あいちトリエンナーレで何が起きていたのか?

前回は、「津田大介「問題」」と称して、ブログ記事を書かせてもらったが、この論点について、さらに深掘りした記事が以下に載った。

トリエンナーレが直接契約を結んだ参加作家はこの『表現の不自由展実行委員会』です。そのため、トリエンナーレと『表現の不自由展・その後』に作品を出品したアーティストとは、直接契約していません」
これ、何を言っているか、お分かりになりますか?
「我々公の国際美術展は、2次請の業者と契約したのであって、3次以下に何があっても知らない」と書いてあるわけです。非常に分かりやすい官僚作文です。
後ほど明記するように、一つひとつ所有者が違い、一定以上高価で、不特定多数への公開に際しては保険をかける必要がある公的展覧会のような場では、決してやってはいけない仕儀なのですが、ぴたりと指摘しているメディアはあるでしょうか?
末期症状、あいちトリエンナーレ 前提疑われる公的国際美術展、第三者委員会は財務チェックを(1/10) | JBpress(Japan Business Press)

もし明日、あいちトリエンナーレ会場で火事があって木像が消失した場合、誰が(どこの保険会社が?あるいは県や実行委員会などが)どのようにその損害を賠償し、お金を支払わなければならないか、といった詳細が、1点の不明瞭もなく示されなければなりません。
この展覧会が官費を使う、税金を原資とする催しである以上、1円でも曖昧な経理が許容されることはない。
末期症状、あいちトリエンナーレ 前提疑われる公的国際美術展、第三者委員会は財務チェックを(1/10) | JBpress(Japan Business Press)

私は少し前に、「テロリスト津田大介」というタイトルのブログ記事を書いた。そのことの意図は、おそらく、専門家が見たら、どう考えても

  • 成立していない

ような財務計画で、津田は強引にこのプロジェクトを開催させたんじゃないのか、という疑いだった。おそらく、津田は基本的に

  • 前回の「のほほん」とした、あいちトリエンナーレとほとんど変わらない<予算>

で今回の予算を提出しているのではないか。だから、あまり論議も呼ばないで、開催までこぎつけたのではないか。しかし、実際は、この「表現の不自由展」は、どう考えても

  • 膨大なセキュリティ費用

を計上しなければ、そもそも「承認」されるはずのない企画だったのではないか。おそらく津田は、これを都知事などの非常に限られた人間との間だけで、周りから隠して、極秘プロジェクトとして企画を進行させたのだ。そのため、彼らの今回のプロジェクトは周りからは

  • どうせ、前回と同じ「のほほん」とした企画なのだろう

と理解され、例年と同じような金額で周りの承認をもらって、ここまで来たのではないか。
うーん。
この津田大介の「悪ふざけ」、もっと言えば、「ジョーク」を一言で表現するとするなら、

  • 高校生が「バカ」をやって、生活指導を受けている

程度の感覚で、津田は今回の「テロ=革命」を、おそらくは行ったのだろう。

「報告」によると、「表現の不自由展・その後」の招聘は2018年12月6日に「フェイスブックを通じて正式に依頼」されたとあります。この1行だけでも驚天動地です。
私は、SNSを通じて契約のための連絡を取ることはあっても、税金を執行して制作するどのような依頼でも「フェイスブックを通じて正式」になど、物事が成立することがない1の1はわきまえています。
あり得ない表現を目にしましたが、こういう本質的なポイントも、多くのメディアはスルーしてしまうのではないかと危惧します。
一般の役所であれば「支出伺」の提出あたりに始まって、多くのハンコのリレーを経て「正式の依頼」も文書で管理されます。迂遠ではありますが、同時にこれらに附随し様々なセキュリティが施されるのも事実です。
もしいま、国民、県民、市民が収めた「税」を原資とする国際展の「正式の依頼」が、ソーシャルネットを介してお友達感覚で・・・が本当であるなら、こうした1行だけでも、会計検査院の恐るべき目の細かなチェックを想起するとき、立ち眩みを覚えるほどの丸腰ぶりと言わざるを得ません。
末期症状、あいちトリエンナーレ 前提疑われる公的国際美術展、第三者委員会は財務チェックを(1/10) | JBpress(Japan Business Press)

津田という人間は「こういう」人間である。フェイスブックで書いたことを

  • 正式

という言葉で表現してしまうような言語感覚の人間なのだ。つまり、彼には何が「正式」で、なにがそうでないのかが分かっていない。おそらく、津田は「表現の不自由展実行委員会」が、結果としてどんな

  • 自分たちがとても展示できないような作品にしてきた場合

に、どういった「契約項目」によって、この契約を断ろうと思っていたのかとか、ほとんど考えていなかったのだ。だから、こんなものを

  • 正式

とかいう言葉を「軽々しく」使える、その程度の人間なのだ。

芸術監督がすべての関係者の声に耳を傾けることは理想ですが、現実には不可能で、それを目指すことでむしろ津田さんは動けなくなっていると感じます。電話対応の方の声を拾い上げるのは、本来は芸術監督の仕事ではなくべつのひとのはずなので、分業がきちんと機能するのが大事だと思います。

はじめまして。東さんはじめ、関係者の皆様がそれを知ってはいらっしゃることもまたわかっています。でも、その議論の場所に、彼、彼女らは出て行くメリットも無いし、出て行くこともできません。
@mmmegumi 2019/08/18 24:33

@hazuma 2019/08/18 24:36

これは、東浩紀先生が最近、ツイッターでつぶやいたコメントであるが、この

  • 分業

問題は、別に、電話対応だけに限らないわけである。あらゆる法的、契約的な場面において、これが成立している。もっと言えば、どんなに今回の津田による企画が「へっぽこ」だったとしても、こういった諸事項に対して、万全の法的、契約的に十全な対策と措置がとられていたなら、誰がやったって、最後まで開催できていたのだ。
そうであるのに、東浩紀先生などの議論は、終始一貫して、明後日の、抽象的な、右翼と左翼の対立といったような

  • 文化的な二項対立

といったような「彼らが得意な文化的な議論」を延々と繰り返し、今回の問題を、たんに

  • 混乱

させるだけの、周りがワイワイ言っているノイズの議論を繰り返し、彼らの貴重な準備・対策の時間を奪っただけだった...。