「マリーシア」のホーリズム

私はサッカーでよく使われる「マリーシア」という言葉を疑っている。この言葉はもともと、「ずるがしこさ」といったような意味で使われるようで、ゴール前でフォワードが「演技」をして、ペナルティエリア内でファールをもらったかのような動作をすることで、PKをもらう

  • テクニック

のようなものを指して言われるわけだが、私が疑っているのは、こういったものが「ある」ということを疑っているのではなくて、こういったものを

  • 恣意的

に使い分けることが、果して人間にできるのだろうか、といった疑問なのだ。
人間はそんなに器用にできているのだろうか?

昨年9月に石川県小松市であったカヌー・スプリントの日本選手権で、カヤックシングル(1人乗り)に出場した男子選手(32)が、別の男子選手(25)の飲み物に禁止物質を入れ、レース後のドーピング検査で陽性になっていたことがわかった。2人とも、昨年8月にチェコであったスプリント世界選手権の日本代表で、2020年東京五輪の日本代表入りを目指すトップ級選手だった。
禁止薬物を混入した選手は、日本カヌー連盟日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の調べに対し、2020年東京五輪出場が危うくなったと感じライバルを陥れようとした、と説明している。
ライバルの飲み物に禁止薬物 カヌー日本代表候補が混入 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

こちらは、自分がオリンピックの代表に選ばれるかが怪しくなったので、ライバルをドーピングで失格させようとした、という少し前の事件であるが、ある意味でこれだって「マリーシア」なわけであろう。もちろん、結果としてこの戦略は「失敗」しているわけであるが、私が言いたかったことは、試合内での「マリーシア」を認めておきながら、試合外での「マリーシア」を認めない、などという器用なことを人間は本当にやるのか? つまり、そこに「線引き」をする、という行為自体が実に不自然であるし、そんなに簡単になにかの分野で線を引けることではないんじゃないのか、と思わずにいられないわけである。

ツイッターでは「稲村亜美に抱きついた奴もいた」と中学生たちの興奮気味な書き込みが散見され、それに対しては「metooだ」「中学生たちを罰しろ」という意見もあります。確かに中学生を罰しなければならないでしょう。それはネットリンチではなく、まず指導者たちが、です。これは学校の先生でも良いでしょう。また彼らの親もです。稲村亜美さんの警護を甘くみた協会関係者たちも、です。
metoo案件「稲村亜美、性欲旺盛な少年野球選手たちに襲われる?」は提訴も想定

この事件は、ようするに稲村亜美という野球を「セックスシンボル」として芸能活動をしている女性が、始球式で少年たちに囲まれたというわけであるが、まあ、結果として稲村が公式の場で、その「トラウマ」を語ることはできない。なぜなら、自分が「それ」で稼いでいることを十分に分かっているから。しかし、ここで起きていること自体は、かなり「構造的」であることが問題になっている。
つまり、こういう「状況」を作っている時点で、別にこれはこの場所でなくても、学校のグランドで、ただの女子生徒でも起きうるわけで、こんな「危険」な状況を用意している関係者自体の認識の甘さが、まずは責めらられる、というわけであろう。

運営会社は障害福祉サービス会社「実る」。市によると、施設側は平成28年3月、知的障害がある20代の女性利用者が約束を守らなかったとして、「私はうそつきです」という趣旨の文言が書かれたA4サイズのカードを自分の首にかけるよう強いた。
同年9月には、約束を破った場合に連帯責任を負わせるとした誓約書を作成し、20~30代の女性利用者3人に署名・捺印(なついん)を強要。音楽プレーヤーを1年間取り上げたり、テレビを見ることを制限したりしていた。このほか、「定刻に起きてこなければパジャマのままでも放(ほう)り出すように」などとの張り紙を作成し、利用者らに示した。
カードを首にかけさせられた女性利用者は、市の聞き取りに「(運営会社)代表に『かけろ』といわれた。とても嫌だった」と説明。代表は「他の人に迷惑をかけないようにカードをかけさせた」と話しているという。
また、同社が運営する生活介護施設「club can do」では規定通りに医師を配置せず、給付金約26万円を不正受給したとして、市は5月1日付で同施設の事業所指定を取り消す。28年7月、市の定例指導で医師の不正が発覚し、その後の調査で心理的虐待も判明した。
「私はうそつき」知的障害者にカード、兵庫・姫路の施設を処分 - 産経WEST

この事件は、とても「日大アメフト」問題と似ている。つまり、この「問題」は確かに、「プラカード」問題によって白日の下にさらされたわけだが、そもそも、それ以前から、かなり陰湿な「いじめ」が続けられていたことが、なぜか今ごろになって分かった、という構造になっていることであろう。
つまり、私たちは基本的に「性善説」ですべてを考えている。よって、基本的に「まさかそんなことが起こっているはずがない」と最初から考えるから発見できない。しかし、そうやって分かってしまえば、後から考えれば、どう考えても「おかしい」ことはさまざまに見出されていた、というわけである。

知らないうちに飲まされて性暴力に悪用される睡眠薬などの「デートレイプドラッグ」。それらが夫婦などパートナーへの暴力(DV)に使われることもある。家庭内の性暴力は犯罪との認識が薄く、他人に相談しづらいため、表面化するケースはまだまだ少ない。
レイプドラッグ、夫婦間にも 料理に睡眠薬、ネットに手口:朝日新聞デジタル

「嫁に魔法をかけてみた」「嫁が飲む野菜ジュースに仕込みました」。ネットの掲示板には、妻たちに睡眠薬を飲ませてわいせつ行為をしたとうかがわせる内容の書き込みが散見される。「妄想」などと前置きしつつ、混入方法や薬の隠語でのやりとりが飛び交う。
武蔵大学千田有紀教授(社会学)は「妻に不満や劣等感を抱いている夫が、性欲だけでなく支配欲を満たそうとしているのではないか」と分析。「加害者は家庭の問題は処罰されないと見ており、被害者もDVや犯罪との認識が薄い。夫婦でも同意のない性行為は許されない」と指摘する。
性暴力被害者の相談に応じるNPO法人「性暴力救援センター・大阪SACHICO」代表の加藤治子医師によると、夫婦や親子の間で睡眠薬などの使用が疑われる性被害の相談が2010年の開設以降、3件あった。家庭内の性の問題は他人に相談しにくいうえ、薬物の使用は証明しづらい。「実際はもっと被害があるかもしれない。夫婦だからとうやむやにしていると被害が繰り返され、子どもや他の女性に及ぶこともあり得る」と話す。
レイプドラッグ、夫婦間にも 料理に睡眠薬、ネットに手口:朝日新聞デジタル

上記の興味深いことは、これが「家庭」の中で起きている、ということであろう。そもそも夫婦はもとは他人であり、お互いにさまざまな日常のさまざまな出来事からの「ストレス」を、相手に向けて発散反映していることが多い。そういう意味では、夫婦ほどデリケートな関係はない、とも言えるのだろう。

チェシー・プラウト(19)は、名門進学校を卒業する男子生徒が後輩の女子生徒と何人セックスができるかを競う伝統行事の犠牲でレイプされたことを、同校で初めて警察に報告し、司法の場にまで持ち込んだ。
米名門校で蔓延するレイプ競争。被害女生徒が実名顔出しで立ち上がった理由

公判で検察の追及によって明らかになったのは、同校にはびこる男子生徒の忌まわしい伝統行事だった。卒業間際の男子は、「シニア・サルート(3年生への敬意)」というゲームで、卒業前に何人の下級生とセックスできるかを競っていた。Facebookのグループも作り、女生徒のリストまで作っていた。特にチェシーは姉妹で在学していたため、誰が姉妹2人をシニア・サルートに誘えるか、校内で最大のターゲットになっていた。
米名門校で蔓延するレイプ競争。被害女生徒が実名顔出しで立ち上がった理由

上記の問題は、ようするに「エリート高校」の男子生徒たちが、かなり「おおっぴら」(つまり、お互いに対しては、かなりオープンに)こういった犯罪を「ゲーム」感覚で行っていた、というところにあるだろう。ようするに、私たちは

  • エリート高校

の生徒が、そんな最下層の不良生徒と違って、こんな「野蛮」なことをするはずがない、と思っているわけだが、これも「男子」同士の「仲間」意識が、そういった「競争」をエスカレートさせる。まあ、それが「エリート」というか、学校の成績が優秀な連中が「集まって」考えること、ということなのだろう。
彼らにとって男女のセックスは、男同士がどの女をものにできたかの人数を競う「ゲーム」と化しているわけで、男女の関係はエリート男子グループ内の(男同士で「もりあがる」)関係に還元される。

スウェーデン議会は、性行為に及ぶ前に男性が女性から明確な同意を得ることを義務付ける法案を承認した。明確な同意を得なかった場合、男性は双方の合意によるセックスの場合であっても強姦罪に問われる可能性がある。
ドイツのマスコミによると、同法律は2018年7月に施行される予定。
女性が性行為に明確な合意をしなかった場合、その行為はレイプと見なされる可能性があるという。また同法律は、成り行きの関係だけでなく、恋人や夫婦にも適用される。
スウェーデンの男性にセックスの同意を女性から得ることを義務付けへ - Sputnik 日本

まあ、ようするに「マリーシア」をこじらせると、お互い疑心暗鬼になるから、ここまで行かないと、なにも話が進まなくなってしまう、ということなのであろう。これは、あくまで「男女」の関係に過ぎないが、基本的にその他すべての関係においても、同様の問題が待ち構えているわけで、じゃあ、そういったさまざまな「マリーシア」に、私たちがなんらかの「防衛策」をとるということは、何を意味しているのだろう。憂鬱な社会の想定しか浮かばないわけである...。