「表現の不自由展」問題のまとめ

今回の、あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展」をめぐる一連の騒動は、日に日に混沌を極めてきているわけで、ここで私なりに、今までの議論をまとめる形で整理しておこうと思う。
そもそも、世界のスタンダードにおいて、こういった

  • 美術品の展示

における、クレーム対応がどういうものであるのかについては、まず、アメリカで起きた、二つの「旭日旗」を巡る事件を例に考えてみよう。

数日後、撤去しない方針を固めた大学当局は韓国系学生らを招いて説明し、その理由を伝えた。ギプソン副学長ら大学側はこう述べたという。
「指摘されたステンドグラスにある旗(旭日旗)は1928年に設置されたもので、当時、キリスト教学生協会が世界中に宣教活動を広げたことを示すシンボルの一つである。
この問題について大学側が君たち学生と議論することはやぶさかではない。大学側としては学生諸君の問題提起に関心を持っている。すべての人が満足するような解決策が出ることを期待するが、そのような解決策が出るのは難しいとも思っている。我々が最大限理解している限りでは、ARCH に取り付けられたすべてのステンドグラスにはそれなりの目的があった。こうした経緯についてはステンドグランス周辺に何らかの形で明記したい」
韓国人学生 米名門大で旭日旗ステンドグラス撤去要求も却下

フィラデルフィアペンシルベニア大学のキャンパスのステンドグラスが「旭日旗」を思わせるとして、在米コリアンから撤去を求められた事件で、こちらについては、上記にあるように、大学側が「拒否」するという形で決着しているようだ。この場合の特徴は、これが「大学内」での話であったことで、そもそもの「大学自治」が深くこの決定に関わったと考えられる。

米西部カリフォルニア州ロサンゼルス市の統一学区が、公立学校の体育館にある壁画について、旭日旗を想起するとする地元団体の抗議を受けて塗り消す決定をしたことが13日、分かった。「表現の自由を侵すものだ」との批判も上がっており、波紋を呼びそうだ。
壁画があるのは、「ロバート・F・ケネディ・コミュニティー・スクールズ」。韓国系の人々が多く住むコリアタウンにあり、幼稚園から高校までが一体となっている。壁画は女優のエバ・ガードナーとヤシの木をモチーフに青と赤の光が放射状に広がる構図となっており、2016年に完成した。
旭日旗を想起、LAコリアタウンの公立校壁画消去 - 産経ニュース

米西部カリフォルニア州ロサンゼルス市の統一学区が、旭日旗を想起するとする地元団体の抗議を受けて公立学校の体育館にある壁画を塗り消す決定をした問題で、同学区は17日、決定を一時保留する考えを明らかにした。地元紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)が報じた。「表現の自由を侵す」などと批判が巻き起こっていたことに配慮したとみられる。
「旭日旗だ、撤去しろ」地元団体のイチャモン?に米国内から批判の声「太陽の光線は世界共通のシンボルだ」 米ロサンゼルスの公立学校、壁画撤去を保留 (1/2ページ) - zakzak

1日、韓国・KBSによると、米ロサンゼルスのコリアンタウンにある公立学校の壁に旭日旗に似た模様が描かれていることが物議を醸していた問題で、同壁画の制作者が「作品を修正することで騒動を収束させよう」との妥協案を提示したことが分かった。
米LAの“旭日旗”壁画、韓国人団体の抗議受け制作者が修正へ|レコードチャイナ

こちらは、ロサンゼルスの公立学校の体育館の壁画がまた「旭日旗」を思わせるとして、在米コリアンが撤去を要求した事件であるが、こちらの経緯は複雑だ。最初は、この壁画の撤去に承認していたが、このニュースが全米に広がったことで、これが「表現の自由」を侵しているとして、多くの批判があがったため、撤去の一時停止を決めた。そして、最後の引用はあまり情報がなく、よく分からないが、どうも作者が作品の「修正」を提案している、ということのようだ。こちらの場合、注意しなければならないのが、これが「コリア・タウン」に関係した地域でのクレームだった、というところがポイントで、ようするに地域住民の感情をどこまで考慮するのか、と深く関係して、事態は推移している。
しかし、この二つの事件に共通しているのは、少なくとも「アメリカ」では、「表現の自由」がかなり徹底して「重要視」されている、ということだ。
では、対して今回の「表現の不自由展」を考えてみよう。まず、私が重要視するポイントは以下だ。

また、ここで「表現の自由」を言う人の中に「暴力に屈することなく、展示を続けるべきだ」といった意味合いの意見を目にしました。
仮にそうだとして、「テロの脅しや暴力に屈しない」ために、どの程度のコストがかかるのでしょうか。お金の見積もりが全く抜け落ちた意見に見えました。
それは素人の妄言であって、財務の後ろ盾のないアイデアは、夢まぼろしにすぎません。少なくとも職業的な責任で芸術事業を監督するなら、安定確実な予算のあてがなくてはできません。
すべて元は税金なんですから、冗談にもならない。
「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引、膨大なコスト増 あいちトリエンナーレ大失態と欧州が払っている膨大な経費(1/6) | JBpress(Japan Business Press)

まず、今回の「表現の不自由展」は、その名が示しているように、すでに以前に「問題」を起こした作品を「再度、展示に<チャレンジ>する」というのが、その目指すところだ。つまり、当たり前だが、これが

  • 論争

を起こすことは、始めから、津田さんは分かっている。ということは、どういうことか? この展示会を「成功」させるには、どれだけの

  • 警備

などのセキュリティが必要かは、その前回の論争の大きさから、必然的に「見積れる」わけだ。しかし、結果として愛知県側は、それにふさわしい警備をしただろうか? 言うまでもない。しなかったから、中止になったのだ。
なぜしなかったのだろう?
これが最大の謎だ。
ここで、もしかしたら、愛知県が「そこまで」予期することは、国民を最初から犯罪者扱いをしているようなもので、無理なんじゃないか、と思うかもしれない。そういう人は、上記の引用のリンクの記事を読んでほしい。欧米では、その展示物に対応して

  • 必然的

に厳重な警備を行っているのだ。もちろん、そのためには、それに対応した「税金」がかかり、国なり地域なりが、その分の「重税」を課されているわけであるが、ちょっと考えてみてほしい。その作品は

  • どうしても展示しなければならない

と、その欧米の美術館は考えたのだ。<だから>、その対価を支払っても展示をしているのであって、言わば、その国なり地域住民は、その「価値」に納得している、ということなのだ。
対して、どうだろう? 今回の「表現の不自由展」は。

作品選択の規準は「過去の展示不許可」であって、トリアンナーレが「いい作品」と推したわけではない。津田さんは個々の作品に行政が賛意を示しているのではないとも明かした。
抗議殺到し展示中止、悪しき前例「難しい社会に進んだ」:朝日新聞デジタル

ここで、津田さんは「驚くべきこと」を言っている。いや、もっと表現を強くするなら、

  • 恐しい

ことを言っていると言い換えていいだろう。彼は、今回の「表現の不自由展」に展示された作品を

  • 評価していない

と言っているのだ! 彼は自分が「良い」と思っていないものを、この展覧会に来る人に「見せ」ようとした、ということだ。これって、なんの「嫌がらせw」。
あのさ。だれもこれが「良い」と言っていないものを展示するのに、なんで県民のなけなしの

  • 税金

が使われなけりゃなんないのさw じゃあ、津田さんはなんと言っているか? これは

  • メタ

だ、と言っているのだ。津田さんがしたい「議論」は、メタ議論であって、

  • 表現の不自由<についての>議論

だ、と。そのために、展示したんだ、と。ここからは私見だけど、こんな理由だったら、莫大な税金を投入して警備して、展示会を継続することは、県民が許さないんじゃないかな。
もっと言えば、こんな理屈で展示を瞬殺で取り下げられて、出品者の人たちは、津田さんに「侮辱」されたと感じてるんじゃないか。事実、出品者たちは、展示の再開を要求しているようだし。
そして、一部の「あいちトリエンナーレ」の他の出品者の人たちが、連名で、今回の「表現の不自由展」の中止に抗議して、作品の出品の取り下げを要求しているようだけど、まあ、当然だよね。これって、

  • 出品者たちへの「侮辱」行為

そのものなんだから、同じ製作者として、団結して抗議するのは当たり前でしょう。
私の想像ではあるけれど、津田さんという人は、そもそも展示会に作品を出展することに対して、あまり大きな「意味」を感じていないのではないか。実際、今の時代はどこからでも情報は得られるわけで、なんでわざわざ展示会に来て作品を見なければならないのかもよく分からない。津田さんが重要視しているのは、彼ら津田さんや東浩紀先生などが

  • これらの作品を<選んだ>

という事実が、彼らに誇りや自尊心をもたらす、と思っていて、別に、さまざまな理由で展示がとりさげられることに、出品者は「抗議しないだろう」と考えていたのではないか。
しかし、作品製作者側にとっては、その期間の最初から最後まで出品されることは、それが「約束」として存在する限り、

が守られたかどうかを担保するわけで、無限大の重要さを感じている。こういった美術業界の

  • 常識

がジャーナリストの津田さんには「共有されていなかった」というのが、今回の事の真相なのかもしれない...。