クリスティーン・ポラス『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』

前回紹介した本では、人権という概念が国家の統計的な扱いのレベルにおいては意味のある概念であったとしても、私たちの身近な人間関係においては、具体的にどうしたらいいのか、何が人権的でなにがそうでないのかがはっきりしない、といった意味でのアポリアをもっている、といったことが本の最初で主張されている。
それに対して、言ってしまえば、掲題の本は、それを

においてこそ見出されるべきだ、と主張している本だ、と考えることができるだろう。
掲題の著者は、自らの父親の晩年の体調不良の原因を、父親の会社での直接の

  • 上司

に原因を求める。

21年前の父の日の週末、私は、オハイオ州クリーヴランド郊外の暖かい、しかし空気のよどんだ病室へと入って行った。
その病室には父がいた。
かつて元気で快活だった父は、はだけだ胸にいくつもの電極を取りつけられて、なす術もなくベッドに横たわっていた。心臓発作の起きる恐れがあるとわかったからだ。なぜそんなことになったのか。誰にもわからない。
だが、父はそれまでずっと健康な人だったので、仕事のストレスが原因である可能性が高いだろうとは思った。10年以上の間、父は無礼な上司の下で働き、その状況に耐え続けていたからだ。最初に私がその上司の話を聞いたのは10年前のことだ。
とにかく頻繁に他人に対して激怒する人だということだった。彼は部下を罵倒し、侮辱する。たとえ努力をしている相手でもその価値を認めず、本人にはどうすることもできないことで責め立てる。
顧客に対してさえ無礼な態度を取る。顧客の店舗を訪ねた時、父は上司が店主に対し、こう言うのを聞いたという。
「あなたはお父様から伝統を受け継いでいらっしゃるようです。このお店はお父様の頃もひどいものでしたが、今も変わらずひどいですね」
父は何年も耐えてきたのだが、自分でも気づかないうちに悪影響は募っていたらしい。父は愚痴をこぼすような人ではない。少なくとも私たち家族に愚痴を言うことはなかった。
自分のことよりまず家族のために、と考える人だ。子供が4人いて、その全員を大学にやりたいと思っていた。それは簡単なことではない。家族のために父はひどい上司のご機嫌を取り続けたのである。

私はこの本を読んでいて、途中で、「あれ?」と思わずにはいられなかった。なるほど、彼女のお父さんは大変な「ご苦労」をされたのだと思うが、上記の引用を読んでもらえば分かるように、ここで彼女が問題にしている上司は

  • 周りの誰彼に関わらず無礼な行為を行ってしまう、ある種の「病気」の人

といったように、周到に描かれていることが分かるだろう。
そして、掲題の著者が描く「処方箋」が以下のように描かれることによって、私には決定的に、ここには何かが足りない、という印象をもたずにはいられなかった。

こういう行動をとることはありますか?

  • 人に何かをしてもらう時、もらった時に「よろしくお願いします」「ありがとうございます」と言わない。
  • 直接、会って話をすべき時にメールだけで済ませる。
  • 誰かと共同であげた成果を自分のものにしてしまう。
  • 会議中にメールをチェックする、あるいはメールを書く。
  • 不必要に人を待たせることが多い。
  • 人を見下すような話し方をする。
  • 情報の入手、あるいは他者の協力が必要な時に対応が遅れる。
  • わからない人がいても気にせずに仲間内だけで隠語を使う。
  • 自分の失敗の責任を他人になすりつける。
  • 噂話を広める。
  • 他人を見下したような態度を取る(舌打ちをする、鼻で笑う、など)
  • スマートフォンの画面ばかり見て、目の前にいる人を見ない。
  • 誰かをつまはじきにする。
  • 他人を利用する。
  • 他人の意見に注意を向けない。関心を示さない。
  • 人の話を聞かない。
  • 他人が何かする度に失敗したと決めつける。
  • 何かに招待されても無視する。
  • 会議に遅れる、あるいは会議から中座する。しかも理由をまったく言わない。
  • 他人を侮辱する。
  • 他人を、また他人の努力を認めようとしない。
  • 他人を、また他人の努力を過小評価する。
  • 他人を軽蔑したような、その人の名誉を傷つけるような発言をする。
  • 他人が何かをしてくれても、当たり前だと思い、感謝しない。
  • 難しい仕事を他人に押し付けて自分は簡単な仕事だけをする。
  • 他人と関わらず何でも自分ひとりだけで進めようとする。
  • 他人に対して無愛想な話し方をする。
  • 無礼、不躾なメールを送る。
  • 自分と意見が違う人に対し無礼にふるまう。
  • 他人の話を途中で遮る。
  • 他人に目配りをしない。自分と違うからといって他人を批判する。

上記の一覧を眺めていて、なにか違和感をおぼえないか?
そう。掲題の著者には、驚くべきことに、この本には、一回も

  • いじめ

という言葉が出てこないのだw 私にはそのことに、驚くべき違和感を感じざるをえない。上記の一覧はすべて、驚くべきことだが

  • 当事者「本人」に対するチェック項目

しか並べられていない。すべて「自分の問題」として処理されるべきものとして、注意されている。しかし、「いじめ」とは、そういうものだっただろうか?
彼女の父親の上司は、そもそも

  • 無礼

な人間ではない。なぜなら、もしそうなら、とっくに解雇されていたはずだからだ。じゃあ、なぜそいつは解雇されなかったのか? 言うまでもない、

  • そいつの「上司」の前では、礼儀正しく振る舞ったから

に決まっている。「いじめ」は弱者を狙い、弱者を徹底的に攻撃する。しかし、そういった連中は、その「いじめ」対象の標的以外の人との関係においては、基本的に

  • いい人

なわけであるw この本が決定的に敗北しているのは、いかに「いじめ」が解決するのが難しく、本質的であるのかを、よく理解していないことだと言うしかないであろう。
しかし、おそらく、こういった「結論」では、掲題の著者は納得できなかったのだ。彼女の父親は、家族のために、上司からの「いじめ」に耐えて、がんばってくれた。だったら、

  • 彼の努力

は報われなければならない、と彼女は考える。つまり、この問題は「解決」できなければならない。なぜならそうでなければ

  • 正義

が実現できないから。苦しかった父親が報われないから。
しかし、普通に考えると、もっと単純な解決策がある。ようするに、

  • そんな会社はさっさと辞める

べきだ、ということである。それは、学校だって同じだ。なぜ、そんなものに耐えてまで生きなければならないのか? そんな理由はない。つまり、別の職場であり、学校に行けばいい。
いや、そんなわけにはいかないだろう? おそらくそういった人は、なんらかの流動性の低い職場や一部の選ばれた「進学校」のようなところをイメージしているのだろう。
しかし、である。よく考えてみてほしい。一体、どうあれば「人権」は守られるのか? 個々の私たちの日常を考えてみてほしい。個々の場面で、どう振る舞うことが、人権を守っていることになるのか。そして、誰がそれを保証してくれるのか。何がそれを証明してくれるのか。
考えれば考えるほど、こういった私たちの具体的な日常の場面において、この判断が難しいことが分かるのではないか。ここで大事なことは、だから人権なんて存在しないと嘘ぶくことではなく、

  • なにか自分の「心の中」を探りさえすれば、その「答え」が見つかる

と勝手に思いこむことの傲慢さにこそ、この問題の難しさがある、ということなのだ。それは、上記の引用の一覧がまったくの「いじめ」に対して

  • 無力

な内容であることからも分かるだろう。たとえどんなに偉い大学の先生であろうと、この程度のことしか言えないのだ。ましてや、この世界から「いじめ」がなくなるわけがない...。