萌え絵とアニメ絵の関係

NHKキズナアイ問題のとき、キズナアイのVtuberの女の子の見た目が、「萌え絵」「アニメ絵」と一般に称されるものだったこともあり、そこがフレームアップされ、注目された。
フェミニストたちは、ノーベル賞受賞者にインタビューする彼女たちの「受け身」な態度に、女性を常に「男性の一歩後ろを歩いている」、古典的な家庭妻の印象を読み取ったわけだが、彼女たちはそれと一緒に、その「絵柄」の「特徴」に特に、注目し

  • こういったもの

が、こういった公的な場所に「ふさわしい」のかを問題提起したわけである。
しかし、それに対する、世の中の反応は早かった。というのは、この話題がデリケートなのは、実際の「絵師」さんたちの「仕事」の活躍場所に関係してくるわけで、いろいろな立場によって、そう簡単に譲れない事情があったからだ。
この議論に過程で、当然ではあるが

  • 定義問題

の重要性を主張する人たちが現れた。フェミニストはいろいろ問題にしているけど、あんたたちの言う「萌え絵」「アニメ絵」ってなんなんだ、と。定義のよく分からないものによって、世の中が「規制」されていくのは不健全ではないのか、と。
ここからは私の私見になるが、私はそこまで「複雑」な問題だとは考えていない。
まず、「アニメ絵」であるが、これはアニメ「SHIROBAKO」の後半のストーリーが分かりやすく描いてくれている。あるアニメ制作会社が、次回作として、漫画の原作のあるアニメの作成を企画した。そして、そのキャラクターデザインとして、社内で才能はあるが、まだ一度もキャラデザをやったことはなかった女性が選ばれた。彼女は、この任された重大任務に誇りをもって、必死でキャラデザを行った。ところが、漫画の原作者が「これ違う」と言って、いつまでたってもOKを出さなかった。
なにが起きていたのか?
ようするに、キャラデザの方は、原作の絵の特徴が「動画」に乗りにくい、「くせ」のある絵であることから、彼女なりの解釈で、「アニメ絵」ちっくな方に寄せて描いていた、というわけである。
おそらく、こういった「事情」は、アニメ制作の現場では日常茶飯事で起きていることなのではないか? つまり、「アニメ絵」とは、なんらかの絵の「表象」のことを言っているのではなく、こういった形で、アニメ制作の現場で、ほぼ必然的に進んでいる

  • 規範化

の流れを示しているわけである。彼らは、言ってしまえば、「動画」のプロである。しかし、漫画家は、そもそも「動かす」ことを頭に描いて漫画を描いていない。ようするに、まったく

  • 違う

ものだ、ということが世の中的に認知されていないのだ。
アニメ絵と言う場合、こういった形で、業界的に、ほとんど「統一化」とでも言ってもいいような、ある定型的な「描き方」がイメージされているし、そして、大事なポイントは、それは別に「完成」されているとかいうものでもないし、完成を目指しているわけでもない、自然発生的にできあがってきたなにか、といった印象がある、ということである。
では、対して、「萌え絵」とはなんだろう? こちらについては、そもそも「萌え」という、主にサブカル系で使われてきた「言葉」にひっぱられていった事情がある。まず起きたのは、

  • 中国

での、この漢字「萌え」の「受容」である。この言葉は、漢字だったこともあり、中国社会にアニメなどのサブカルと並行した形で急速に受容され、理解されていった。そして、こ動きを加速したものに「日本鬼子」などの

  • 女体化プロジェクト

がある。このプロジェクトは、だれかが企画したとか、そういった範囲を超えて、日本のサブカルの大きな動きになっていて、地方の「ゆるキャラ」のようなものにおいても、普通に見られるムーブメントとなっている。
ようするに、オタクが以前は「喜んで」いた、さまざまなアイテムが、

  • 女体化

される(女の子キャラ化される)形で、急速に「拡大」した。
こうやって考えると、この二つの概念は重なってはいるが、同じではない、とは言えるのかもしれない。「アニメ絵」は、どちらかというとアニメ制作の現場における「技術」の側面が強く、「萌え絵」は、

  • こういったもの

という形で、中国などの周辺国で「受容」されて行ったときの「アイコン」といった印象、といった感じだろうか...。