おおたとしまさ『新・男子校という選択』

掲題の著者は、この本で、

  • 男子校の復活

を訴える。というのは、そもそも近年、男子校は「絶滅危惧種」だからだ。

二〇一八年度の文部科学省の調査(図1)によると、全国に高校は四八九七ある。うち「男子のみの学校」は一〇七校。たったの二・二%だ。ちなみに「女子のみの学校」は二九九校で、男子のみの学校に比べれば倍以上ある。公立のみで数えれば、男子のみの学校の割合はわずか〇・四%にすぎない。

ではなぜ、掲題の著者は、こういう状況でありながら、男子校を「多様性」の観点から擁護するのかというと、ある「特徴」があるから、と言う。

しかし二〇一九年の高校別東大合格者ランキング(図3)を見ると、五位まではすべて男子校、一〇位までの八割が男女別学校だ。二〇位までを見ても男子校が六五%を占める。
また、ランキング五〇位までの合格者数は計一八八〇人。そのうち男子校出身者だけを合計すると一〇八四人となり、約六割を占めていることがわかる。毎年約三〇〇〇人が東大に合格するので、東大生の少なくとも三分の一以上が男子校出身者という計算だ。
東京偏重にならないように、東大・京大・国公立大医学部の過去五年間の平均合格者数ランキングで見ても、トップ二〇校のうちやはり六五%が男子校である(図4)。

あのさ。
ここで、掲題の著者は「図3」として、「2019年高校別東大合格者数ランキング」という表を掲載しているんだけれど、ここに上位51校が載っているわけ。そして、それに対して、掲題の著者は、その男子校の割合がうんたらかんたらって、上記の引用個所で蘊蓄をたれているんだけれど、これを見て、

  • 明らか

にもっと違和感をもつのは、その3分の2近くが

  • 関東圏

の高校だ、っていうところだよね。
まず、最初の引用で、男子校は「絶滅危惧種」だ、という話をした。次に、東大ランキングの上位のほとんどが、関東圏の高校だ、っていう話をした。ここから分かることは

  • 東京の一部の高校は、昔から「地方差別」的な構造の教育システムになっている

ということなんだよね。
つまり、さ。
これは、男子校や女子校を容認するのかしないのかの話じゃないんだ。
そうじゃなくて、

  • 東京の一部の学校は、なんらかの「地方差別的な構造になっている教育システム」を採用している

っていうことなんだよね。つまり、もしも地方の子どもで東大に入りたかったら、

  • 東京に移住しろ

っていうことを言っているの。だって、その一部の学校は、厳然とした「地方と差異のある」教育を行うことで、こうやって、入学者の分布に異常な偏りを生みだしているわけでしょ。
つまり、さ。
この掲題の人は、統計の見方がおかしいんだ。
まあ、この本を読めば、男女には

  • 生得的(=遺伝子レベル)の差異

があるんだ、っていう話が山のように書いてるわけ。でも、なぜか地方の高校と東京の進学校では、

  • 違った「内容」の教育

がされていて、明らかに、東京の進学校は、上の大学に入るのに「適応」した結果になっているわけだよね。そして、そもそも「それ」が問題だと思っていない。
なぜ、日本のエスタブリッシュメントに、女性が少ないのか? それは、東大の3分の1が男子校出身ということが示しているように(そもそも、東大は昔、男子校ですからねw)、彼ら男子校の

  • 人間関係

によって、それ以降の「人つきあい」も決定しているからだよね。つまり、彼らの人間関係の中で、さまざまな

  • コネ

によって、日本のエスタブリッシュメントの人材配分は固定されている。よって、そこに、それ以外の人たちが入る隙間がない、っていうことでしょう。まあ、これが日本社会の衰退であり、「固定化」を何十年ももたらしてきたのだから、分かりやすいわけだ。
東京の進学校で男子校が今だに残っていて、東大の3分の1をも占めていることに対して、その論点を「男子校かどうか」に限ることは、本質的な問題を見逃している。問題は

  • (東京でしか行われない)極端なエリート進学校教育

をどう考えるのかにあるのであって、それが男子校か共学かは二次的な問題でしかない。普通に考えれば、こんなことは誰でも分かるはずなのに、なぜか、掲題の著者は、

  • 本質(=生得的=遺伝子的)

としての「男子校」にロマンティックな価値を見出してしまう。なぜ男子校なのかは、単純に

  • 女断ち

をさせるためでしょうw 仏教の僧侶が結婚しないのと同じでw 女とのデートは、勉強の時間を削る。まあ、そこまでしなけりゃ、東大なんか入れるはずもないわけだw
でもさ。
当たり前だけど、大学に入って、社会人になって、定年を迎えて、寿命で亡くなるまでの長い期間において、圧倒的に

  • 女と「うまく」やっていく

ノウハウがまさに「生きる術」として重要なわけだ。そういったものを学ぶのに、最も多感なこの時期に、

  • 隔離政策

が合理的って、どう考えても、私には理解できないんだけどねw そこまで言うんだったら、いっそのこと、

  • 人断ち

して、ずっと部屋に一人で籠って、男の家庭教師にだけ、毎日、手とり足とり、教えをこうていれば、もっと「東大」に入るかもね。まあ、そんな奴が社会に出て、一体、誰とまともに会話ができるのかって、想像するだけで恐しくなるけど...。