「普通」という暴力

全般的なサブカルチャーがそうだが、特に、小説などの物語関連は、人々が「病気」になると、ちょっと読めないような「差別」性をまきちらしている。
しかしこれは、ある意味で、多くのマイノリティが受けている日常でもあるとも言えて、大学の頃、親族を亡くして、けっこう孤独な日常の中、苦労して大学に入学して、法律関連の資格をとろうと勉強していた人がいたが、この人も、まず小説などは読まないし、テレビも見ない人だった。
というのは、こういった人たちに向かって、サブカルチャー

  • あんたは普通じゃないよ

っているメッセージを、これでもか、というくらいに発しているんだよね。

  • 普通なら、こうするよね
  • ここは普通に考えれば、だれだって、こう考える
  • ここでこう考えない奴は、頭がおかしい

でもさ。そういった常識って、ちょっとしたことで、ちょっとまともに読めないような強い違和感を与えるわけだよね。まず、病人は多くの健康人たちのように、

  • エネルギッシュ

に日常を送れていない。この時点で、彼らの言う「普通」じゃないんだよね。でもそのエネルギーって、言うほど普通なんですかね。確かに、病気が治ってくると、そういった以前の普通のレトリックの中に、また、自分も戻って行くのでしょうけれども、なにかその

  • 当たり前

な感覚が、根本的に人類を滅ぼしかねないような、非倫理的な態度のように思えてくるわけです...。