定性的と歴史的

アニメを見ていると、多くのケースで

が描かれる。なんらかのゲームで、圧倒的に「強い」側が

  • ちょっとしたこと

によって、弱小側に負ける。この展開が、言ってみれば、飽きられることなく、何度も何度も繰り返されているわけである。
さて。
なぜ、圧倒的に強いとされている側が、負けるのか? そこには、今の教育制度への明確な

  • 批判的視座

が現れているように思われる。
学校教育は、畢竟、大学入試を

  • 目的

として、逆から、構成されている。この目的を実現するために、より効率的に、より合理的に「能力」をアップする形で構成されている。そして、ここで問われる、大学入試は、完全な

  • 点数という順序化

によって序列される。ここで問われているのは、

  • その試験の日に、その試験会場で、その生徒が、その点数をとった

という定性的な事実である。これを、いわゆる「偏差値」という

  • 能力

として「解釈」することに、その全ての意味がある。
しかし、である。
ここで少し考えてみてほしい。「なぜ」その生徒は、その日に、その試験会場で、その点数をとれたのだろう?
これは、よく考えてみると、今の教育制度が完全に「無視」している側面である。
なぜその生徒がその点数をとれたのかは、そこで問われた問題の一つ一つに対して、ある日、ある学習を行って、それを習得したからである。では、なぜそれは可能だったのか? それは、その時点で、その生徒が、それを身につけるのに十分な素養を身に付けていたら、と言うしかない。
どんな知識も、その人が身に付けた地点が「必ず」ある。だとするなら、その地点とは、一体、なんなのか。一方にそれをその時に身につけた人がいて、他方に、それを今だに身につけえいない人がいて、では、この二人を分けることになった、「その地点」には、どれほどの「意味」があるのか。
考えてみてほしい。その今だに身につけていない人は、別に、明日身につけたっていいわけである。そして、明後日、そのテストが行われていれば、二人とも合格するだろう。だとするなら、その「地点」に、果してそれほどの意味があるのだろうか。
こういった視点を、ここでは「歴史的」と呼んでおこう。
よく、アニメでは「キャラ」という言葉を使う。その登場人物の性格を指して言うものだが、これは偏差値とよく似ている。つまり、なぜその人はそのキャラになったのかには、「歴史」があるのだ。必ず、ある過去の時期に、なにかがあった。この

  • なにか

が「その人」なのだ。これが、その人を「構成」している。そうであるのにも関わらず、それを「キャラ」としてしまった時点で、その

  • 歴史性が捨象されている

のだ。
圧倒的に「強い」側は、強いのではない。たんに「歴史的」に必然的な過程を経て、「そうなっている」としか言いようのない関係にある。その強いは、

  • 過去のある時点で、ある「信念」を悟った

ということを意味しているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。それは強いのではない。あくまでも、その歴史的な過程においては、そう考えずにはいられなかった、という一連の過程を意味しているに過ぎない。
そのように考えたとき、これを「強い」と整理してしまっては、膨大な多くの情報を捨象してまっていることに気付くであろう。
全国一位のトップランカーが、始めて一ヶ月の、にわかの、ペーペーに負ける。その理由は、そのトップランカーが、「なぜ」強いのかの「過去の歴史」に秘密がある。なぜ彼はトップランアーになれたのか? そこには、どこか

  • 非人間的

なまでの、残酷なトレーニングに耐えてきたから、と言うしかない。では、なぜそれを耐えたのか? そこには、歪な動機があった、と言うしかない。しかし、である。もしもその、歪な動機が、

  • まったく無意味であった

ことが、「証明」されたら、どうだろう? おそらく、多くの人にとって

  • そんなことは大したことではない

と思うであろう。しかし、その生徒にとっては違うのである。なぜなら、「それ」がその生徒を、どんなに辛くて苦しい毎日を耐えさせてきたのだから。だからこそ、その

  • 一線

を超えてしまったときに、一気に、自らの寄って立つ場所を失う。よく、東大に入学した後に、

のようになるのは、そうやってかなえた「結果」が、そもそもの、その人にとっての、何よりも大事な

  • 生きる目的

といっていいような、(他人にはつまらない、ちっぽけなことにしか思えないものでも)本人には、それなしには自らを支えることもできないような、心の支えとなっていたものが、もろくも崩れ去ったことに、気付かされるから、だからこそ、そこで始めて

  • 大学なんて「自分の生きるためには」どうでもいい

ということに気付かされて、茫然自失するわけである...。