BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」

BUMP の曲は、アニメとのタイアップや、ヒット曲のような、誰もが知っているようなものより、アルバムの片隅にあるような、小品の方が、印象的な作品があったりするので、おもしろい。
掲題の曲は次のような歌詞から始まる。

持て余した手を 自分ごとポケットに隠した
バスが来るまでの間の おまけみたいな時間

ここから分かるのは、これから語られる内容が、自分がバスを待っている間の日常の中にある、ちょっとした「暇」な時間、ちょっとしたことで生まれた、空白の時間での、もろもろのことであることが分かる。

ガムと二人になろう 君の苦手だった味

ここで、わざわざ「だった」という表現を使ってるように、この曲が「恋愛」というか、「失恋」の曲であることが分かる。この隙間の時間に、たまたま、彼がガムを噛んでいたことから、昔の彼女の

  • こと

を、なりゆき上、思い出してしまったのだ。

止まったり動いたり 同じようにしていても他人同士
元気でいるかな

ここで「他人」という言葉が使われていることから、もう恋人同士ではないことが、より明確に分かるだろう。そんな彼女に対して、たんに行きがかり上でしかなかったとしても、いろいろと「思い出す」。ちょっとした時間の隙間。油断していた、リラックスしていたその隙間をぬって、過去の膨大な彼女の思い出が脳裏をよぎっていく。そして、この一気に燃え上がった感情は、ついつい、以下の地点にまで辿りつく。

この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら 君がここにいたら
話がしたいよ

特徴は、「話がしたい」といった表現だろう。この二人の恋愛は、なんらかの「会話」にこそ、そのアイデンティティがあった。その「心地良さ」を思い出すことで、つい、こういった感想をもらすことになる。
しかし、である。
他方において、二人の今の関係がどういうものであるのかは、以下の比喩がよく現している。

ボイジャーは太陽系外に飛び出した今も
秒速10何キロだっけ ずっと旅を続けている

どうやったって戻れないのは一緒だよ

ボイジャーの比喩は、今の二人の関係、つまり、「どこまでも離れていく」関係を象徴している。そしてこの認識は、一つのアイロニカルな観念になって、この曲の極点に達する。

今までのなんだかんだとか これからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんな事は

ようするに、彼はこの短い間で「彼女」より重要なことなんて、そもそも、あったのか? と、もうほとんど

  • 後悔

と変わらないような慨嘆を、ほとんど「やけくそ」な感じで吐露してしまう。
しかし、である。
そもそもなぜ、今こうなっているのか。それを考えるなら、こういった「議論」は彼の中では、もう何回も何回も繰り返されてきたのだ。さんざんやった議論を、こうやってまた、蒸し返している自分に、少し驚きながらも、少しずつ冷静になっていく。

いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや言い過ぎだけど
そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている

この内省は、最初に断ったように、バスを待つ間の、ちょっとした時間の隙間に始まったものだったわけで、そうである限り、必然的にこの内省は

  • 日常

に返っていく。ここで「大丈夫、分かっている」と言っているのは、当たり前だけど、彼女との二人の関係は、もうとっくの昔に、二人での話し合いででているわけで、今さらそれが変わることはないわけで、この、ちょっとした隙間の時間が終わることで(つまり、待っていたバスが来ることで)、この一瞬だけ燃え上がった情念は、まるで何もなかったように忘れられ、消えさっていく。
さて。これは「恋愛」の歌なんだろうか、「失恋」の歌なんだろうか...。

aurora arc (初回限定盤B)(CD+BD)

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