柄谷行人による「ポストモダン」批判

経済学にしても、自然科学にしても、私が不思議に思うのは、

  • 「経済」についての学(メタ経済学)
  • 「科学」についての学(メタ科学)

が、両方とも、将来の「イノベーション」がどういったものになるのかを知らないのに、まるでそういったことが「自明」であるかのように語ることにある。
つまり、そういった「経済哲学」や「科学哲学」を語っている、その人にとっての「経済学」や「科学」が、

  • なんなのか?

がまったく、なにを言っているのかが分からない、ということなのだ。
そういう意味で、いわゆる「科学哲学」なるものについて、多くの書籍が本屋で売られているが、私にはそういった「饒舌」さが、疑わしく思われる。

問題となるのは、理論的対象と呼ばれる対象たちだ。これは、じかに目で見たり触ったりすることができないという意味で観察不可能だが、この世界にはそれがあって、あるいはこの世界はそれでできていて、何らかの性質をもち、それによって観察可能な現象を生み出している「かのように」語られるものたちである。たとえば、電磁場、原子、電子、クォーク、電子、光子といったものたちが典型例だ。
これらの理論的対象は、観察可能な対象に近いのだろうか。それとも説明・予測・計算のための虚構に近いのだろうか。これが科学的実在論論争の問いを最もラフに述べたものである。

科学的実在論を擁護する

科学的実在論を擁護する

いわゆる「科学哲学」における「実在論争」とは、私たちが一般に考える「実在」の問題(いわゆる、古典的哲学において問われ続けてきた「実在」問題)とは違っている。それは、そもそも

  • 数学

が、その「パラメータ」において措定する「項」として現れている何かであるにすぎない

  • 電磁場、原子、電子、クォーク、電子、光子

を「実在」と呼ぶことの奇妙さ、に関係している。それに対して、戸田山さんは『科学的実在論を擁護する』において、ある意味において「理論」的なアプローチの限界を認めてしまう。つまりそれを

  • 常識

の範囲で扱うことで、自らを納得させてしまう。

つまり、構成的実在論実在論の名に値するのか、という疑問である。確かに、(近似的)真理を基礎概念として組み立てられた実在論に比べると、かなり弱い主張になってしまっていることは否めない。類似性は程度を許す概念なので、「実在システムの忠実なレプリカ」から現象を救うための便宜的な虚構まで、連続的につながってしまう。また、観点主義をとることにより、モデルや科学的世界像は、われわれのもちこむ現実的制約によって構成されたものという性格をもつ。これも構成的実在論の「実在論っぽさ」を低めることは間違いない。
科学的実在論を擁護する

ようするにこれは、「中心 / 周縁」理論のようなものを言っていて、はっきりと「実在」と分かっている中核が科学にはあって、それに対する「確かさ」は間違いないのだが、そこから少しずつ離れた場所にある、よりチャレンジングな「仮説」の数々は、確かに、ある観点からはあやふやと指摘されることを甘受せざるをえないが、なんらかの、その理論が包含する特徴によって一定の「正当性」が窺える限りにおいて、その場所を与えられている。しかし、だからといって、それらが、中心にある「確かさ」を否定するものにはならない。つまり、この中心と周縁の全体において、一定のグラディエーションがあり、その勾配の範囲において、それらの「確からしさ」は語ることが可能であるわけだが、その全体を含めて科学の活動は動的に未来に開かれている、という形で説明される。
しかし、ある意味で、そのように言ってしまえば、なんだって言えるよね、とは思わなくはない。つまり、これは「理論」をやめた、あきらめた、と言っているようにしか聞こえない。しかし、それでいいのだろうか? この態度に対する違和感は、問題がそこにある「構造」の分析に対してだったはずであったのにも関わらず、その理論化が放棄されていることに対する違和感なのだ。
なぜそれが問題なのか? それは「科学」ではなく御用「科学」なのではないか、という疑いに関係している。

第五信 差出人:伊勢田哲治
(中略)
さて、その論点よりも気になったのが、「問題になっているのは、科学者が主観的に重力レンズ現象の実在にコミットしているかどうかではなく、そのコミットメントが正当化できるか、あるいは合理的か、という論点だということには同意できます」と戸田山さんが言ったことです。そこをゆずってしまうと自然主義者としての立脚点がゆらいでしまうのではないかと心配です。

別冊「本」ラチオ 〇五号

別冊「本」ラチオ 〇五号

第六信 差出人:戸田山和人
(中略)
伊勢田さんは、私が現場の科学者の態度を尊重すべきだと考える自然主義的立場を標榜しているので、戸田山は第一級の理論物理学者が存在論的にコミットしているんだからそれを重視すべきだと言わなくてはならない、とお考えなのでしょう。しかし、いまの時点で『異次元は存在する』というタイトルをつけたとしたら、それはいかがなものか、という判断は大方の科学者の判断と一致しているように想います。まだ、「決定的な証拠をつかんだわけではない」というのが穏当な態度でしょう。哲学者だけがそれに警告を発する立場にあるわけではないと思います。ランドールさんは少し言いすぎだ、と多くの科学者は考えていると思います。
別冊「本」ラチオ 〇五号

「科学」が「対象」であるなら、それとの一定の距離なくしては、「分析」にならない。しかし、それはどのように可能なのだろう? 上記で伊勢田さんが「心配」と言っているのは、そういった

  • 科学者に寄り添う(=科学者が、これが「科学」だ、と言っていること(つまり、その文脈における「合理性」)を尊重する)

といった態度が、結局のところ、

からの「批評」であり「判断」が、どのように可能なのかを曖昧にしていることへの違和感なのであって、ようするに「自らが立っている場所がどこなのか」が問われていることへの、あまりにものナイーヴさ、自覚のなさ、に関係しているのかもしれない。
こういった態度は、どこか、政治的言説における左派に対立する、「保守派」の主張に似ている。保守派はなぜ「理論」を放棄するのか? それは、ハイデガー存在論を代表として、そもそも、「存在」論より大事なことが、「その人」にはあるから、というわけであろう。つまり、実存は理論に先行する。理論化の放棄には、そもそも、その人にとって、理論化より大事なことが、この世界にはあるのだから、そちらを認知的不協和において(つまり、無意識において)優先した、ということなのであって、そういった「ひらきなおり」には一定の(ロマン主義的な)意味がある、と言いたいわけであろう。
私たちが、こういった「饒舌」にいらだっているのはなぜか? それは、なぜこういった「分析」には、先達たちとの「理論的」な

  • 対決

がないのか。なぜ、それがスルーされてしまうのか、に対する「いらだち」だと言わざるをえないだろう。つまり、やるなら徹底的にやってほしい。なにかを語ることにナイーブすぎるのだ。あなたが今語っていることは、およそ、過去にさまざまに語られてきた歴史があって、その「文脈」において、なにかしらの「意味」が先行して問題になってきたわけで、それらとのデタッチメントを意図して行うのであれば、それなりの徹底した考察が背景としてなければ、それを

  • ナイーブ

と言われることはしょうがないわけであろう。
つまり、頼むから、単純に「徹底的に考えてほしい」わけである。徹底して、考えて、そうすることで始めて、

  • 出発点

に立てる。なぜそれが分からないのだろう?
ところで、最近、私はカントの「プロレゴメナ」を読み直してみた。すると、その内容は『純粋理性批判』の内容の「まとめ」としては不十分であるとしても、とても「読みやすい」形で記述されていることに気付いた。多くの人は、『純粋理性批判』の凡長さに、途中で嫌気がさしてしまうわけだが、この「プロレゴメナ」の「読みやすさ」を意識しないのはなぜなのだろう?

部屋が暖かい、砂糖は甘い、ニガヨモギはむかつくような味である、といったことは、ただ主観的に妥当する判断である。私がいつもそう認めるように、あるいはほかのだれもが私と同じように認めるように、私はまったく要求しない。これらの判断はただ、二つの感覚の同じ主観に対する、すなわち、私自身に対する関係、それも私の今の知覚の状態におけるかぎりでの関係を表現しているだけであり、だからまた客観に妥当させられるはずはない。このような判断を私は知覚判断と名づける。経験判断では、事情はまったく異なっている。経験が或る状況のもとで私に教えることを、経験はつねに私に教え、まただれにでも教えなければならず、その妥当性は主観に、あるいは主観のそのときの状態に制限されない。そこで私はそういう判断すべてを客観的に妥当的な判断であると断言する。たとえば、空気は弾力的である、と私が言う場合、さしあたり、この判断は知覚判断にすぎず、私は二つの感覚を私の感官においてただ相互に関係させているだけである。しかし私が、これが経験判断と呼ばれるように望むならば、この結合が、結合を普遍妥当的とする制約のもとに立つことを私は求める。このようにして、私がいつも、まただれもが、同じ知覚を同じ状況においては必然的に結合しなければならないことを私は望むのである。
(カント「プロレゴメナ」)

世界の名著〈39〉カント (1979年) (中公バックス)

世界の名著〈39〉カント (1979年) (中公バックス)

これはカントが「客観的」という言葉を彼の文脈で、どういった意味のものとして使おうとしているのかを説明しているところだが、カントの意図は、この「客観的」という言葉が、「主観的」(な言説)との

  • 対立

において意識されていることが注目されるわけである。大事なポイントは、「主観的」な言説の分かりやすさに対して、客観的の方は、もう一段、人々の関係において、「手間」を要求するような「からくり」において考えられている、というところにある。つまり、もっと直截に言ってしまえば、それは「文法」が

  • 要求

している、と言ってもいい。その「文法」を使うことを選んでいる時点で、話者が「主観的」でしかなかった言説を、それが

  • 客観的であるべき

と主張する文脈(言語ゲーム)に変えている、その「能動性」こそがカントが言いたいことの中心なわけである。
なぜカントはそれでいいと思っているのか? それは、そもそも私たちがカント以前において慣用的に使われていた「客観的」という言葉の

  • 文脈

自体がカントにおいては変えられているから、と言わざるをえない。つまり、カントにおいては、彼が使うさまざまな「哲学」ターミノロジーが、ことごとく、その「定義」が変えられている。というか、それらはそれぞれで「相関」していて、もはや、どれ一つとして、それ自体で、破棄したり、擁護したりといった形で議論することが困難になっている。
ところで、カントがなぜ近年注目されるのか、ということには言うまでもなく、科学哲学、というか、分析哲学の文脈からの、さかんな言及が関係している。それは、彼らの考えていることのアイデアが、むしろ

  • 発見的

に、後から振り返って、なぜかカントが「言っていたこと」との相似性があることを、むしろ、彼ら自身が「発見」した、ということにあるわけだが、それはなぜなのか、という疑問に関係している。

では、カントは心の生得性についてどんな見解を示しているのだろうか。カント哲学は総じて難解なことで知られているが、ここではさしあたり概略的な理解があれば十分なので、それを目標に説明しよう。まずは具体的な場面として、幼児がビリヤードを見ている様子を想像してもらいたい。
台上を転がる球が、止まっていた別の球にぶつかり、それを弾き飛ばした----幼児が目の前のできごとをこのように認識するためには、いくつかの枠組みが必要である。第一に、空間と時間というものについて何らかの了解がなければ、幼児は球を運動するものとして捉えることができない。ふたつの球は、空間内のある点から別の点へお時間を通じて移動しているからだ。第二に、幼児には因果の概念が必要である。それなしには、一方の球の衝突が原因となってもう一方の球の運動が結果として引き起こされた、という関係が把握できない。第三に、ふたつの球はそれぞれひとまとまりの物体として捉えられねばならない。ここでは、それぞれ時間を通じて同一であるふたつの球が空間内に切れ目なく運動している、という見方が幼児には要請されているのだ。
このように、ビリヤードを見ていて何が起こっているのかを把握するには、時間や空間、因果や物体といったものについて、幼児は前もってそれなりに理解していなければならない。そうでなければ、幼児にとってビリヤードは単なる混沌にすぎず、それを見ていても何の知識も得られないだろう。一般化していえば、この世界を認識するための基本的な枠組みが、心には最初から存在しているはずなのだ。そうした枠組みが生得的な概念として人間の心には備わっている----これこそカントの主張にほかならない。
カントによれば、経験というものが成り立つためには、それに先立っていくつかの概念が心にもともと備わっているのでなければならない。経験にもとづいて知識が生み出される、という経験主義の見方は確かに正しい。だが、知識の起源を経験に求めるにしても、感覚器官通じて受けとる刺激が無秩序のままならば、そこからはおよそ知識の形成など望みえないだろう。だとすると、外からやってくる混沌とした刺激が、経験に先立って存在する何らかの概念によって有意味な仕方で秩序づけられてはじめて知識の土台となりうる経験が成立する、と考えねばならない。

このように、カントを「自然主義」の「始祖」のような位置に置くような解釈をしてみることは、どこか、カルチャーショックでさえあるわけだが、しかし、よく読んでみると言っていることは、カントのテキストを、いわば

  • 自然主義(ニアリーイコールで、物理主義)

の「文脈」に置いて、自然主義者の「関心」に関係した 文脈に置いて記述すれば、こんなふうに説明できる、といった形になっている、というわけで、とくに、めあたらしいことを言っているわけではない。
例えば、産まれたばかりの赤ん坊は、驚くべきことに、そのまま、水の中に放り込むと

  • 泳ぎ始める

わけだが、なんで「泳ぎ」を習っていないのに泳げるのかと聞いたって、だって、母親の「羊水」の中で、ずっと泳いでいたから以上の意味なんてないわけで、つまりは、人間は産まれたときには、すでに多くのことを「分かって」いる、と言うしかない

  • なにか

を知っているわけで、それをカントが「アプリオリ」ななにかとして、純粋理性批判で議論の遡上に乗せたことを、自然主義者は、幼児心理学における「実験」で、その「実証」にチャレンジしている、ということになる、という関係にある、というだけで、そう考えれば彼らが自らの「始祖」をカントに見出すことは必然だ、ということになるのだろう。
プラトンは、知のパラドックスとして、知らないことを知ることはできない、と言ったわけだが(もしもそれを知らないなら、それがなんなのかさえ知らないのだから、それを知りようがないから、と)、そこには、少なからず真理があるわけで、人間に最初から、なんらかの「能力」がなければ、知るという「活動」すら始まらないわけでw、つまり、その

  • 限界

に画定されているという意味でそう言うなら、そうだということになる(ようするに、ここで「知る」という言葉が違った文脈で使われているわけで、私たちが日常的に使っている「経験」という言葉は、すでに成人して、社会的な言語ゲームを獲得した上で、知識を反省的に、吟味していく、その活動全体を意味して言われているのに対して、生得的とは、そういった「活動」が始まる

  • 以前

の活動に対する、実験動物を「観察」する文脈から見出されるような「比喩」なわけで、そもそも、その二つを同じ遡上に乗せることが無理があるわけだ)。
それにしても、上記の引用で、カントが「客観的」の説明で「べきである」といった表現と一緒に使っていることは興味深く思われる。ようするに、科学に取り組む一人一人の科学者の活動自体は、どこまでも「純粋理性」の範囲だとしても、その科学者集団によって行われる、

  • 科学(という人間の社会運動)

は、「実践理性」の範囲の領分であることが、これにおいて明示されているように思われるからだ。しかし、カントの『実践理性批判』とは、一般に「道徳」の話だと思われている。なぜそれと、科学が関係があるのか? というか、なぜカントはそれでいいと思っているのか、が問題なわけである。
ところで、柄谷行人が文芸雑誌「群像」で連載した、「探究3」は、書籍化されていない。というのも、この企画は、ある意味、途中で「放棄」された形になっていて、その後の「トランスクリティーク」の連載に、一部内容的に「吸収」されて、こちらが書籍化されている、という経緯もあるのだろう。
この全24回のエッセイは、主にカント論を中心とした主題としてもっている内容になっているわけだが、これがどこまで学術的な評価に耐えられるようなものなのかはともかく、そこで議論されている内容は、それはそれとして興味深いことを書いていることも確かなのではないか。
それは上記の問題とも関係しているわけで、カントの『プロレゴメナ』の最初は、数学が綜合判断である、というカントの主張から始まる。つまりは、数学でさえも、

  • 推理

つまり、「仮説」によって推進されてきた、実践的な運動に過ぎない、ということを意味しているわけで、つまり、数学の発展の

  • 現場

においては、あくまで、「発明」の産物に過ぎない、と言っているわけである。カントは、数学でさえそうだ、と言っているのであって、つまりは、カントは人間のあらゆる言論活動は、「綜合判断」でしかありえない、と言っているのと変わらない。つまり、

  • 仮説

である。人間の活動には必ず「仮説」が先行する。カントはそれを「理念」と言ったわけだが、理念は「仮象」であり、つまりは、アブダクション、つまり、「推理」という、なんの担保もない、頼りないものではあるが、人間はこういったものなしには生きられない。つまり、こういった仮象は「統整的」に働く、という形で、一定の「正当性」があるのだ、と言うわけである。

たとえば、ある仮説に合意するか否かという前に、根本的な合意がいる。それは近代科学の手続きを認めるという合意である。そのような合意は、近代科学が支配的になった時点では自明化している。デカルトが見いだそうとしたのは、そのような合意そのものにほかならない。
だが、デカルトが神の存在を証明しなければならなかったのは、現代の科学哲学者がほとんど無視しているにもかかわらず、実践的な科学者にとっては依然暗黙の信念としてあるような事柄にかかわっている。それは、自然(世界)が解明できること、しかもそれは数学的なかたちをとるという信念である。のちにいうように、それはカントが「理念」と呼んだものであるが、デカルトはこれを理論的に解明しようとしたのである。
(「探究3」5・1)

しかし、「理念」の統整的機能は不可欠である。たとえば、素粒子論あるいは宇宙論の学者が数学的な仮説を立てるとき、そのような「理念」にもとづいている。彼らの仮説にかんして「実験」がなされるのは、不可能でないとしても、何十年もあとである。こうした「理念」はなんら根拠を持たないが、それがなければ、物理学の歩みはとうに停止していただろう。実際の科学者は、「科学哲学者」と違って、いわば合理性への非合理的な信念を持っている。この世界に神秘はないが、自分がこの世界を解明できることは神秘だ、とアインシュタインは言った。もちろん、彼はスピノザ主義者であることを公言していたが、そうでなくても、突き詰めて行けば、こうした「理念」にぶつかるはずである。
(「探究3」5・3)

しかし、問題はカントが「やっていること」が、結局のところ、なんなのか、にあるわけである。上記の自然主義によるカントへのアプローチにおいては、カントが自らの理論形成の「道具」として駆使した、「生得性」にフィーチャーすることで、自らに「都合のいい」正当化を見出すわけであるが、別にカントが言っていたことは、それだけではない。いや、そういった議論は

  • ノイズ

なのだから、積極的に、そういったカントの文章を「取り除いて」カントを、純粋培養的な「無毒」なものに除菌して、自然主義者のように「たしなむ」ことが、利口な生き方ということなのだろうか?

カントの場合、「現象」は「物自体」に対して言われている。このことは、近代科学の問題において何を意味するだろうか。カント依然において、現象は本質に対するものとして考えられている。つまり、現象とは知覚のことであり、その背後にイデア的な本質があるとされる。しかし、カントの場合、現象の背後にそのような本質はない。といっても、ヘーゲルフッサールの「現象学」のように、現象即本質というわけではない。カントが科学的認識を「現象」と呼ぶのは、それがどこまで行っても「仮説」に留まるということを意味している。別の言葉でいえば、それは「総合的判断」だということである。
(「探究3」5・2)

ようするに、なぜカントは「そう」なのか、が答えられていないわけである。カントは「物自体」を、「現象」とは本質的に違うものとして措定するわけであるが、なぜカントはこの「区別」にこだわるのか? どうして、この二つを別のものとして扱わなければならないのか?
一見すると、意味不明な「回り道」をしているように見えるのだろう。しかし、意味もなく、こんな煩雑なことをするわけがないわけで、その「理由」の吟味なしに、それを「ノイズ」として無視することは、理論的な誠実さに欠けると言わざるをえない。
そういった意味においては、上記の引用は、それについての一つの答えとなっている、と言えるだろう。カントは何と戦っていたのか? 彼を自らの理論体系の構築に強いたのは、過去からの彼の競争相手なわけで、彼らの言説への異論反論が、ここで彼を突き動かしている。そうした場合に、私はどうしても、上記において検討した、

  • 科学者に寄り添う

科学哲学(つまり、御用学者的科学哲学)が、そうであるがゆえに、自らの

  • 理論(批判哲学)

の立ち位置を放棄してしまう、理論的な退行が、どこかこの「問題」と同型の姿を示しているように思えてくるわけである。

われわれに知られれいる「コペルニクス革命」は、コペルニクスではなく、「コペルニクス主義者」ガリレイによってもたらされている。カリレイははっきりと天動説に敵対しており、それを「転倒」する。そして、彼は、世界(自然)は数学的構造をもつこと、そしてその理念的な世界は「客観的」な真理であり、知覚あるいは生活世界の直観に先立っていると主張する。ガリレイは、コペルニクスから見ると、振り子を一方の極に振ったのである。そして、近代の科学と認識論において最も影響を与えたのは、コペルニクスではなく、この「コペルニクス主義者」であった。
(「探究3」4・1)

柄谷は、カントが『純粋理性批判』において注目し、自らの理論にすら名付けた

に対して、これに対する、コペルニクス自身と、ガリレイの態度の「差異」に注目する。ガリレイの態度は、典型的な現代の科学哲学者であり、物理主義者であり、自然主義者たちの態度と同値であることを意識させられる。それは、存在論実在論と呼べるものであって、そこにはカントの「物自体」は見る陰もなく、排除されている。
しかし、柄谷は「コペルニクス主義者」だったガリレイと、コペルニクス自身は本質的に異なっている、と主張する。

一般の見方では、コペルニクスは、天動説から地動説への「転回」を目指し、かつ戦略的にそれを謀ったかのように見える。しかし、彼が死んだ一五四三年に出版された『回転について』における宇宙論プトレマイオスのそれであり、ただ、その後に付された部分だけが、後世に影響を与えたのである。それは、公衆に向けられたものではなく、天文学者以外には読めないものであった。

コペルニクス以前にも以後にも、彼よりももっと急進的な宇宙論学者はいた。彼らは、無限で且つ地球以外にも人がいる宇宙を多角的に述べていた。しかし、彼らは誰ひとりとしれ、『回転について』の後の部分のような仕事を生み出さなかった。結局のところ、『回転について』の後の部分こそが、天文学者の仕事は動いている地球をもとにしても可能であり、さらにより調和的に行うことも可能でえある、ということをはじめて示し、新しい天文学の伝統を創始させるための安定した土台をもたらしたのだった。(クーン『コペルニクス革命』p260)

地動説は古来からあった。天動説がそれに対して優位にあったのは、教会の神学あるいは日常的知覚によって支えられていたからではなく、プトレマイオス以来の天体の運動の計算が優れていたからである。というよりも、プトレマイオスの体系がそれ自体数学的工夫にすぎないということを明らかにした者こそ、コペルニクスである。彼の死後、「地動説」派が飛躍的に増加したわけでない。むしろ、重要なのは、天動説をとる者も、コペルニクスの数学的体系を利用せざるをえなかったこと、あるいは、利用できたということである。クーンはこういっている。

しかしコペルニクス主義者であると公言するグループの大きさを、コペルニクスの革新の指標とすることは適切ではない。数多くの天文学者が、地球の運動を否定あるいは無視すれば、コペルニクスの数学的体系を利用して、新しい天文学に貢献することは可能だ、ということに気づいた。ヘレニズムの天文学はそうした先例を彼らに示していた。プトレマイオス自身、『アルマゲスト』で惑星の位置を計算するために用いられている全ての円は有効な数学的工夫であり、それ以上の何物でもあるはずはなかった。同じルネッサンス天文学者は、地球の軌道を表している円を、計算においてのみ有効な数学的お話として処理してもよかったのである。すなわち彼らは、地球の運動の物理学的実存にかかわることなく、しかしあたかも地球が運動しているかのように、惑星の位置の計算をすることができたし、またしばしばそうした。(『コペルニクス革命』p264)

(「探究3」2・4)

柄谷のガリレイコペルニクスの差異の強調の意図は、そのガリレイを批判したフッサールガリレイ自身の主張の本質的な同一性であり、こういった「物自体」を排除する思考が、その「本質」において、

に似てくる、という問題、もっと言えば、上記の引用における「現象」と「本質」の関係の反復が、その本質において「物自体」の排除が強いている、といった解釈にある。

誰でも「絶対的自我」や「精神」といったものを簡単に否定できる。しかし、その立場は概ねフッサールが言う物理学主義に根ざしており、突きつめていくと、世界を構成している絶対的主観というものに帰着せざるをえないのである。たとえば、今日の先端の宇宙論はほとんど数学的にのみ構成されている。もしそれが「客観的」に真理だとすれば、この宇宙が数学的にできており、われわれの数学的能力そのものが宇宙の進化によってもたらされていると考えるほかない。そうでえあれば、宇宙そのものが「精神」である。つまり、「絶対的自我」のようなものは、その言葉を用いなくても、別のかたちで出てこざるをえないのである。
(「探究3」4・4)

たとえば、なぜ数学によって自然(人間社会を含む)を解明できるのかという疑問に答えた者はいない。レヴィ=ストロースは、それを自然史の進化によって説明しようとしている。人間の数学的能力は、宇宙の進化の産物であり、したがって、人間が宇宙を解明できるのは、宇宙自身の自己認識であるというようなことになる。そうであれば、宇宙とは神の別名である。だが、このような論法は、カント以前にあったものにすぎない。したがって、重要なのは、右の問いに答えることではなく、むしろその問いの前に立ち止まることである。
(「探究3」5・1)

上記の引用における、コペルニクスの『回転について』が象徴している、コペルニクスガリレイの差異は、その数学に対する、極端なまでの、「ひかえめ」さにあると言わざるをえない。しかし、こういった事態は、どこか現代における、量子力学の数学理論、つまり、コペンハーゲン解釈が、その解釈の「正当性」を離れてまで、その数学の「実用」性が、

  • 工学的応用

において、発展してしまっている現状を思わせるものがある。
カントの「物自体」を廃棄すること、それが、カントを嘲笑し、ヘーゲルに向かうことを意味するなら、上記の引用にあるような、レヴィ=ストロースの言う、

  • 「数学=宇宙の進化」説

まで、すぐ近くということになるであろう。
いや、問題はどういった表現をするかにあるわけではない。つまり、たとえ物自体という言葉を使おうが使わなかろうが、その本質において、カントを嘲笑し、物自体を排除するのと変わないのなら、こういったヘーゲル的な観念論に逆らいがたい(どんなに避けているように見えても、別の形で反復されてしまう)ことは避けがたいのではないか、という疑いなのだ。
そして、柄谷はこの問題と同型の問題を、いわゆる「ポストモダン」に対しても見出し、批判する。

だが、別の意味では、マルクスは「理念」の不可避性と機能を認めていたといわねばならない。たとえば、共産主義仮象にすぎないが、その幻想性を批判することは、「その幻想を必要とするような状態をすてれおと要求すること」にほかならない。この状態が廃棄されないかぎり、「宗教」は存続するだろう。今日、ポストモダニズムと呼ばれる議論は、基本的に、ヘーゲル的な「理念」の物語への批判である。そして、それがマルクス主義的理念の批判として語られたのである。しかし、マルクスにとって、理念はもともと仮象にすぎないのであり、いまさら崩壊するわけがない。
むしろ、この理念の崩壊によって生まれたのは、ふたたびヘーゲルにもとづく世界史の「理念」、自由と民主主義の実現による「歴史の終焉」という論法である。それこそ「仮象」にほかならない。さらに、ここから生じたのは、対話的理性という新たな啓蒙主義への回帰か、またはあらゆる理念を嘲笑するシニシズムである。むろん、それは先進国(北)での言説でしかない。他方、後進国(南)では各種の原理主義が激化している。後者を、啓蒙的な対話で解消することはできない。後者の「幻想」を批判することは、「その幻想を必要とするような状態をすてろと要求すること」であるから。こうした南北の言説は、別々の事柄ではなく、両者をふくむ世界資本主義の現実を、それぞれに表象した仮象(想像的なもの)にすぎないのである。
(「探究3」3・3)

まあ、そうなりますよね。ポストモダンマルクス主義を「大きな物語」だとして批判したわけだけれど、カントであり、カントを踏襲したマルクスから言わせれば、そもそもが

でしかないわけで、むしろ、そうじゃないと勝手に思い込んで、仮想敵にして、さんざん叩いて、なんか、でっかいことをやったつもりになっているポストモダンってなんだったんだろう、という話でしょう...(というか、今だに「ポストモダン」がなんだとか言っている人っているのかな? ほんと久しくお目にかかったことがないように思うんだけどw)。