マリーシアは本質的なのか?

ここでは少し「本質的」な問題について考えてみたい。
サッカーにおいてよく、日本人には「マリーシア」がない、と言われる。マリーシアとは、南米の言葉で「ずるがしこさ」といったような意味で使われるようである。まあ、ゴール前で、相手を「あざむい」て、半意図的にファールをもらって、PKで得点をする、といったような「戦術」のことを一般的には言っているようである。
そして、そう言われると、多くの日本人は、まあ、なんというか「納得」するわけである。というのは、多くの日本人はそういった日本の

  • 特徴

と呼ばれていることを、さんざん聞かされてきたからだ。それは、日本国内では、失くした財布が、中身が「そのまま」で次の日には自分の手許にまで帰ってくる、といったことに始まって、道に迷っていたら、駅までわざわざ案内をしてくれたことまで、そんな「いい人」の話に尽きることがないくらいに聞かされているから。
あー。日本人は「おひとよし」なんだな、というわけであるw
しかし、他方において、私は「そうなのか」と思うわけである。
というのは、話はそんなに簡単じゃないからなのだ。

ネリは1日にWBC世界同級(53・5キロ以下)タイトルマッチで元王者・山中慎介(35)=帝拳=と再戦。2月28日の前日計量で2・3キロの体重超過を犯し、再計量でも1・3キロ超過した。JBCは「階級制を前提としたプロ競技スポーツであるボクシングに対する社会的信用を著しく毀損(きそん)する行為」とし「世界タイトルマッチにおける公式計量での失格てあり、かつ2・3キロオーバーは極めて異例な重大な違反であること等から、より厳重な処分が相当である」と理由を発表した。
ネリは規定により王座剥奪となったが、試合は2回TKO勝ちして王座は空位のままとなり、王座返り咲きとならなかった山中は引退を表明。意図的とも取られかねない大幅な超過が波紋を呼び、ネリは試合後に「私は無敗を守った。失った王座は勝って取り戻せばいい。またバンタム級で、また日本で戦いたい」と話していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180309-00000111-sph-fight

この、つい最近起きた「事件」は、少し私たちを驚かせる。この場合、何が問題になっているのか? ボクシングのバンタム級の王者ネリは、元王者で挑戦者の山中とタイトルマッチを行う予定だったが、その計量において

  • 2・3キロ

の体重超過となり、結果としてタイトルを剥奪された。しかし、「興業」としては大きなお金が動いているために、試合を行わないという決断をすることは、それ以上に難しい。そのため、試合は行われるわけだが、ネリは結局のところ、当日の計量においても、その承認条件のかなりギリギリの体重で当日の試合が行われることになる。結果は見ての通りで、山中は負けるわけだが、おそらくは相当の体重差があったのではないか、と言われている。
この試合が行われるかどうか、といった点においては、ネリはある意味で「ルールの中」で行動をしている。つまり、この試合の成立を許している「誰か」がいるわけである。そりゃそうである。そう簡単に興業は止められない。大きなお金が動いているのだから。しかし、もしもそうだとするなら、あまりにも「想定外」なのは、ネロの前日計量での体重オーバーが

  • 大きすぎる

ことなのだ。つまり、明らかにネロは「意図」して行ったとしか考えられない。なぜなら、体重なんて毎日測っているのだから。明らかに前日でなんとかならない範囲かどうかなんて、ずっと計測して分かっているのだから。
そうだとすると、これはネロの

ということになるのだろうか? 今回の試合はあくまでも「ルール」の中で行われている。しかしそのことと、ネロの「行為」の

  • 判断

がどうなるかは、まったく別だとも言えるわけである。つまり、このプロボクシングの「ルール」は、どう考えても「性善説」によって作られている。ある意味において悲惨なのは山中であろう。山中の「人生」は、ネロのこういった行為によって、無惨に踏みにじられた。そして彼は引退を決断したわけで、今後のプロボクシング界に挑戦しようとする若者たちへの、「信用」にも関わってくるわけで、その影響は大きいと言える。

その理由は、オパレが "嘘つき" であることだという。「ダニエル・オパレは我々に対して何度も嘘をついた。事実を示されたにもかかわらずだ。さらに彼は、チーム内での行動規範に何度も違反した」とシュテファン・ロイターSD(スポーツディレクター)は述べている。
現在27歳のオパレは、今季前半にはアウクスブルクでレギュラーとしてプレー。冬の移籍市場ではシャルケレスター・シティなどが獲得への関心を示していたと報じられている。
オパレのついたという「嘘」のひとつは、そのシャルケに関するものだったようだ。オパレはシャルケの監督や幹部と会食していたことが明らかになったが、クラブに対してはシャルケとの接触を否定。シャルケ側がアウクスブルクにオパレと接触することを伝えていたと知らされても否定を続けたという。
ドイツ1部のアウクスブルク「嘘つき」を理由に所属選手を戦力外に - ライブドアニュース

あるドイツのプロサッカーリーグに所属している選手が解雇される、というわけだが、その「理由」が、

  • 嘘つき

だから、という興味深い例である。普通、解雇される理由としては、選手の試合でのパフォーマンスに対する「能力不足」が多いわけであろう。そうして、試合に出場できなくなって辞めていく。まあ、実力社会であり競争社会なのだから。ところが、その解雇の理由は

  • 嘘を言った

からだと言うわけである。そういった「嘘」が何度もあった、という。しかし、。私などは思うわけである。それって、お前らが「賞賛」し続けた「マリーシア」となにが違うのか、と。

11月のAPOELニコシア戦でイエローカードを受けたことで、グループステージ最終節のドルトムント戦を出場停止になったカルバハル。
しかしAPOEL戦での警告は「決勝トーナメント1回戦で出場停止になることを避けるため、意図的に貰ったもの」と判定され、サスペンションが2試合に延長されたのである。
カルバハルは試合終了間際にスローインを妨害し、遅延行為のため通算3枚目となる警告を受けていた。
http://qoly.jp/2017/12/11/real-madrid-to-appeal-carvajal-punishment-kgn-1

この例もあまり聞いたことがない話である。プロサッカーリーグでは、イエローカードが蓄積すると、次の試合には出場が禁止される代わりに、その後からは、もう一度このイエローカードの蓄積がクリアされて始まる、といったルールがある。ところが、このケースでは、少し後に強敵との試合が待っていたので、その試合に出られなくなるリスクを考えて、早めに「ちゃら」になることを目指して

  • 意図的にファールをした

と疑われた、というわけである。
これも、ある意味で「マリーシア」であるw
さて。
この三つの例を挙げることで私が言いたかったことは、この「マリーシア」という概念を

  • 都合よく

恣意的に「取捨選択」して、「この場合はOKだけど、この場合はNG」みたいな、そんな「選び分け」は、そもそも不可能なんじゃないのか、と言いたいわけである。そんなふうに人間はできていない。一方で「マリーシア」を褒めそやすなら、こういった「マリーシア」の暴走がありうることを容認しなければ、それは人間を語ったことにならない。つまり、抽象的な「人間」なるものの話をしていてもしょうがない、と言いたいわけである...。