いい大人が、「悪口」という言葉を使うのを見ると、恐しい感情がわいてくる。
というのは、相手が自分に向かって悪口を言っていると言うことは、そもそも、その言っている相手が自分の人格を非難していると主張することであり、つまりは、相手が
- 間違った
ことをしていると非難することを意味するからだ。
しかし、である。
よく考えてみよう。あなたが誰かを「お前は間違っている」と言ったとして、それを認める人がどれだけいるだろうか? 人はなぜ相手の言うことを信じるのか? それには二つのケースがある。一つは、
- 相手の言っていることには、理屈において納得できる部分があるから
という場合である。こちらについては、分かりやすいであろう。対して、もう一つの場合がある。それは、
- 相手が、例えば、東大出身だとかで、なんらかの権威をもっているから
というのがある。この場合、後者が意味していることは、たんに自分がそういう気持ちになる、ということだけでなく、
- 世の中の世論が、こういう場合には、そういった権威を尊重しろ
といったような「圧力」を感じる、というわけである。
東大を出たということは、頭がいいわけだから、凡人は、その人の言うことに従え、と。そうでなければ、なんらかの不利益がおそいかかってくるぞ、という
- 脅迫
なわけである。
しかし、こうした場合、その「権威」の側が、ただの市民の自分に向かって言われていることを「悪口」と言うことは、何を意味しているのだろうか?
俺「北欧じゃ中高生の最低賃金が1200円くらいなんだな」ネトウヨ「なんだと日本の悪口はやめろ、嫌なら出て行け」俺「EUじゃ女性の医者多いんだな」ネ「なんだと日本の悪口は(ry」俺「アイスランドって格差が少く男女平等率も高いのな」ネ「なんだと日本の(ry」ネトウヨは被害妄想激しすぎ
@tacowasabi0141 2019/06/21 07:04
ようするに、悪口とは自分にとって
- 気に入らない
ことを示しているわけで、もっと言えば、言われたくないことを言われたから、腹を立てた、ということを意味しているわけで、その「悪口」という言葉を相手に向かって「権威」の側が言うということは、相手の権威のない側を、この権威の差異を利用して、その存在の失墜を狙って行われる、ということなのだ。
対して、凡人の市民は、こういった権威を使いたくても使えないのだから、必然的に、もう一つの理詰めの方法に頼らざるをえない。
ということは、どういうことか?
つまり、常に、理詰めの方法しか使わないという態度自体が、自分を凡人の市民の側で考えよう、という、倫理的な態度を意味していることを示しているわけで、ここに「アマチュアリズム」とも関係した、非常に重要な倫理的な何かが示唆されている、というわけである...。
追記(2019/06/23):
結局、相手の言っていることを「悪口」とののしることは、相手の人格を否定することであり、カントの言う「人間の尊厳」を傷つける行為だということが分かるわけであり、つまりは、子どもにおける
- いじめ(=差別)
なのだ。差別は「楽しい」のであり、だから、権力者はこの「快楽」を放棄できない。東大出身や大学教授が、なにものでもない
- 大衆(=普通の人)
をこうやって、「いじめ」るのは、ある意味で彼らが、子どもの頃に周りの子どもから受けた「いじめ」に対する仕返しだと言うこともできる。それは、ツイッターにおける「ブロック」が、そういった
- 快楽
に関係していると言うこともできるだろう。つまり、当たり前のように「ブロック」を行うことが
- できる
という時点で、その人は立派な権力者なのだ...。