鴨志田一『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』

今期、放送されている深夜のテレビアニメに「ゴブリンスレイヤー」というのがあるが、この、第一話は一部で、少し「話題」になった。というのは、どう見ても

  • レイプ

を思わせる表現があったからで、こういったものを

  • アニメ

で作り放送するのは「いかがなものか」といった指摘が、まあ、必然的に起きたから、というわけである。

2018年10月23日に行われた「第207回青少年委員会議事」。議事録によると、7人の委員全員が出席、9月16日から10月15日までに寄せられた視聴者意見について意見を交わしたという。中でも、深夜アニメについては以下のような意見が紹介されている。

「モンスターを退治するために冒険するというストーリーの深夜のアニメ番組で、少女がモンスターの集団に襲われるシーンについて「女性に対する性的暴力の描写があり非常に不愉快だ。青少年に悪影響を与える」「女性蔑視の内容を公共の電波で流すのは青少年の教育上いかがなものか」などの意見が寄せられました(「第207回議事概要より引用)」

----「モンスターを退治するために冒険するというストーリーの深夜のアニメ番組」とは、『ゴブリンスレイヤー』に違いない。
1話のゴブリンの脅威を描いたシーンはネットでも話題となっていた。ギリギリの表現であったことは間違いないだろう。なお、この視聴者の意見に対して青少年委員からの答えは下記の通り。

「性的暴行や残忍な行為を想像させるようなシーンはあったが、表現上の配慮はなされていた」
「深夜の時間帯ということを考えると許容範囲だと思う」

----セーフ! ゴブリンスレイヤーさん、セーーーーーーーフ!!
確かに、『ゴブリンスレイヤー』の表現は過激だ。しかし、だからこそ主人公がゴブリンを徹底的に駆除する理由にも説得力が出ているような気がする。
もし、あのシーンを削った場合、今度は駆除することに「倫理的にどうか」という意見が出るかもしれない。なかなか難しい深夜アニメに対する「配慮」と「表現の自由」。あなたはどう思うだろうか?
【BPO回答】「青少年に悪影響を与える」深夜アニメ『ゴブリンスレイヤー』に寄せられた視聴者意見に対する青少年委員会の見解がこちらです | ロケットニュース24

上記の問題は、ネット上では、むしろ、「オタク」が狂喜して「絶賛」するところから始まったのではなかったか。ようするに、オタクは、地上波で「レイプ」が、ここまで

  • 正々堂々

と(アダルトというカテゴリーではない)、地上波「アニメ」で描かれたことを、「表現の自由」の勝利として喜んだ。つまり、彼らは

  • これでもっと、ゾーニングの外で、おおっぴらに女性を残虐に扱う「描写」を描くことが正当化された(突破口ができた)

ことを喜んだのと同時に、そのことがアダルト漫画や、同人誌では

  • 当たり前

に描かれている、「レイプ」の

  • 市民権の獲得

のように解釈し、「男性の女性をレイプする権利」といったような、功利主義的な「帰結主義」的な権利への第一歩といったように、その彼らの

を満足させる事態として受け取った、というわけである。
しかし、このように考えてみると、フェミニズム側の、このアニメ「ゴブリンスレイヤー」の「レイプ」描写批判が、あまり活発に行われていないことに、違和感を覚えるかもしれない。このことは、一義的には、そもそもフェミニストが、わざわざ男性向けアニメを、自分の趣味嗜好から見ようとしていない、ということが大きいわけであろう(そもそも、アニメの深夜枠って、ある種の「ゾーニング」のはずなんでね)。
しかし、私はこのアニメを第一話以降も見て、また、そのラノベも、第二巻までだが読んでいるわけだが、なんか、そんな単純な話、つまらない話にまとめなくない、といった感覚をもってしまったわけである。
というのは、本当に「レイプ」描写は

  • タブー

なのだろうか。タブーだということは、「報道」しない、ということである。だれも知らない、ということである。それでいいのだろうか?
例えば、3・11のとき、テレビは一斉に、報道規制を行い

で亡くなった人たちが、波に流されている

  • 死体

を一切、テレビ画面に写さなかった。これは、本当に正しかったのだろうか? 私たちは「真実」に向きあわなければならなかったのではないのか?
このことは、今、さかんに報道されている、イラクでゲリラに捕虜になっていた、安田さんが解放されて、日本に帰ってきたときに、再びネット上で再現された

  • 自己責任論

への「気持ち悪さ」とも関係する。驚くべきことに、ネット上の自己責任論者は、日本は危険地帯の報道をすべきじゃない、と言っているそうで、なぜなら、海外の大手メディアが報道してくれるから、なんだそうであるw なんで、日本は報道「禁止」になってOKなのに、海外はそうならないと思えるのか、お花畑も極まれり、といったところか。
ようするに、海外の危険地帯を

  • タブー

にしろ、と、こういった連中は言っているのだ。しかし、なぜそこが「危険」だとお前は知っているのか? だれかが報道したからであろう。なぜ日本政府は、「危険地帯」を日本人に警告できるのか? だれかが報道したからでしょう。逆に、もしも日本政府が、自分たちが日本国民に「報道させたくない」という意図をもって、別に危険でもない土地を危険地帯だとして、報道をさせないように陰謀を画策したら、私たちは戦争中の

よろしく、なにも見なかったことにして、国家の「悪」を見逃すのか、へいこらと国家の言いなりになって、おとなしく、カミカゼ特攻隊になって国家の命令で自殺すんのか?
あのさ。日本の憲法を読んでみろよ。どこに日本人にとって、日本政府は「移動の自由」を制限できる権利がある、なんて書いてある? 私たち、日本国民は、海外のどこへ行ってもいいんだよ。それは、憲法が保証してるの。日本政府が行ったのは、危険地域に入ること対して「なるべくやめるようにお願いします」といった

  • 依頼

であって、日本政府が危険地域と指定している地域に入ったら「罰金」はいくら、とか言っているわけじゃないわけでしょ? そもそもさ。安田さんは、拉致監禁されたの。これ、立派な「犯罪」でしょ? だったら、犯罪を「行った」連中が悪いにきまってるじゃない。なんでそっちを非難しないで、安田さんが「悪い」みたいな「へたれ」なことを言ってんの?
もしも安田さんのために「賠償金」が払われたら、それが犯罪者集団の資金源にされる、とか言っていた連中がいたけど、そもそも安田さんは「拉致監禁」という「犯罪」の被害者なの。その安田さんに対して、日本の憲法

  • すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

って言ってるの。犯罪者集団に拷問されているのが「健康で文化的」なのか? あのさ。なに他人事みたいに言ってんだよ。お前だって、日本国民なんだろ。この犯罪者集団にお金を渡した場合の、相手の資金源にされることの問題を考えるなら、どうやってこの犯罪者集団を「とりしまれる」のかを、あんたにだって頭がついてるんだから、考えたら?
日本の税金を使うのが「もったいない」とか言う連中も、どっちみち、この世界には、さまざまな「犯罪者集団」がいるんだろ。だれだって、そいつらに掴まる可能性があるんだろ。だったら、それ用の「保険」制度を作って、あらかじめ「対策」するしかないんじゃないの。
あのさ。日本国憲法は、私たち国民の「行動の自由」を保証してるんだよ。だれも、私たちの行動を禁止することなんかできない。だれだって、だれかの迷惑になるかもしれないと恐れながら、なんとか人の役に立ちたいと、必死で考えて生きてんだよ。必死で考えて、決断して、行動してんの。そんなに簡単に人の行動を咎められないよ。そんな権利が、一体、どこにあるの? 憲法のどこに書いてあるの? 憲法は、一人一人の国民に「自由」に生きていい、って書いてんだよ。それをなんの権利があって、お前は、「安田さんは何々をしちゃいけない」とか言ってんの。恥を知れよ。
少し前置きが長くなったが、掲題のラノベは、少しこの文脈と関係した内容だと思っているし、ちょうど今、地上波のアニメで放送を行っている個所でもあるわけだが、私はこの第二巻が非常に重要だと思っている。
このラノベは、ある意味で、『ゴブリンスレイヤー』と似ている。
ゴブリンスレイヤーがなぜ、ゴブリン退治に、こだわるようになったのかは、彼の姉の存在が関係していたことが示唆されている。つまり、姉はゴブリンに「レイプ」された。
しかし、この世界における「ゴブリン」とは、どういう扱いがされているのか。それは、徹底した「軽視」である。ゴブリンは、その一体一体は、知能も低く、一般的な勇者と比べれば「弱い」わけで、ゴブリン退治は、それほどの「報酬」を期待できない、「安い仕事」という扱いになっている。例えば、この世界の「軍隊」は、ゴブリン退治をやりたがらない。なぜなら、もしもゴブリンと戦って、兵隊が負傷をした場合に、その兵隊の

  • 保険や年金

がかかるわけで、できるだけ、こういった「町のトラブル」系は、

たちにやらせたがる。つまり、この世界の「冒険者」とは、安田さんの職業の「フリージャーナリスト」に似ているわけで、ようするに、自分で責任をしょいこんで仕事を行っている人たち、というわけである。
掲題のラノベにおいて、なぜ主人公の梓川咲太(あずさがわさくた)は、学校コミュニティから距離を置いた、アイロニカルかつ孤独な存在になったのか? それは、彼の妹が受けた体験が関係している。

  • 妹の通っていた学校の同級生から、妹はある時期、ひどい「いじめ」を受ける。
  • その「いじめ」に起因した超能力によって、甚大な被害をこうむった妹を、無理解な周囲の大人が、彼女を擁護しない。

ここで、この「超常現象」の非科学性が問題なのではない。それがどういうものであれ、彼と彼の妹を除いた「周り」の人間たちが

  • 信用できない

ということを十分に悟らされたことが、彼のそれ以降の「変化」を決定づける。
ゴブリンスレイヤーにとって、彼の姉のゴブリンによる「レイプ」であり、残虐死が、周りの社会からは「ゴブリンの軽視」によって、その「深刻さ」が理解されなかったように、梓川咲太にとっての妹の「いじめ」体験は、周りの社会がその「深刻さ」を理解しなかったことと同型の問題として、彼ら二人の、ある意味での、コミュニティへの

  • デタッチメント

を特色づける。
掲題のラノベのヒロイン、古賀朋絵(こがともえ)は、クラスの3人の友だちの一人、玲奈ちゃんが好きな前沢先輩から告白されそうになることを、なんとしてでも避けたい:

「お前も、あの人のこと好きなわけ?」
「ううん......モテそうな人はいっちょん好かん」
「だったら、さっさと告白されて振ればいいだろ」
何も隠れる必要はない。正々堂々と振ってやればいい。文化祭が近付くと、突然バンドをはじめそうなイケメンが振られるのはいい気味だ。
「そんなことしたら、絶対にクラスせハブられる! 玲奈ちゃんの......友だちの好きな人なんだよ?」
「はあ? なんだそれ。付き合うわけでもないのに」
「告白されたらダメに決まってるじゃん」
「意味わからん」
「応援するって玲奈ちゃんに約束しちゃったし......なのに、あたしが告白されるとか、空気読めなさすぎ」

朋絵の行動パターンは全て、これに準じる。つまり、高校から福岡から転校してきた彼女にとって、クラスでできたその3人の話し相手が

  • 唯一の「繋がり」

であり、この関係を絶対に壊すことはあってはならない。そのためなら、なんだってする。つまり、彼女にとって全ては

  • 世間

なのであり、その世間の「評判」が彼女の全ての実存を決定する。学校での評判、世間からどう見られるか。
しかし、である。
それは、結局は行きづまる。なぜなら、それでは「自分」の問題が解決しないから。たとえ、自分と周りの関係が解決しても、「自分」の問題は別に残ってしまう。そうである限り、この「病」からは抜けられない。

「古賀」
「っ!」
声をかけると怯えたように朋絵が反応した。
たとえ傷付けることになっても、言わなければならないことはある。
「僕がいつ迷惑だって言った」
「ひどいよ、先輩.....」
「今頃、気付いたのか?」
「先輩なんて嫌い、大嫌い! 先輩がいけないんじゃん! あたしに、いっぱいやさしくしたから......」
「そうだよ。だから、僕に気を遣う必要なんてないんだ」
「こんなあたしも嫌い、大嫌い......こんなのあたしじゃない!」
「いいや、古賀だよ。それも古賀だ」
「違う! これはたしじゃないよ! あたしは夏休みが来てほしい。早く先輩と友だちになって楽しく笑いたい! それしか望んでない!」
この期に及んでも、朋絵は涙を一滴も零していなかった。こぼしたら全部が終わってしまうことを知っているかのように、潤んだ瞳で咲太を見ている。
「もう、自分に嘘をつくのはやめろ」
「......」
「お前は、正義の女子高生だろ?」
「ずるい......そんな言い方......」
「古賀にできないことなんてない」
「ずるい、ずるいよ、先輩......」
「だからさ、もう我慢しなくていいんだ」
「先輩のバカ! バカ! 嫌い、大嫌い! でも......」
朋絵の声は悲痛な想いに濡れていた。
「でも......好き......」
じわっと瞳に涙が溜まっていく。
「あたしは、先輩が好き......」
鼻をすすりながら、朋絵が大きく息を吸い込んだ。
「大好きぃ------!」
ずっと溜め込んでいた想いが、朋絵の体から一気に溢れ出す。咲太の全身に真正面からぶつかってきた。
その純粋さは、空高く舞い上がっていく。
「古賀」
そっと、声をかけた。知り得る限りのやさしさを総動員して......。
朋絵は一瞬だけ涙を耐えようとしていた。けれど、咲太の言葉がそれを許さなかった。
「よくがんばったな」
「ううっ......」
朋絵が顔をくしゃくしゃにする。溢れ出る涙は、きらきらと朋絵の頬を輝かせた。
「ほんとがんばった」
「うう......うわあああああ......」
言葉にならない嗚咽が空へと昇る。わんわんと泣き続ける朋絵の足元を、涙の雨が濡らしていくぼたのたと、ぼたぼたと......。

3・11の津波で亡くなった人たちのことを考えると、彼ら彼女たちが、あそこで人生が終わってしまったこと、短い人生だったことを考えると、なにかをやってはならない、と言われることの安っぽさを実感させられる。
人生は短い。
なにをやってもいいのだ。
掲題のラノベのシリーズは、それを「青春」と呼ぶ。青春とは、自分で閉じこもっていた殻を、「自分」で破ることである。しかし、それは簡単には起きない。なぜなら、その殻を作ったのも自分なのだから...。
(以下は、少し余談だが、「ゴブリン」とはそもそも、欧米人から見た「アジア人」のアナロジーである、という印象を受けるわけで、ようするに、欧米人目線からの、ある種のアジア人に対する「差別」の視線を、感じるわけである。ところが、RPGゲームに熱中した人たちは、おそらく、そういった解釈に、ほとんど拘泥することなく、「遊び」として、素直に吸収したのだろう。こういった感覚は、どこかSFファンが、欧米のSFを日本に紹介し、吸収していった経緯との相同性を感じる。ゴブリンの背の低さは、アジア人の背の低さであり、ゴブリンの猫背は、日本人の猫背であり、ゴブリンの肌の「色」は、まさにアジア人が「カラード」であることを意味する。ゴブリンは、知能が低い。しかし、そのことは奴らが「かしこくない」ことを意味しない。むしろ、彼らの直観的な犯罪への「アイデア」は、人々を驚かす。しかし、それは欧米人が、アジア人を「劣等人種」と眺めていることと同様に、欧米人と同じような「哲学」が、日本人には見られない、という観点が、「ゴブリン」の「低能」には象徴されている。しかし、もっと議論を進めてみよう。ゴブリンとは、日本の「オタク」なのではないか? ゴブリンは自分の「欲望」に素直に行動する。目の前に人間がいれば、殺して、略奪しようとするし、人間の女がいれば、レイプして、ゴブリンの子供を身ごもらさせようとする。まさに、ゾーニングされているアダルト漫画や、エロ同人誌を見て、「興奮」している、「オタク」たちの生態を象徴している。しかし、もしもそうだとすると困ったことになる。なぜなら、「ゴブリン・スレイヤー」は、そんな「ゴブリン=オタク」を、次々と問答無用で「切り殺して」いくからだ(主人公の性格から考えても、どこかアニメ「ボトムズ」に似ているかもしれない)。「ゴブリン・スレイヤー」は、どこか「必殺仕事人シリーズ」に似ている。アニメ版「ゴブリン・シレイヤー」第一話で、「レイプ」だと騒いでいたオタク連中も、いい加減、ばったばったと「ゴブリン=おたく」が切り殺される場面ばかり見させられて、食傷気味に、辟易しているのかもしれない...。)