もう一つ、深夜アニメで非常に多い設定が、主人公が20歳に至っていない学生。というか、「子ども」だ、というところにあると思われる。
- 戦い
- 決闘
- 戦争
が行われる「自然界」を描きながら、そこで「闘う」のは、あくまで「子ども」なのだ。
例えば、アニメ「刀使ノ巫女」においては、主人公を中心とした「刀使(とじ)」たちは、中学生であり、「子ども」である。しかし、この中学校の校長たちは、20年前の大災厄のときに、同じように活躍した、当時の「中学生」たちが、そのときの活躍によって、校長という役職を与えられるし、中には結婚してその子どもが今の主人公たちと同じように、中学生で戦っていたりする。見ていて強烈な違和感があるのは、今の主人公たちと「彼女たち」が、明確に描き分けられていることである。ようするに、後者は明らかに
- 「おばさん」または「お母さん」
といった感じの、もさっとした、動きの「普通の中年」になっているわけである(こういった「描き分け」は、例えばガルパンのようなものでも、露骨に主人公たち「女子高生」と、その母親たちを「おばさん」然として区別しようとする姿勢に、同じような問題を感じるわけであるが)。
ようするにどういうことかというと、「刀使(とじ)」という
- 闘う中学生
たちの、その力の源泉は「巫女」の
- 処女性
にある、と言わざるをえない。実際に、「刀使(とじ)」の現場業務は、まず大人になってまでやっているという人が登場しない。
まあ、これで思い出すのが、新海誠先生のアニメ「君の名は。」ですよねw
そして、思い出すのが、西尾維新の「伝説シリーズ」で、後半で主人公たちのこの「処女性」が強調されながら、なぜかこの「フラグ」が、それ以降、まったく回収されることなく、作品が終わってしまったことだろうか。
うーん。
なぜ、こんな「残念」な作品郡が、終わることなく作られ続けるのだろうか?
もちろんこれを、日本の「神社」などに見られる「巫女信仰」のようなものに繋げて考えようとしたがる人もいるのだろうが、例えば、「君の名は。」であれば、処女の三葉の唾液で作った「神酒」が、時空を超える「能力」と関係あるかのように描かれていたところにも、なんらかの「超越」的な力に関係して、そういった「子ども」の純粋さを利用しようといったパターンが繰り返されている。
斉藤環さんの『戦闘美少女の精神分析』という本があったが、この世界が「自然界」としての
- 戦い
- 決闘
- 戦争
を前提にしておきながら、こういった子どもたちが「命を賭ける」という姿は、ものすごい違和感を感じるわけで、ようするに、そこに「巫女」的な、処女性に起因する、なんらかの「超越」的な能力が、全ての矛盾を超越しているかのように描こうという意図があると言わざるをえないだろう。
そして、この矛盾を、露骨なまでに露悪的に描いたのがアニメ「まどかマギカ」であって、この作品については、多くの人も私と同じだと思うが、だれもストーリーなんて覚えていない。ただ、前半の、まどかの「先輩」の、ある魔法少女が
- 残虐に殺される
という場面が描かれるというわけで、この「残虐さ」は、なんのことはない。ISISで、日本人が
- 首切り
された場面となにも変わないわけで、まあ、これを描いた時点で、このアニメは終わっているんだよねw
どうしてこういった「嘘っぱち」の
- タブーアニメ
ばかりが、拡大再生産されるのかって考えてみると、そもそも、私たちのこの社会が「嘘っぱち」ということなわけでして、なぜなら、中学生、高校生にもなったら、彼らは
- 子どもを作れる
んだよね。それだけの体の「成長」をしているのに、実際は、女子高生が妊娠をすると、学校を止めさせられる。それって、
- 人権侵害
なんじゃねえのか、と思うわけだけれど、いずれにしろ、この社会は、高校生の「子もち」を許さない「タブー」にしていやがる。
なんていうかさ。
女性アイドルの「恋愛禁止」を馬鹿にしておいて、これについてなにも言わないって、なんなんだろう、と思うんだよね。
子どもは「収入」がない。お金がない。だから、結婚「してはならない」とか、子どもを産ん「ではならない」とかってさ、ようするに、一体
- いつ
になったら、人々はお金をもてるのか、だよね。言うまでもない。人生の晩年だよ。中年になってから、だよ。しかし、それを待っていたら、出産適齢期を逃すんじゃないのか。
ようするにさ。ここに、
- プチ・ブルジョア倫理
が、いっちょ噛みしてるんだよね。お金のない奴が、結婚できない、子どもをつくれないのは
- しょうがない
とか言っておいて、結婚や、子どもは、一点の「資産家」になったことの代替として許される「社会のルール」だ、とするのが、プチ・ブルジョア倫理なわけで、ようするに「リペラル」って、プリ・ブルジョア倫理だし、お金持ち肯定なんだよね。
でも、そんなことを言っている間に、日本はどんどん「少子化」社会になった。
まあ、左翼だったら、子どもの養育費は「国」が負担するで、上記の一切の問題は、一瞬で解決するわけでしょう。でも、プチ・ブルジョア倫理は、それを認められない。ようするに、
- 高学歴優遇社会(エリート主義)
- プチ・ブルジョア倫理(お金持ち「貴族」主義)
の悪魔合体なんだよね、「反左翼の」リベラルって...。