リチャード・ウォーリン『存在の政治』

ハイデガーは、直接には、政治哲学に言及していない、とされている。しかし、前期から中期にかけて、ナチへのコミットが深く知られるようになって、本当にそうなのか、が疑われるようになる。普通に考えて、この二つが

  • 別物

というのは、ありえないんじゃないのか(そんな非現実的なことを言っているのは、ハイデガー研究者のような、ハイデガーで飯を食っている連中が、自分の食い扶持を「価値のないもの」とされることに耐えられないから、言っているにすぎないんじゃないのか)と考えられるようになっていった。
しかし、そういった視点で考えてみると、例えば日本のハイデガー入門的な本なんかでも、こういった

  • 政治哲学

の視点から、前期、中期、後期を通して、一貫したハイデガー像において、そこにある一貫した「政治思想」をはっきりさせよう、といった本に、あまり、お目にかからないのは、どうしてだろう?
いずれにしても、そういった視点において、透徹した記述で、この使命を全うしている、という意味で、掲題の本は特筆すべきだと思われる。
さて。ハイデガーはどういった思想的な認識状況から思考を始めたのであろうか?

第一次大戦直後のドイツ知識人層とらえていた "危機心理" の重要性については、いくらでも強調てよかろう。彼らは、これまで継承されてきた信念体系の徹底した破産宣告を受けたのであり、従って根本的・全体的な価値転換以外には、いかなる希望の残されてはいないように思われていたのである。ブルジョア世界は、回復不可能なまでに腐敗し、"頽追" している。従って、これに対するいかなる妥協も許すことはできない。こうした心情と同様に、彼らがまた政治的・哲学的な急進主義へと没頭していったということは、ワイマール・デモクラシーという危機の時代を通して、真正な共和主義的意見が驚くほど欠乏していたことを意味するものである。

当時のドイツにおいて、第一次大戦の結果のワイマール体制ほど、重要な問題はなかったであろう。大量の賠償金を課せられ、ドイツの

  • 未来への危機

  • 不安

として、主に保守思想家によって煽り立てられる。彼ら保守思想家たちは、自らの「ルーツ」に

を見出す。ニーチェの「反時代的」な思想は、「神の死」の後の人間社会として、その「腐敗」「堕落」をどこまでも追及するわけだが、彼ら保守思想家たちにとって、まさに、第一次大戦で、膨大な借金を背負わされたドイツの

こそ、まさにニーチェが主張した「反時代的」なドイツ社会が実現された「危機」として受けとられた。
そのニーチェが、真っ先に「槍玉」に挙げたのが、近代を代表する

  • カント

であった。彼らは、この「危機」の本質を、言ってみれば

  • カント

に負わせる。カントの主張するような、民主主義がドイツ国家の腐敗・堕落を象徴する。民主主義「が」、ドイツを滅ぼす。そして、それは、デカルトからカントに繋がる、「主体」「超越論的自我」といった近代思想の枠組みを含めた哲学スタイルにおける

  • 拒絶

を結果する。ハイデガーの「存在」とは、デカルトやカントにおける「主体」「超越論的自我」といった用語を

  • 使わない

という禁欲的な態度によって実現している、奇妙な「復古趣味」を意味していた。
なぜ今、ドイツが多額の借金を背負わされて、存続の危機に追い込まれているのか? それは、カントの「人権思想」の結果だ、と言うわけである。人間はそもそも、そんなふうに作られていない。人間社会とは常に

  • 人殺し

によって「勝って」きた人々によって営まれる何かなのであって、カントの「道徳」こそが、ドイツ国家の今の滅び直前の体たらくを結果したのだ、と。

ニーチェは言う。「支配的民族は、ただ恐しい暴力的な始まりからのみ、成長することができるのである」。よく引用される見解の中で、彼は激しい調子で続けていく。「二〇世紀の蛮族は、今どこにいるのだ!」。

すでにニーチェの中に「生とは、戦争の帰結であり、社会それ自体が戦争の手段にすぎない」という見解が現れている。

さて。今さら、初期ハイデガー。つまり、『存在と時間』について振り返ることはどこまで意味があるのか分からないが、しばしば、『存在と時間』とナチスとの関係について語られることがある。つまり、『存在と時間』の当時はナチスはなかったのだから、ハイデガーナチスへのコミットメントと、『存在と時間』は別に考察できる、と。
しかし、上記までで考察してきたように、むしろ話は逆で、ハイデガーは自らの初期の仕事である『存在と時間』から、ナチスの活動に利用できるものを最大限に探した、と言うべきであろう。それは、上記の、保守思想家たちが共通して思っていた現状認識と、そもそも、『存在と時間』は、まったく同じ系列において生まれてきた産物であるから。
存在と時間』を決定づけるものが、ダス・マンである。しかしこれは、ハイデガーに言わせれば、ニーチェが予言した

  • 大衆

の堕落の象徴形態なのであって、それは「平均」「(時間つぶしの)おしゃべり」に代表され、それと、ニーチェが賞賛した、古代ギリシアの「英雄」とが対比される。ダス・マンとは、デカルト、カントの「主体」「超越論的自我」の延長に現れた、「計算可能な近代に適応した」大衆の、金太郎飴的な在り方そのものへの批判を体現した存在として、忌避される。
しかし、それに対して、ハイデガーが対置する「価値」は、奇妙な様相を示す。一方に、「決断」といったような、ニーチェ的「英雄」の個人主義的な価値を主張しながら、他方において、

  • 呼び声(デア・ルーフ)

といったような、「対話やコミュニケーション」を拒否するかのようなものへのコミットメントを強調することで、共同体(ドイツ国家)に帰依する存在のあり方を主張しもする。

それゆえに呼び声(デア・ルーフ)は何か別の世界に属する神秘的なものとして現われ、ただ宗教的な顕現にみ比較しうるものとなる。ここには(非常に世俗化された)ルター主義的な音色を聞きとることができよう。ルターによる "召命(ベルーフ)" という概念を想起せざるをえないのである。

さらに言えば、ハイデガーは、呼び声を巡る議論の中で、言葉を用いた対話やコミュニケーションの価値をおとしめているが、この立場は、それに先立って(『存在と時間』第一編において "語り(レーデ)" を肯定的に強調していたことと、矛盾するように思われよう。

我々は呼び声と覚悟性とを考察し、この両者を苛む判断規準の欠如という問題について検討してきた。ここからは、決断主義という概念一般に関する、いくつかの予備的な結論を引き出すことができよう。何故ならば、"覚悟性" や "決意性" というハイデガーのカテゴリーにおける規範性の欠如とでも呼ぶべきもの、この問題の射程は長く、あらゆる形態の決断主義の失敗について、説明してくれるものだからである。というのもいかなる規範的な方向づけをも欠いている場合、"決断" は盲目のまま何の指針もなしに行われざるをえず、それゆえ最終的には虚空への跳躍と化してしまうことになるからである。

ここは、非常に重要な個所であり、ようするに、ハイデガーの『存在と時間』は明らかに、モチーフの選択において矛盾が起きている。書き出しの最初の方は、人間の存在様態としての

  • 対話やコミュニケーション

は、それなしでは、そもそも人間を「特徴」づけられないのだから(それがなかったら、動物になってしまう)、必然的にそこに価値をおき、そこから出発したはずであるのに、後半に行くにつれて、デカルト・カント的な「主体」「超越論的自我」を否定するがあまり、「呼び声」といったような、各主体の「対話やコミュニケーション」といった民主主義的な

  • 行為実践

を拒否するものに無上の価値を与えなければならなくなり、「決断」主義も、こういった、ただひたすら

  • 盲目のまま

に行われる「がゆえに」価値がある、といった逆説的な形で賞賛する、奇天烈な思想となっていく。
そして、こういった思想は、必然的に

  • 民主主義

を否定する。つまり、

  • エリート主義

であるわけだが、ようするに、全てをヒットラーに委ねろ、と言っていることと変わらなくなるわけである。

民主主義的な感性にとって、こうした理論の持つ政治的・哲学的含意は明らかであるが、それは嫌悪感を惹起させるものにすぎない。ハイデガーによって描き出された哲学的人間学に依拠するならば、人民主権という近代的概念はまったく空疎なものとなるであろう。何故なら、日常性という公共的領域に住まう者は、本質的に自己統治能力を持たないと見なされているからである。その代わりにこのような観点からは、傲慢にも、ただエリート主義だけが真正なる政治哲学として導出されるのである。

ハイデガーは、彼特有の反近代主義的バイアスを維持しつつ、本質的にプラトンの政治哲学から引き出されてきた戦略を繰り返しているのである。すなわち、大多数の男女は魂の癒しい部分によって動かされ、より劣等なる満足や享楽を追い求めるがゆえに、自らを統治する能力を欠如している。それゆえに彼らを上から統治するとき、我々は事実上彼らに奉仕しているのだという論理である。だがしかし、そのような教育的独裁制を主張する理論に関して、マルクスが提出した次の問いに対する満足のいく答えは、これまでのところ与えられてはいない。「それでは一体、誰が教育者を教育するのであろうか」。

こうした、WW2における、ナチスにコミットメントしていったハイデガーの態度と、思想との深い繋がりを示している姿に対して、しかし、敗戦直後になっていくと、ナチスの滅亡が見えてくるわけで、そして、敗戦後へと繋がっていく思考の繋がりにおいて、ハイデガー自身による自らの思想への

  • 反省

が必然的に強いられていくようになる。
しかし、である。
彼は実際にそれを、やりえたのか?

一九三〇年代後半の歴史的文脈を無視しては、ということはこの時期のハイデガー自身の極度の政治的な幻滅を考慮に入れなくては彼の "ニーチェ熱" は説明できない。

だが、この時期の後半には、彼はニーチェ批判を通して対極的な立場へと移行することになる。ニーチェの超人を典型とするような、人間的な "意志への意志" の神格化は、ヨーロッパのニヒリズムの克服を意味しない。むしろそれはニヒリズムの絶頂を示している。

こうして、ハイデガーの転回(ケーレ)の "反動的な" 性格を十分に理解するためには、一九三五年以降に彼がニーチェの "意志の形而上学" と断固として対決したという事実を参照することが絶対に必要なのである。

今や人間は "存在の牧者(ヒルト・デス・ザインス)" となるのである。その結果、ハイデガーがとりわけ賞賛に価するものとして特筆するのは、従順かつ恭慎な人間という美徳である。というのは、こうした態度は、我々が "存在の秘密" に "聴従" する上で最も望ましいからである。

自らの後期哲学から "主観性の形而上学" の痕跡を最後の一片まで抹消すれば、自らが犯したいまわしい "政治的な謝ち" を償うことになるとハイデガーは信じている。なぜなば、この過ちに責任を負うべきは、それが彼に及ぼした影響だからである。また、彼の見解によれば、好戦的な国家社会主義者たちによって世界が猛火に包まれてしまったのも、とどのつまりは形而上学に原因がある。『形而上学の克服』からの引用文が示しているように、世界の破局は、究極的には "形而上学の完成" として説明可能である。こうした出来事の "本質的な" 責任は、ほぼ二五〇〇年にわたって西洋的人間性を支配してきた形而上学的なパラダイムを生み出した大哲学者たち----プラトンデカルトニーチェ----に帰せられるべきである。

現存在は、もはや自分自身の運命に責任を負ってはいない。それどころか、現存在は、自らが重要な絆で結ばれた存在の呼び声に対して、受動的に服従する態度を身につけなければならない。こうして、現存在は無名の、より高い力の専制的な支配に身を委ねよ、という彼の著しく権威主義的な要求からしても、ヒットラーの指導者国家(フューラーシュタート)の精神にかつて下僕の著作の揺曳しうぇいるのも、故なしとはしないのである。存在の歴史という有無を言わせぬ教義の断固たる反ヒューマニズムは、少なくとも部分的には政治的に大きな意味を持ったのではないか。自律的主体性という啓蒙主義的な理想に浴びせられた絶え間ない論難は、より本源的で何物にも服さない命運の名の下に、ワイマール自由主義に対するドイツ自身の闘争を再度樹立しようという願望を無意識のうちに示しているのではないか。

上記までの検討を経て、ハイデガーの初期から中期までの彼の思考を検討してきた私たちにとって、上記引用にあるように、ハイデガーが戦後

  • (ある意味で)まったく反省できていない

ことの深刻さがよく分かるのではないか。後期ハイデガーは言ってみれば、『存在と時間』にあった、上記の矛盾を、言わば「呼び声」が象徴するような、黙示録的な(ルターのような)、ただ、ひたすら「運命」を受け入れる形の

  • 美徳

に価値を収斂させることによって、一方でニーチェを否定しながら、他方で、

  • 戦中の自らのネチスへのコミットメントを免罪する

思想を続けた、と言うことができるわけで、ようするに、ハイデガーはなにも戦後になって、「反省」など

  • できていない

というところに、その本質があるわけであろう。
しかし、である。
だとするなら、非常に奇妙なことにならないだろうか? それは、まさに、戦後の主に、フランスにおいて活発になった

がなんだったのか、というわけであろう。そしてそれは、日本における、ハイデガー研究者についても言えるのかもしれない。彼らは、なぜ、掲題の本のような、前期、中期、後期を貫いた

  • 総括

を書けなかったのだろう。なにが、彼らの「決断」を躊躇させたのか? 最初に書いたように、

  • 自らの半生を捧げて研究を行った、ハイデガー研究者にとって、つまり、ハイデガーで飯を食っているのに、そのハイデガー自身という、自分の食い扶持が「価値のないもの」とされることに耐えられなかったから

という評価でよかったのだろうか...。

存在の政治―マルティン・ハイデガーの政治思想

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