大学進学の錬金術

興味深いことに、左翼を「リベラル」と称している連中ほど、大学受験における

  • 親の学歴格差

について語らない。それは自称「思想家」でも変わらない。なぜなら、彼ら自身こそがこの

  • 恩恵

にあずかって、エリート・コースを進んでこれたのだから。

東大生の親の62.7%が年収950万円以上だ。一般群では12.3%しかいないことを考えると、極めて高い比率と言える。職業をみると東大生の父親の43.4%は管理職で、こちらも一般群(3.6%)とは大きな隔たりがある。
東大はエリート官僚養成のために作られた帝国大学で、戦前期は入学資格が制限されていた(旧制中学・高校を経た男子限定)。
東大生の親の6割以上は年収950万円以上(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

早期受験は、親が子に富や地位を「譲渡」するルートとして機能している面もある。あからさまな財の贈与ではなく、「当人が学校で頑張った結果だ」と理屈づけもしやすい。90年代初頭に、私立高校からの東大入学者の枠を制限したらどうか、という議論があった。当時から、こうした見えざる「不平等」は問題視されていた。
東大生の親の6割以上は年収950万円以上(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

しかし学校での競争は100%公正なものではない。有力大学の学生の家庭環境から推測されるように、業績主義の衣をまとった属性主義が作用している。それを正当化するのは、既存の格差の維持・再生産に寄与することと同じだ。学校の逆機能(病理)に他ならない。
東大生の親の6割以上は年収950万円以上(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

ようするに、どういうことか? 前回紹介した小坂井という人は、『神の亡霊』において、社会の「平等」化が、

  • 結果

の「フェアネス」、つまり、「正当性」を与えることで、階級社会以上に、階級の「定着」といった現象が統計的には現れる、といったことを指摘している。

難関大学に上層の子弟が集まるのは、家庭環境が学力差を生むからである。進学資金だけが問題なのではない。家庭の事情により、言語や教養の習得に差が出る。したがって、貧困層の授業料を免除したり、奨学金を与えても解決にならない。小学校入学前に現れる能力差を是正するどころか、学校制度は逆に拡大する社会装置である。

神の亡霊: 近代という物語

神の亡霊: 近代という物語

アファーマティブ・アクション積極的差別是正措置)は、個人間の能力差には適用されない。人種・性別など集団間の不平等さえ是正されれば、あとは各人の才能と努力次第で社会上昇が可能だと信じられている。
神の亡霊: 近代という物語

親から子を取り上げて集団教育しない限り、家庭条件が生む能力差は避けられない。
神の亡霊: 近代という物語

この事情を私なりに整理してみよう。「家族」において、親は子どもに「贈与」する。しかし、この「贈与」はそもそも、

  • 格差

がある。お金のある家庭は多く子どもに「贈与」するし、そうでない家庭はそこまでできない。お金のある親が考えるのは

  • 子どもに「普通の教育」を受けさせない

ということである。つまり、お金をかけて「特殊」な教育を与えようとする。つまり、「普通の教育」を受けた、すべての日本国民より「成績が良くなる」教育であり、それを可能にするのが、この「贈与」である。

一九八〇年以降は、公立高校でなく、麻布・開成・灘・ラサールのような私立校から東大など難関大学に多数入学する。
神の亡霊: 近代という物語

お金のある親は、「普通の教育」をする普通の高校ではなく、子どもに「上流大学に行ける」トレーニングをしてくれる特殊な高校に入れようとする。そういった高校では、例えば、そこの教師は、上流大学の関係者と通暁していて、そういった大学が、どういった傾向の問題を出題するのかを理解している。中には、そういった関係者とツーカーの仲の人もいるだろう。つまり、より「上流の大学に入る」ための「特殊なトレーニング」を、そういった高校でだけ、そういった高校に入った子どもは受けられるわけで、必然的に、そういった高校の上流大学への進学率が高くなる。
しかしね。
これって「錬金術」だよねw 私は基本的に東大廃止論者だが、東大だけではなく、上記の「麻布・開成・灘・ラサール」のような進学校に入った子どもたちが

  • 自分を恥じる

ようにならない限り、この問題は解決しない、と考えている。
日本医大の受験における女性差別もそうだが、基本的に

  • 教育ならば平等でなければならない

という大原則に返らないと、すべては「差別主義」に開き直る結果になるだけ、と考えている。教育であるのに「能力主義」は矛盾だ。教育ならだれでも受けられなければ、それを教育と名乗るべきじゃない。この原則を見ようとしないから、こういった東大の

  • 醜い

階級の再生産が繰り返される。大学は自らのやっていることが

  • 教育なのか研究なのか

をはっきりさせるべきだ。そして、もしもそれが「教育」なら、基本的にだれでもそれを受ける権利を保証しなければならないはずだ(なぜなら、憲法には国民の教育を受ける権利を保証しているのだから)。そうでなく、「研究」なら、その範囲で研究員を

  • 雇え

ばいいし、そういった研究機関は私企業を含めて多くある。この大原則を真面目に守ろうとしない限り、こういった「本音主義(家族の自分の子どもを優先したいという温情)に勝てない、たんなる「差別主義者」に開き直る保守主義者に堕落するしかなくなるわけだ...。