人生と自体的変化

人生とは何だろう? これは、ようするに「生き甲斐」とはなんだろう、と問うことに近い。私たちは何のために生きているのか? 結局のところ、どうなることが目的なんだろうか?
このことが言おうとしていることは、ようするに

  • 今、この瞬間に「解決」されない問題がある

ということを意味している。しかし、もしそうだとするなら「それ」は、いつだったら解決するというのだろう?
もしかしたら、自分が生きている間には解決しないのかもしれない。しかし、だとするなら、それを「問題」と呼んだことには、どんな意味があった、ということになるのだろうか?
変化には二つある。

  1. 観察マシーンによる観察対象の変化...外界の変化
  2. 観察マシーン自体の変化...自体的変化

変化の特徴は、そこに「時間」が介在することで、つまり時間的前後がなければ、変化という概念がない。
つまり、生き甲斐や目的は、この「変化」に対応して現れたり消えたりしている、と考えることができる。
これは、デカルト、カント的問題と考えることもできる。私たちは、この日々変化をしている人間という個体が、なんらかの意味で

  • 同一

だと考えている。しかし、変化するならそれを「同一」と呼ぶことは正しくないのではないか? というか、そうでありながらそれを「同一」と呼ぶことには、なんらかの自明ではない

  • 解釈

が介在している、ということなのだ。さて。私たちは何を「同一」と呼んでいるのだろう?
そしてこのことは、何を「生き甲斐」「目的」と呼んでいるのかと深く関係している。

湖の見える タンポポ丘の 桜の木の下で
下ろしたての コートのポケットに 手を入れて
数年前にもこの場所で 同じポーズしていた事
思い出してやっと実感 「僕は帰ってきた」
BUMP OF CHICKEN「続・くだらない唄」)

湖の見える タンポポ丘の 桜の木の下で
手頃なヒモと 手頃な台を 都合よく見つけた
半分ジョークでセッティングして そこに立ってみた時
マンガみたいな量の 涙が 溢れてきた
BUMP OF CHICKEN「続・くだらない唄」)

数年前にも立っていた、その田舎の桜の木の下で、その何も変わっていないかの光景の中で、彼は軽い気持ちで

  • 首吊り自殺

のマネ事をしてみたら、思いがけなく、大量の涙が流れてきた。
ようするに、それが

  • 差異

なのだ。なぜ、彼は涙を流したのか? それは、その間の「時間」が関係している。その桜の木の下の光景は、自分の姿も含めて、数年前のそれと何を変わっていないように見える。しかし、間違いなく、それは同じではない。

電車に乗って 2時間ちょっとの都会に出て来た
小さなそのプライドを 見せてやろうとした
電車に乗って 2時間ちょっと いつでも帰れると
軽く考えていたのが そもそもの間違いだった
BUMP OF CHICKEN「続・くだらない唄」)

そこにあるのは、彼の田舎から都会に上京してきて過した数年の日々である。彼はそこで、人生において決して、おろそかにできない重大な問題に直面する。そしてそのことは、

  • 田舎から都会に行くことなんて、大したことではない

という「軽い気持ち」が彼に必然的に与えた結果だと考えることもできる。
そして、こういった大きな「後悔」は少なからず、都会で暮らす、田舎からの上京者が共有している感情だと言うこともできるだろう。
しかし、である。
このことは、どうして彼が上京する前。以前に、この桜の木の下に立っていた彼に分かることができただろう? 彼はこの数年で、

  • 自分が自殺をすることを、簡単には笑い話にできない

そういった「変化」を強いられたことになるわけだが、その「変化」を私たちはどう考えればいいのだろう?

生きてきた分だけ 増えた世界が 作る迷路
その中で僕らは 目印を深く 突き刺した
BUMP OF CHICKEN「メロディーフラッグ」)

全てが形を 変えて 消えても
その耳を 澄ましておくれ
涙目を 凝らしておくれ
響く鐘の音の様な
ホラ
風に揺れる旗の様な
あのメロディーはなんだっけ 思い出して
BUMP OF CHICKEN「メロディーフラッグ」)

「続・くだらない唄」が自死に関する内省だとするなら、「メロディーフラッグ」は

  • 忘却

に関係している。
自死とは自分の生を自らで終わりにする行為である。これを真剣に考えざるをえない場所に行くことが

  • 生きること

だとするなら、「忘却」は、もう一つの人間の姿だと考えられるだろう。
私たちは、「変化」する。そしてそれは避けられない。しかし、それでいいのだろうか? 私たちが生きる上において、決して忘れてはならない何かがあったんじゃないのか? あったから、私たちはそれを「生き甲斐」とか「目的」と呼んでいたのではないか?
いや。
だから。
絶対に忘れてはならないから、そこに「目印」として旗を突き刺したのだ!
しかしそれは時間と共に忘れられて行く。それが変化する人間の宿命だとしても、だとしても、その「メロディーフラッグ」を前にして、私たちはそれを「思い出して!」と呼び掛けずにはいられない。なぜなら、それは彼にとって、大事なことだから。絶対に忘れてはいけない、思い出さなければならない何かなのだから...。