楽天主義は彼の目論見通りには正当化しえないとういうことである。つまり、すべての数学の問題が解けるような単一の形式体系を提示するという目論見は、たとえ問題を算術の問題だけに限ったとしても、うまくいかないということだ。

数学基礎論には歴史的な経緯があって、「ゲーデル不完全性定理」が、ある意味での「インパクト」を与えたのは、こういった「前任者」がいたからであったわけだが、今から考えてみると、それにしても、ヒルベルトはずいぶんと楽天的だったのだなあ、と。なぜここまで楽天的だったのかなあ、と逆に疑問にすら思えてくる。
ヒルベルトのアイデアは秀逸で、ここでの形式化は、たとえ「対象」が「実数」のような、どう考えても有限では収まらないような相手でも、その「理論」を構成する言語の方は「有限(または、可算無限)」の範囲で記述できるだろう、というのは分かるのだが、本当はここにも、ここで言う「有限の立場」で言う「有限ってなんなんだ?」という問題があるはずなので(なんらかの可算無限は使っているはずなので)、ただ、いずれにしろ、このことは、例えば、コンピュータを考えてみても分かるわけで、ヒルベルトの言っていることを素直に聞くと、どんなコンピュータも有限回のステップで「停止」する、と言っているように聞こえるわけで(意味のある数学の命題なら)、どうなっているのだろう?(本当にこんなことを信じていたのか?) とは思わなくはない(という意味は、それを聞いていた、当時の数学者全員が、これをどう聞いていたのか、という意味でもあるのだが)。
しかし、いずれにしろ、ゲーデル不完全性定理がこの、ヒルベルトのプログラムへの「応答」だと考えるなら、その「インパクト」はやはりあるわけで、確かに、ゲーデル不完全性定理は、このヒルベルトのプログラムに一定の「答え」を返しているように見える。

ヒルベルトは有限の立場でどんな方法が許されるのかを公式には明らかにしなかったけれども、ヒルベルトが心に思い描いた方法はPAのような算術の体系で形式化できることは明白だろう。、そして、もしPAがそれ自身の無矛盾性を証明することができないなら、初等算術の無矛盾性さえ有限の立場では証明できないので、ヒルベルトのプログラムは実現されない。(したがって、その当時、ヒルベルトの学生であり協力者であったヴィルヘルム・アッケルマンによってすでに達成されえたとヒルベルトが思っていた有限の立場における算術の無矛盾性証明は、正しいはずがなく、実際に間違いであることがのちにわかった。)

うーん。この辺りが答えなんですかねえ。つまり、1900年の演説の後に、このアッケルマンという人の「証明」の間違いが分かって、それまではその結果をヒルベルトは疑っていなかった、と。まあ、そんな関係でも考えないと、あまり「つじつま」の合った話に聞こえない感じもするんですけどね...。

通常「自己言及」とは自らに言及する文という意味ではなくて、発話者が自らに言及するという意味である。まずいくつかの事例を見ることにしよう。ジョンが「ジョンはあなたを愛する」と言ったとする、これが、自己言及のケースかどうかは、発話者の意図による。彼は自分を第三者のように言及しているのかもしれない(例えば、TVコメディ『となりのサインフェルド』でジョージ・コスタンザが「ジョージは怒るぞ」というようなときである)。あるいは、ジョンという名の別人について述べているのかもしれない。他方、もし夫ジョンが「あなたの夫はあなたを愛している」と自分の妻に向かって言ったなら、彼の言明は彼の意図とは独立に自己言及的である。たとえ彼が記憶喪失で、彼女の夫なる人物について知りえた知識に基づいてこの言明を発したとしても。ジョンはこの女性の唯一の夫であり、したがってこの言明は、ジョンが自分の妻を愛するとき、そのときに限り真であるという意味で、自己言及的である。

この指摘はなんとも入り組んだパターンを指摘しているが、どこか、ポール・ド・マンの『読むことのアレゴリー』が指摘している「修辞」の解釈の難しさを示しているようにも思えてくる。
少し文脈を離れるかもしれないが、柄谷行人のもしも「歴史」を考えるなら、彼の最初の『近代日本文学の起源』における「風景」の発見の話にしても、いわゆる「内向の世代」を彼は基本的には批判していたと思うわけで(その中の一部の作家は逆説的に評価をしたわけだが)、そういった延長で、漱石を評価したりしていたのであろう。そういった感じで、柄谷の関心には、一貫して、

  • 保守派=御用学者

への批判の視線があったのであろう。その場合に、いわゆる「文系」的な「実存=自明性」のようなものに逃げ込むことこそが、「保守派」的な「問題」と考えていたのではないか。それは、例えば、永井均の「<私>」の哲学でもいい。柄谷がよく引用する、

「主観が主観に関して直接問いたずねること、また精神のあらゆる自己反省は危険なことである」と、ニーチェはいっている。
柄谷行人「内省と遡行」)

内省と遡行 (講談社文芸文庫)

内省と遡行 (講談社文芸文庫)

彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。(中略)「資本論

柄谷行人「付論 転回のための八章」)
内省と遡行 (講談社文芸文庫)

これらにしても、そういった文脈で、なんらかの「文系」的な(ある意味での)「(実存的)言葉遊び」に対立して、「形式化(=数学化)」を、一種の(文系的エリートに対する)アマチュアリズムとして、徹底させることを構想していたのであろう。
しかし、こういった、そもそもの意図と、果して、「ゲーデル不完全性定理」はそこまで相性がよかったのだろうか。ここで言う「自己言及」というのは、「自己参照」とか、ラッセルで言えば「非述語的」といったようなもので、そこまで、(永井均で言うところの)「<私>」といったような含意は少ないように思える。まあ。その辺りにも、数学の専門家が柄谷の解釈に違和感を強くした原因があるのかもしれない...。

ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド

ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド