韓国の「錬金術」

今回の、徴用工問題の話は、そもそも、日本側の視点においては、例えば、中国においては、徴用工の方々と日本企業が「和解」をしようとしていることから分かるように、そもそも、それなりの「人権問題」として、大変な時代を生きられた、韓国の方々に、それなりの、中国の方々に対するのと同等の「誠意」を示したい、と思っていることについては、それほど変わらないんじゃないのか、と思っている。
ここで日中と日韓が違うのは、二点ある。

判決が大きな影響を持った理由はこの判決が採用した法的論理そのものにある。第一はこの判決が徴用工を巡る問題を、請求権協定の外に置いたことである。すなわち、同判決において韓国大法院は、請求権協定に至るまでの交渉過程において日本政府は朝鮮半島の植民地支配の違法性を認めることなく終始しており、それゆえに請求権協定には、日本政府および日本政府の施策に従い企業等が行った不法行為に伴う慰謝料は包含されていない、と主張した。すなわち、これにより韓国大法院が認める植民地期のあらゆる不法行為に伴う慰謝料は、請求権協定の外にあることが確定したことになる。
第二は、これと併せてこの判決が、「不法な植民地支配」という語を採用し、いわゆる植民地支配無効論の立場に実質的に立ったことである。これにより日本の植民地期における法行為はその大部分が「不法」なものとなり、結果、この不法行為に伴う慰謝料請求権は、当時を生きたほとんどの韓国人が有することとなる。すなわち、韓国大法院の判決は、植民地期を生きた韓国人の日本の植民地支配に伴う慰謝料の個人的請求権を、請求権協定の枠外としたのみならず、その不法行為の範囲を極めて広く認定することにより、広範な人々が日本による植民地支配に伴う慰謝料請求権を有することを実質的に認めたことになる。
韓国に広がる「日本どうでもいい」の理屈

一つ目は、日韓の間で締結された、請求権協定であり、いずれにしろ、これによって日韓の請求権問題は、一定の「解決」がされた、というのが、その文面においても、また、日韓の今までの政府の公式見解においても、また、その行動においても、一致していたわけで、つまり、この請求権協定が結ばれる段階においては、日本も韓国も、日本による韓国の「植民地支配」の解釈をお互いの国が「玉虫色の解釈」で曖昧にしたまま、この協定を結んだわけだけれど、いずれにしろ、その内容において

  • 最終

のものであることを、記述し、その内容の解釈において、この判決が出るまでは、お互いの国が一致していたのに、韓国の最高裁がその協定の「解釈」を全否定したことなんだよね。
二つ目は、その内容になるわけだけれど、ここで全否定の意味は、そもそも植民地支配は「違法」であるが、それについては、請求権交渉において「合意されていない」のだから、その「慰謝料」は、この合意に含まれていない、というものなのだけれど、恐しいのは、この

  • 慰謝料

が何者なのかが、まったく分からないことであろう。つまり、ここでの文脈の「植民地支配の違法性」は、大日本帝国の行った行為であるから、それにともなう、どんな、日本人が韓国人に行った「韓国の人を傷つけた行為」も、全て「慰謝料」の対象となることになる。ようするに、その当時生きていた、あらゆる日本人は、なんらかの形で、当時、韓国人と関わっていて、彼らを「傷つけた」ならば、この関係において

  • 慰謝料

の支払いが「残っている」と言っているわけである。これは、完全な

であろう。ようするに、韓国の人は、お金が欲しかったら、適当に日本人を掴まえて、裁判所に「植民地時代の慰謝料を払え」と訴えれば、正義の味方の裁判所は、

  • 一千万円

あげますよ(未払なら、毎年20%の利子付きでw)と言っているのと変わらないことを言っている。彼らの主張における、諸悪の根源は、「大日本帝国による、韓国の植民地支配」そのものにある。しかし、この「恩恵」を、韓国の国民との「相対的」な関係において、日本の国民が利益を受けていない人は、一人もいないであろう。
よって、すべての日本人は、根源的に、韓国人に、だれもがだれにでも「一千万円(未払いの場合は、毎年20%の利子付きで)」払わなければならない。
こんな恐しいことがあるのか、と思うかもしれない。
しかし、この事情を、韓国の国内政治の動向から考えてみると、そんなに簡単な話ではないことが見えてくるわけである。
まず、そもそも韓国は、戦後の大韓民国の成立から、まず断っておかなければならないのは、その憲法において、「植民地支配の違法性」が記述されている、ということであろう。よって、韓国の「国内法」であり「国内の裁判手続き」においては、

  • この認識

が、まずもってのベースにならなければならない、というわけである。
韓国が国内向けに、この戦後の何十年間にやってきたのは、戦中の国内の

の「つるしあげ」であり、彼らの「極悪人化」であり、彼らに罪をつぐなわせること、具体的には、公職追放であり、

  • 財産の没収

であり、つまりは、韓国は、そうやって当時の日本協力者を「永久追放」していった、というわけである。
つまり、どういうことか?
この「清算」が、一段落した、と考えてみればいい。「次の敵」は誰だろう? 言うまでもない。本丸の、日本人「そのもの」ということになるであろう。国内の「日帝協力者」をパージするなら、なぜ

  • 日本国内の「日帝協力者」

をパージしないのか、という話になるだろう。というか、これをやり切らない限り、韓国の「憲法」自体がうたっている「正義」は達成されない、ということになるのではないか?
言っている意味が分かるだろうか? 韓国は、終戦以降、ずっと

  • 戦争

をしているし、今も、戦争を「継続」している。戦後の日本が「敵」かどうかはともかく、日本には「日帝協力者」がいるわけで、彼らは明確な「敵」なわけだ。彼らには、

を償わせなければならない。さて。これを広く受け取れば、すべての日本人が「敵」ということになるのだろうが、韓国の方々が比較的冷静なのは、彼ら自身は、そこまでは思いつめてはいないから、ということになる。つまり、彼らが具体的に思い浮べているものの、一番分かりやすい例は、

  • 日帝時代の企業リスト

が示しているように、当時の「政治家」であり「官僚」であり、大財閥のトップであり、つまりは、安倍首相や麻生副首相のような、日帝に深く関係した役職につくことで、戦中に「小金」を儲けた、まあ

にはされなかったけれど、実質的には、それと同様の扱いをされるべきだった連中、を思い浮かべているんじゃないか、と想像するわけですよね。
反転にて、日本の文脈で考えてみると、日本は終戦後、A級戦犯などの国際軍事裁判はあったが、自国で自国民の罪を裁くことは行われなかったし、また、対応しての、日本人への「慰謝料」の支払いも行われなかった。戦中の、どんな、日本軍や官憲などによる非人道的な、日本国民への扱いに対しても、その「慰謝料」は払われなかった。なぜ、こういった運動が起きなかったのか、ということでは、一義的には、アメリカ占領軍が、こういった官僚崩れや、政治家崩れを、そのまま、役職に登用した、ということに尽きているのだけれど、この、どちらの意味でも

  • これ

でよかったのかは、少しも自明ではないわけであろう。
しかし、上記のニュース記事で、木村先生も言っているわけだが、この事態は、むしろ、韓国の日本への

  • 無関心

の現れ、だと言えなくもないわけである。まず、そもそも、こんなに騒がれていても、韓国の優秀な新卒は、日本の大企業はウェルカムで、どんどん採用している。だったら、韓国の人だって、政治がどんなに、日本に高い要求を突き付けても、どうせ、韓国の若者は、日本の大企業に好かれるんだから、いくらでも嫌がられることをやってやれ、と思うわけであろう。
そもそも、彼らは嫌がられることをやったことによって、自分がどんな被害を受けるのかもしれない、ということに「無関心」なのだ。なぜなら、それだけ、韓国という国の

  • 国力

が上がっているからだ。アメリカでも成功できるし、中国でも成功できる。今さら、日本を怖がり、変に、日本の反応に固執する理由もない。韓国は日本に「興味」を失っている。たんに、韓国はアメリカと、うまく交渉をしておけば、日本はなんとでもなると考えるようになっているし、経済力においてさえ、そのように考え始めている。
ようするに、韓国の人は、以前のように、韓国が日本を怒らせることを言うことに、それほどの「ショック」を受けなくなったのだ。だからこそ、もっと軽い気持ちで

  • 日本を馬鹿にする

ことが、簡単に口から出てくるようになる。それは、日本に今まで以上に「関心」がないからなのであって、だから、日本からひどく感情的な反応が返ってくると、なんでそんなにカリカリしているのかが分からない。
韓国の人にとって、日本は「馬鹿にしていい」くらいに、相対的な重要性が落ちた国であって、もはや、韓国は日本を恐れていない。そのことは、彼らが、まるで「空気」を吸うように、当たり前に、日本を馬鹿にし始めることと矛盾しない。馬鹿にするということは、それだけ、

  • 相手に関心がない

ということを意味し、どんな反応があろうと、どうでもいいと考えるようになったり、どんな反応を返してこようが自分たちの生活を脅かすものにはならないと考えるようになったし、つまりは、韓国の人は

  • 日本に勝った

のだ! 勝利したから、「安心」しているのであって、もう彼らの目には、日本は見えていないのだ...。