日本のポストモダン批判の「おかしさ」

日本でポストモダン批判を行っている人で、例えば、山形浩生や(本人はそれをメインに活動をしているというわけではないのだろうが)稲葉振一郎のような人たちの主張は、デフレ派としての彼らのマルクス主義批判や、進化論や進化心理学などからの、ポストモダンを「トンデモ科学」として否定する文脈での、科学主義(または、科学進歩主義)といった延長からのものであったりするわけで、そして最も彼らが重要視する視点が

であったわけで、ようするに、科学用語や数学用語のポストモダンの「乱用」こそが諸悪の根源のように語ってきたわけであり、そして、こういった態度は、ほとんどの実証主義を重要視する、アカデミズムにおいては、こういった人たちは唾棄に値するような、根源的な敵として扱われていた印象がある。
しかし、である。
こういった話は、なにかおかしくないか? だって、考えてもみてほしい。
そもそも、ポストモダン

  • 何と戦っていたのか?

を彼らソーカルエピゴーネンたちは一度として問うたことがあるのだろうか?

僕はAmazonレビューで〈フランス現代思想〉を俗流化した日本のポストモダン受容を批判してきました。
それに対し、千葉雅也や石田英敬清水高志などの〈フランス現代思想〉系の学者などからツイッターで悪口を言われたのですが、
最近柄谷行人の著書を読み直してみたところ、僕が批判したような内容はすでに90年代に柄谷行人がすでに指摘していたことと重なっていたことがわかりました。
柄谷行人のポストモダン批判【その1】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

興味深いのは、彼ら「ソーカルエピゴーネン」たちの最大の敵が

になっていることだ。つまり、柄谷を「トンデモ科学」として dis ることが、彼らの生涯の生き甲斐みたいになってしまっているw しかしね。笑ちゃうけど、彼らは柄谷を読まない。というか、彼らの「気にいった」(dis るのに都合がいいw、柄谷の文章の)場所しか読まない。そして、全体として柄谷は

  • 訳の分からないことを言っている人

という総括しかしない。
もちろん、こういった読み方もあるのかもしれない。しかし、もしも柄谷を少しでも全体において読む気力があれば、彼は間違いなく

を一貫して行っている。このことをよく考えてみてほしい。ここに決定的な東浩紀との差がある。東浩紀は、大塚英志との対談『リアルのゆくえ』において、自分はポストモダニストだと明確に言っていて、それ以降もこれを一度として否定したことはない。まず、第一義的にここで

  • 違って

いるではないか! なぜこれを重要視しないのだろう?

特に日本の出版界は、雑誌「現代思想」の青土社ドゥルーズ利権の河出書房新社を中心に、現代思想といえば〈フランス現代思想〉という短絡的な発想を長らく続けてきました。
柄谷行人以降の日本の現代思想界隈では、出版社が一般市場向けのスターとして浅田彰東浩紀國分功一郎、千葉雅也を売り出していますが、彼らは例外なく〈フランス現代思想〉の関係者です。
彼らが自分の依拠する思想を批判できるはずもなく、一般市場において柄谷行人のあとに日本の〈フランス現代思想〉やポストモダン受容を批判する人が出てこないのも当然と言えるでしょう。
柄谷行人のポストモダン批判【その1】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

話を戻せば、ポストモダン思想の眼目は西洋近代の批判にありました。
なぜ西洋近代を反省しなければならないかといえば、その末路が世界戦争と冷戦(イデオロギー対立)であったからです。
そのことを考えれば、日本でポストモダン思想を「正しく」受容したなら、近代国家日本の戦争への道のりを批判もしくは反省するべき思想でなくてはならないはずです。
しかし、むしろポストモダン思想は日本近代の反省であった戦後思想に対するオルタナティヴとして登場しました。
簡単にいえば、バブル景気による「ジャパンアズナンバーワン」に見られる経済大国気分を背景に、西洋を見下すような発想と手を結んで語られたのがポストモダン思想だったのです。
ポストモダン思想では西洋近代が批判される代わりに日本古来の価値観がすばらしいかのように語られているものが目立ちました。
柄谷行人のポストモダン批判【その1】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

まあ、そうなんだよね。もともとポストモダンは、マルクス主義の延長から出てきた。彼らが考えていたことは、マルクス主義者と共通で、「世界戦争」と「冷戦(イデオロギー対立)」のことだった。つまり、これらを一言で言えば

  • 西洋近代の批判

に彼らの主題があった。ようするに、フランス現代思想の課題は、

にあったわけであろう。つまり、さ。この課題を共有ない人たちとは、そもそも話が合うわけがないんだよねw 日本のソーカルエピゴーネンたちは、最初から

  • アカデミズム

に対する批判的な視点がないでしょうw 嗤っちゃうくらいに彼らは、まるで、進化論とか進化心理学とか量子力学とか新古典派経済学とかを、まるで

のように崇拝してるよねw つまり、ポストモダニストはそういう人に向かって語ってないわけw こういった連中を相手にしていない。そんなにアカデミズムが立派だったら、「世界戦争」や「冷戦(イデオロギー対立)」なんて心配しなくていいんじゃないの、っていう皮肉が理解できないんだ。
そして、こういった認識は、おそらくは最初のニューアカ・ブームの頃には理解されたんだと思うわけです。それは、中沢新一チベット仏教みたいなものに注目したことなんかに典型的に現れていた。つまり、そういった「西洋中心主義」から離れたところに、なんらかの可能性があるんじゃないのか、という探究の旅だったわけだ。
ところが、です。
じゃあ、なんで柄谷はポストモダンを批判する立ち位置を選ばなければならなかったのか、なんです。
つまり、柄谷が主に批判したのは

だったわけです。

本人はごまかしたいでしょうが、東浩紀の登場はこのような文脈の中で理解し直される必要があるでしょう。
東は著書『動物化するポストモダン』で、コジェーヴの「勘違い」ともいえる日本人のスノビズムをそのまま「動物化」として日本のアニメオタクに当てはめ、日本のオタクは世界先進的だという議論を展開しました。
全くくだらない本でしたが、驚いたことに当時の日本ではこの本がすぐれた著作であるかのように受け取られたのです。
(まだそう思っている頭の鈍い人が多くいるのかもしれませんが)
思想的な意匠を剥ぎ取ってしまえば、結局は「日本のオタクは先進的だ」という閉鎖的虚構に耽溺する日本人(=オタク)マンセーでしかありません。
柄谷行人のポストモダン批判【その1】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

『言葉と悲劇』という講演集で、柄谷行人は日本のポストモダン思想が江戸時代の復活である
と語っています。

1980年代に日本に顕著にあらわれたのは、いわゆる消費文化の異様な昂進です。それは、現代の文脈ではポストモダニズムと呼ばれるでしょうが、日本史の文脈では、いわば「文化文政」的なものの復活だといえます。

現代の日本人が〈フランス現代思想〉由来の発想であると思っていることの多くは、実は江戸時代にルーツがあると柄谷は言います。
柄谷は言葉遊びやコラージュ、主体の不在などを「文化文政」的なものとして挙げているのですが、現代においてこのような価値観を西洋由来のポストモダン思想で説明する「勘違い」が横行しています。
柄谷行人のポストモダン批判【その1】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

柄谷は〈フランス現代思想〉の内容にあまり立ち入らないのですが、〈フランス現代思想〉のヘーゲル的理性批判と本居宣長の「漢意」(朱子学的な理)批判が重なることを指摘しています。
柄谷の洞察が深いと感じるのは、理に対して「自然=生成」を持ち出す宣長が、制度や構築を拒絶するように見えたとしても、それ自体が日本独特の制度であり構築である、としているところです。
このような体系性や構築性を拒否する日本独特の生成的構築のことを、柄谷は「無作為の権力」と呼んでいます。
これは実質上、浅田彰の『構造と力』を批判しているのと同じことです。

日本の閉じられた言説体系のなかでは、どんな多様な錯乱や無方向的な生成があろうと、根底でそれらは安定的な均衡に到達する。この「自然」がおびやかされないかぎりにおて、日本の言説体系(空間)は、外部に対して無制限に開かれている。

ここで柄谷が述べている「多様な錯乱や無方向的な生成」は、『構造と力』で浅田彰が依拠していたポストモダンの姿そのものです。
(浅田はポストモダンを「多数多様な散乱」として図化しています)
柄谷の言い方がわかりにくいので僕が翻訳しますが、日本のポストモダン的な多方向的な生成とは、閉鎖性の中でだけ「自然」として機能するものであり、ある安定的(体制的)な基底を持っているということです。
僕自身は、そのような「自然」を保証するものが「局所的・時限的な場」だと考えています。そこでは場所や時間を限定するかぎりにおいて自然=生成が許されるのですが、その外部は安定的な体制によって均衡が保たれることが「前提」となっているのです。
柄谷行人のポストモダン批判【その1】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

柄谷はかなり徹底して

を行っているんですよね。そして、近年彼ら二人が柄谷と一時期と較べれば、比較的に疎遠になっているのは、この、かなり徹底した、根底的な批判と関係しているんだと思うわけです。また、この批判に彼ら二人は、かなり応答している、とも考えられるんだと思うわけです。浅田彰の語ることは、近年はほとんどマルクス主義者と変わらなくなっている、ということもあります。また、東浩紀は、かなり意識して「オタク」を「アイデンティティ・クリティーク」として語ることを、かなり意識的に避けている印象を受けます。そして、それらのかなりの部分は、こういった柄谷の執拗な批判に応答してのものだと考えるのが自然なんだろうと思うわけです。
対して、上記の「ソーカルエピゴーネン」たちはどうでしょうか? 嗤っちゃうくらいに、彼らの方こそ、まさに

が礼賛した、「日本型ポストモダン」としての

  • 言葉遊びやコラージュ、主体の不在などを「文化文政」的なもの

としての、アニメやSFに惑溺して、無批判に「ホルホル」しているだけなんじゃないんですかねw
しかし、もしそうなのだとすると、一体どこからのこ「日本型ポストモダン」は侵犯してきたのでしょうか?

前述した大塚英志は『メディアミックス化する日本』の中で、80年代の「ニューアカ」と呼ばれた現代思想の実態がマーケティングでしかなかったことを、その当事者として「暴露」しています。

当時(南井注:80年代)「ニューアカデミズム(ニューアカ)」の名の下に現代思想サブカルチャーと結び付いたと言われていますが、実は、八〇年代において現代思想が結び付いたものは、マーケティングであり電通です。
(中略)
ニューアカと言われた人たちも、ぼくと同じようなマーケッターであったり、空間デザイナーでした。ぼくと同じ年で言えば、いとうせいこう香山リカ田中康夫。一世代上だと、上野千鶴子中沢新一などがおり、その中でも「売れっ子」が浅田彰で、これが八〇年代ニューアカの正体なのです。

特に大塚英志の言葉を持ち出さなくても、出版の現状を見てみればこんなことは明らかだと思うのですが、このような指摘がインパクトを持ち得ないのは、
オタクという存在が本質的にマーケットに依存しないと生きていくことができないからなのです。
柄谷行人のポストモダン批判【その2】|南井三鷹の評論・研究|南井三鷹の文藝✖︎上等

つまり、日本型ポストモダンの源流は

に対する「ホルホル」だったわけだ。
(というか、「電通」ですよね。だから、保守政党の諜報員的な役割とも親和的だったわけだ。)
この日本の

  • 単独性w(唯一性)

として、彼ら日本型ポストモダニストたちは、世界に向かって、なぜ日本は「世界の最先端」なのかを説明しなければならない義務があると考えたわけだw そして、それに一定を応答を与えようとしたものの一つが、東浩紀先生の『動物化するポストモダン』だったわけだけれど、彼もそれ以降のその「オタクというアイデンティティ・クリティーク」という

  • 当事者主権

に対する(柄谷の)批判に一定の価値を認めないわけにはいかない場所に追い込まれていった。それは、柄谷の批判が一定の力があったからというより、より単純に

  • 日本の経済力

の世界の中での割合がその間に、急激に下がったことが大きかったわけであろう。柄谷はたんにそれ(日本ホルホル)が、非倫理的であり

  • 恥かしい

というのが一義的にあったわけだけど、彼ら日本のポストモダニストにしてみれば、日本がこれだけ経済力が下がっているのに、

  • 日本のオタクは世界の最先端

とか言い続けることが、あまりにも「オタク=自分が<かわいい>」のナルシスズムだったわけで、回りの軽蔑の目に耐えられなくなっていって止めていった、というのが正直なところなんだと思う。
まあ、そういう意味では彼らが本当に「反省」したのかどうかは疑わしいけどw、対して、日本の「ソーカルエピゴーネン」たちにはそういった懐疑すら、微塵も見られないわけですから、まあ、どっちがより批評的なのかってことなんですけれどねえ...。

後記:
柄谷は全共闘世代だったという意味では、マルクス主義者だが、彼が一時期、伊藤仁斎に言及したように、彼は仁斎が朱子学に抵抗しながら、論語を読んだように、体制派マルクス主義と距離をとってマルクスを読んでやるという野心があったわけであろう。しかし上記の、日本のポストモダン批判派に既存のアカデミズムに対抗してなにかを言おうなんていう気概が少しでもあるのかなw まあ、本人が柄谷を批判できるほど立派だと思ってるんなら世話ないけどw
後さ。なぜ柄谷は浅田彰を評価したのか、なんだよね。それは、一義的には、彼が、端的に優秀だったからでしょう。どんどん最新の本を原書で読んで(彼くらいなんじゃないかな、数学基礎論のマニアックな論文とか、当たり前のように言及してたの)。まあ、ここまでやって、ポストモダンは駄目だとか言ってるんなら、大したものだけど、後から日本語訳を読んで、知ったようなことを言ってるだけなら、なんとでも言えるわけだ...。