G・マルチン『カント----存在論および科学論----』

さて。カントは「どこから来たのか」。この問いは、なぜカントがあのような議論を行ったのかを問うものであるし、なぜあのような「差異」「差分」を示すものだったのかを問うものでもある。
そしてそれは、おそらくは

なのだ。なんだ、当たり前じゃないか、と思うかもしれない。カントが、ライプニッツ・ヴォルフ学派から出てきたことを知らない人はいないわけで、と。
実際、カントの批判期以前の論文は、どれも、ライプニッツの主張を「証明」しようと、「あがいて」いる姿を見せているわけで、カントによるライプニッツに対する「信仰」がどれほどのものかを、それは示しているのであろう。
ではなぜそれは、ニュートンではなくライプニッツだったのかは、そもそもライプニッツが、古代ギリシアの、プラトンアリストテレス。それを継承する形で行われた、スコラ哲学。こういったものからの

  • 総合

の下にライプニッツ哲学を考えたからで、それがニュートンでありえなかったのは、当たり前なのだ。
そういう意味で、カント哲学はライプニッツ哲学の

  • パクリ

である。そして、それについてはカント自身が自認している。しかし、「それだけではない」ともカントは言っているわけである。

我々の観方が正しいならば、ライプニッツとの本来的な対決をなしたのはカントである。カントは、これらの存在の規定、知の規定・悪の規定はあまりに楽天的にすぎるのではないかということを真剣に問題にした。それ故カントの哲学は、その意図においても成果においても、ライプニッツとの基本的な対決である。そしてその対決においては、同意と対立がたがいに解き放ちがたく結びついている。それ故カントは、彼の生涯の哲学的成果を省みながら、正当にも次のように言うことができるのである。「結局『純粋理性批判』は、ライプニッツにとって何の名誉にもならぬ讃辞をもって彼を高めようとする追随者どもには反対するとしても、ライプニッツに対する未来の弁明でありたいのである」。

ようするに、どういうことか?
カントが、「書いていること」「実際に書いていること」は、こういったライプニッツ哲学との

  • 差分

だ、ということを意味しているわけで、私たちがカントの純粋理性批判を理解できないのは、それが分厚い本だからではなく、この「差分の元」(つまりライプニッツ哲学)を知らないから、とも言えるわけであるw
さて。それでは、どういった意味で、カントはライプニッツに満足できなかったのか、ということになるが、ここにニュートンの物理学が関係してくる。
よく、カントは「ユークリッド幾何学」だから、カントは古い、と言われる。というか、多くの後世の人々はここにおいて、カントを馬鹿にしてきた。ようするに、カントは、そういう意味で

  • 読むに値しない(=オールドファッションドな)

ものとして、今の科学者が、プラトンアリストテレスを「読む必要がない」と(授業の理解のためには)言うような意味で、無視されてきた。
しかし、そうなのだろうか?

ライプニッツにとって]知ることとは第一義的に神の知であり、したがってすべて人間の知とはこの第一義的な神の知お再現であるにすぎない。それ故、ふたたび具体的な問題に立ち返るならば、三次元的なユークリッド幾何学の命題は、第一義的恒常的には神によって思惟されるのであり、そして数学者が幾何学のある命題を適当な理解によって発見し洞察し証明するならば、この知は第一義的な神の知の再現として示されることになる。

ライプニッツは、公理的立場を斥ける。彼は、あらゆる数学的命題は証明され得ると確信していたのである。このことは、あらゆる数学的命題は定義と矛盾律とから証明されるべきであるということを意味する。したがって、ライプニッツは、普通の場合ならば公理として措定されるような基本的な命題の証明のために多くの努力を費してたのであるが、それは今日我々が知るところによれば、徒労であったのである。

この方向での研究は長い間行われてきたが、包括的な試みは一七三〇年頃イタリヤの数学者サッカレーによってなされた。サッカレーは、等価値的な命題から出発する。彼は、<四角形の内角の総和は四直角よりも小である>と仮定するのである。彼が非常に驚いたことには、彼はこの<誤った>前提から長い一連の結果を発展させることができたのであり、所期の矛盾はずっと後になってはじめて示されるということが分かったのである。この研究を吟味してみるとすぐ次の結果が生じてきた。つまり、示された矛盾というのは推理の誤謬に基づくものであって、<誤った>前提から生ずる結果は、むしろ知り得るかぎり矛盾の無いものであったのである。したがって、<三角形の内角の総和は二直角より小である>という前提に立っても、<三角形の内角の総和は二直角に等しい>という前提の上にユークリッドの体系が組み立てられるのとちょうど同じように、定理の体系を組み立てることができるのである。この洞察によって、最初の非ユークリッド幾何学が発見された。最初のこの主張者達の一人は、ベルリンの数学者でありカントの友人であるラムベルトであった。
この幾何学の公理的あるいは非公理的ということに関する議論においては、カントは断乎として公理的立場を主張する。カントがいかにしてこのような確信に到達したかということについての詳細は、まだ明らかにされていない。おそらくこのラムベルトこそ、その楔となるものであったであろう。

カントの述語をもって言うならば、ライプニッツは一切の数学的判断を分析的判断であると見なしている。ライプニッツによれば、数学的命題は矛盾律(およびその定義)から証明されることができ、そして一切の判断の場合と同じように、幾何学的判断においても述語概念は主語概念のなかに含まれている。このライプニッツの判断理論のなかには、カントの二つの分析的判断についての定義が連関しながら含まれている。それ故ライプニッツにとっては、三角形が二直角の内角の和をもっているという命題は矛盾律だけから証明され得るものであり、またそれ故ライプニッツにとっては、<内角の総和は二直角に等しい>という述語概念は、主語概念<三角形>のなかに含まれているのである。

ライプニッツにとっての数学とは、「神の視点」からのものであって、よって、その「真理」性に人間の主観が関わる余地はない。上記の引用にもあるように、ライプニッツにとって、すべての数学的命題は

  • 公理なしで証明できる

と考えていた。なぜならそれは、「神の創造物」との関係から、なんらかの「一意性」が考えられていたから。ところがこれを決定的に疑わせたのが、歴史的な、非ユークリッド幾何学の発見であって(現在から、その整理された結果として、ヒルベルトの『幾何学基礎論』が愁眉であるが)、上記の引用にあるように、カントは友人を介して、この

  • 一部始終

を見ていたわけであるから、カントがライプニッツとは異なり、「公理主義」の立場をとったことは、ある意味で必然だった、ということなのであろう。
カントがここで「公理主義」の立場を自認したことと、カントが数学の定義として、

  • 構成的

という言葉を使ったことは深く関係している。明らかにカントはここで、非ユークリッド幾何学を意識しているように思われる。三角形の内角の和が二直角だと、つまり、平行線の公理を「公理」として採用すれば、ユークリッド幾何学になるし、「二直角より多きい」「小さい」というのを「公理」として採用すれば、非ユークリッド幾何学となるように、カントは空間の

  • 公理性(どの公理を採用するか、どの公理で構築するか)

ライプニッツに逆らってでも、主張していることがよく分かるのではないか。
そして、このカントの数学における「構成的」の定義が、次のような形で、後の世代の数学基礎論における

と関係している、と掲題の著者は言うわけである(もちろん、ここでの「直観」という名称はカントから来ている)。

幾何学の後世的性格は、そのためにカントが幾何学的判断を綜合的判断とよんだ第二の事情を示すものである。幾何学および数学一般の構成的性格は、カントによれば数学の根本的特色であって、数学はこの特色によって哲学から区別されるのである。カントはこの区別を発展させる。彼は次のように定義している。「哲学的認識は概念による理性認識であり、数学的認識は概念の構成による理性認識である。ところで概念を構成するとか、概念に対応する直観をア・プリオリに現示することである」(A・七一三、B・七四一、訳・一六)

もし数学者がある命題を証明しようと思うならば、その証明はつねに構成に関してなされる。つまり幾何学者は、「さっそく三角形を構成することから始める、彼は一つの直線上の一点からは何本直線を引いても、こうしてできた接角の和が二直角であることを知っている。そこで三角形の一辺を延長すると、そこへ一つの内角に接する角が生じるから、この二つの接角を合わせると二直角に等しくなる。次に彼は、この内角の頂点から対辺い平行線を引いて外接角を区分すると、ここに新しい外接角が生じ、この角は他の二つの内角のうちの一つと等しいものになる等々。このようにして彼は、推理の連鎖を辿り、常に直観に導かれつつこの問題に極めて明白な、またそれと同時に普遍的に妥当する解決を与えるのである。」(A・七一六、B・七四四、訳・下・一九)

このようなカントの考察の意義は、近代的な基礎論研究の探究によってはじめて明らかにされた。ここに存する諸問題に対して我々に内容的理解を与えてくれたのは、直観主義学派の創始者ブロウウェルであった。

我々がこのような観点から数学の構成的性格についてのカントの説明を理解しようとするならば、明らかに我々は、カントがまだこのような厳密な方法では知っていなかった事柄を利用しているわけである。このように今日の理解からカントを説明することは、我々はそれを可能であると思う。なぜならば直観主義をとる人々自身が、このカントの考え方の連関を肯定しているからである。

(まあ、確かに、この「構成的」という理念を徹底していけば、直観主義的数学のようなアプローチになっていく、ということは分からなくはないけど、ここのところは、もっと一般的に、カント哲学の、人間の主観を重視しているところや、人間の有限性、理性の能力の限界、といったようなカント哲学を代表する視点が、さまざまに影響している、ということのようにも思われるのだが。もちろん、そういったことも、この「構成的」という概念と、深くは繋がっているのだろうと言われてしまうと、まあ、そうなのだろうが。)
しかし、である。
上記の引用にもあるように、カントは純粋理性批判において、三角形の性質として、当たり前のように「内角の総和は二直角である」という命題を使っていることからも分かるように、カントの言う幾何学は「ユークリッド幾何学」のことを指示しているように思われるわけで(そもそも、カントは、非ユークリッド幾何学を、この名称によって,言及していない)、つまり、どういうことなのだろう?

多くのカント学者が非ユークリッド幾何学の可能性に対して活発に異論を唱えたということはすでに述べた。たしかにこの抗議はカントの主張においてある程度の根拠をもっていたが、事態は人々がはじめ考えていたよりもはるかに困難なのである。それはカントが、後のガウスと同様に、非ユークリッド幾何学について語ることを避けたことによってさらに難しくなるのであり、そして非ユークリッド幾何学の導入が点火した論争を見るときに、我々はおそらく、カントが慎重であったのは正しかったと言わざるを得ないであろう。しかしながら、次のことに関しれはなんら疑いもあり得ない、つまり幾何学においても、論理的に可能なものはユークリッド幾何学の領域をはるかに超えていることを、カントが明らかに知っていたということである。しかし、たといおそらく誤っているとしても、カントはひとつの命題を堅持している。ユークリッド幾何学の領域を超えるものは、なるほど論理的には可能であっても、構成されることはできない。つまりそれは直観的に構成されることはできないのであり、このことはふたたびカントにとって、ユークリッド幾何学の領域を超えるものが数学的に存在しないものであって、単なる思惟の産物にすぎないということなのである。ただユークリッド幾何学だけが数学的意味において、存在し他方あらゆる非ユークリッド幾何学は単に思惟の産物であるにすぎないのである。カントは第一版二二〇頁、第二版二六八頁に分かりやすい例をあげている。「例えば、二直線によって囲まれている図形という概念には、矛盾が含まれていない。二直線その接合という概念は図形の否定を含んでいないからである。このことの不可能は、概念自身に基づくのではなくて、空間における[図形の]概念の構成に----換言すれば、空間とその規定との条件に基づくのである。しかしまたこれらの条件は、経験一般のア・プリオリな形式を含んでいるので、客観的実在性をもつ、換言すれば、可能的な物に関係するのである。」(訳・上・二九六)

上記の引用にあるように、驚くべきことに、カントは純粋理性批判において、

  • 二角形

について、それが「矛盾を含まない(=公理的だ)」という形で、言及しているのだ! つまり、少なくとも、カントがユークリッド幾何学しか知らなかったと思っていて、カントを馬鹿にし続けた、多くの哲学者たちは、この記述を無視したのであろう。または、このことに意味を、まったく理解できなかったか。
二角形の存在に言及したということは、非ユークリッド幾何学について言及したことと変わらない。しかも、カントは明確にこの概念の「無矛盾性」について言及している。つまり、ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学も、この公理的立場において、等価な形で扱われるなにかであることをカントは明確に自らの立場として、示している。
だとするなら、上記の引用にもあるように、カントの純粋理性批判における、どう考えても、「ユークリッド幾何学」を前提としているかのような、さまざまな言及をどう考えればといいのだろうか?
さて。
ここまでの議論は、掲題の著者の議論に沿って考察してきたわけだが、最後に私なりにこの問題について総括をしてみたい。
まず、そもそも、非ユークリッド幾何学といっても、

  • 二次元

ならば、三次元空間内の球面上の「モデル」が有名なように、私たちはいくらでも、それを「実体」のように考えられる。そう考えると、こういった議論を二次元の図形(三角形、二角形など)に対して行うことは、意味がよく分からないところがある。
そう考えるなら、カントの主張の本質は

  • 三次元空間

にあると考えるべきなのであろう。三次元のモデルということでは、ニュートンユークリッド空間を考えたし、アインシュタイン相対性理論として、リーマン空間を考えた。当たり前だが、カントの時代にはまだ、相対性理論はないので、そういった意味で、カントを

という意味で、実際の物理学的な空間として、非ユークリッド幾何学を考えてなかっただろう、と言うことには、一定に意味があるのかもしれない。
しかし、カントの時間・空間についての「アプリオリ」性についての主張を考えるなら、それを、ある種の

  • 人間の子どもが産まれてすぐに、直観する、外世界の把握の仕方

といったものとして第一義的に考えるなら、相対性理論の近似として、ニュートン力学を考えることは当然なわけで(そもそも、相対性理論が生きてくるのは、光の速さとニアリーイコールで移動する物体を想定するときなわけで)、産まれたばかりの子どもが、外世界を把握するのに、そんな想定はいらないのだから、カントの言っていることに違和感はないわけである...。

カント―存在論および科学論 (1962年)

カント―存在論および科学論 (1962年)

追記:
掲題の本でも強調されているが、カントのこの「公理論的立場」の表明は、一種の

のことを言っていると解釈することもできる。カントは、アンチノミー論において、4つのパターンしか示さなかったが(そして、ある意味で、その4つで「完全」な体系であるかのようなにおわせ方までしている)、そもそも、いわゆる、「直観主義的」な立場からは、さまざまな場面で、こういった性格のものが当然、見られることになる、というのがカントの「有限の立場」の必然的な帰結なわけであろう...。