国家は国民の「優劣」を決定するのか?

国家とはなんだろう? それは、私たちの生きる全てだと言っていいだろう。私たちはこの国に住んでいる。そして、住んでいると同時に、この国の政治に関わり、この国の意志決定に関わっている。
そうした場合、この国家は、私たち国民の誰かを「優れている」とか「劣っている」といった認定を行っているのだろうか?
これに少し似ていることをやっている、と言うことはできるだろう。それは「教育」だ。ここにおいて、国家は子どもたちに教育を与えると同時に、大学を頂点とした、上位の教育機関への入学の許可を与える。
しかし、である。
それは、そもそも、その子どもが

  • 優れている

ことを主張していないw たんに、「成績が上位だ」と言っているに過ぎない。それは、あくまでも、そのカリキュラムに対応した、そのカリキュラムの中での、「序列」を言っているのであって、それ以上でも、それ以下でもない。
私たちが生きているこの世界は、別に、そのカリキュラムが「全て」ではない。もっと、いろいろな課題があり、いろいろな問題に対して、さまざまな意見が競い合っている場所だ。そこにおいての、「優れている」かどうかを判断するのは、国家じゃない。そもそも国家にそんな資格はない。
国家とは、あくまでも、この国の、さまざまな権利を「調整」する、バランスをとる機関なのであって、

  • なんらかの観点からの信念

を無条件的に信仰する組織ではない。そういったさまざまな「信念」をもって、さまざまな判断をしている、さまざまな国民がいることを前提として、それらの諸権利を調停することが目的だ。よって、国家がだれかを

  • 優れている

と判断することは、諸国民の平等と矛盾するなのだ。
ところが、である。
もう何年も前になるが、東浩紀先生が音頭をとって作った「ゲンロン憲法草案」では、この国家による

  • 卓越者の選別

が、こっそりとすべりこまれているのだ。

国民院は、日本およびそれ以外の地に居住うす日本国民を代表すべく、国籍、居住地のいかんを問わず、優れた識見を有する者として法律によって定められた条件を満たした者の中から選挙された議員で、これを組織する。国民院のすべての議員は、任期のあいだにかぎり日本住民と見なす。
憲法2.0−−情報時代の新憲法草案

もしも国家が、国民に対して

  • 無条件の優劣

をつけたら、それはそもそもその一部の国民を「貴族」として扱うと宣言していることと変わらない。つまり、国民の平等に反する。
上記をよく読んでもらいたい。これは、一見すると、外国人の有識者のアイデアを国政に取り入れようとしているように見えるが、そもそも、対象が外国人「だけ」なんて一言も言ってない。
つまり、

  • 東大卒の天才(つまり、東浩紀氏本人)を国家は特別扱いしろ

と言っているのだ。確かに「選挙」と書いてある。しかし、何人の中から選ぶのか、誰が選ぶのかも書いてない。つまり、これは

  • 選挙では選ばない

という含意が込められている。上記の「国家によって選ばれた」被選挙人が、「東浩紀氏一人だけ」なら、そもそも彼しか選びようがない。つまりは、こういう「カラクリ」によって

  • 民主主義を破壊する

ことこそが目的として、こっそりと、こういった悪魔たちがすべりこませた、世紀の詐欺行為なわけだw
ところで、この「ゲンロン憲法草案」は、アカデミズムから、完全にシカトされて今に至っている。当たり前だ。自分たちを「特別視しろ」と言っているのと変わらない、こんなオナニー文章を誰が真面目に相手するか。
しかし、それ以前に上記の観点から指摘させてもらったように、この憲法

  • 矛盾

しているから、そういった内容的な評価を受ける前に、門前払いをされた、といったところが実際だろう。つまり、一方では、現憲法を踏襲して、国民の平等を言っておきながら、他方では、上記にあるような「優劣」をすべりこませているわけだがら、つまりはこれを読んだ人は

  • この人たちが何を言っているのかが分からない

という意味で、賛成するかどうか以前に、誰もそういった評価以前のものとしか受け取らなかったわけだ...。