金敬哲『韓国 行き過ぎた資本主義』

今、アメリカや日本では

がさかんに議論されている。つまり、民主主義にはなにかしら「欠陥」があるのではないのか、と。それは、トランプ大統領の誕生を一つの例として、なぜこういった「ポピュリズム」が起きてしまうのか、という話らしい。
しかし、こういった

  • 「先進国」病

はどこか「贅沢」な悩みのように聞こえる。というか、ここでポピュリズムに「困っている」と言っているのが、概ね、

であることが嗤えるわけである。つまり、エリート高校の進学校で同級生だった連中が、自分たち

  • 高学歴

ポピュリズムによって、世の中の「中心」で働けない。誰も自分たちを「尊敬」してくれない、と

  • 困っている

というわけで、なんの話なのかなw、と思ってしまう。このリベラリズムの「失敗」がどこか滑稽なのは、当たり前だが、韓国や中国のような

と呼ばれるような、つい最近までは、世界的にも「遅れた」国とされていた地域では、むしろ問題なのは

  • 民主主義なき「資本主義」の<過激化>

にあったわけであるから、いや、ポピュリズムによって「エリート独裁」ができないから困っているとか言っているエスタブリッシュメントは、早く、この日本から出ていって、韓国や中国に移住されたらどうでしょう、としか思わないわけである。
一見すると、韓国も中国も「日本に追い付き、追い越した」国として、立派な「先進国」のように思われる。しかし、それはあくまで、外から見た印象にすぎない。韓国や中国の中で「行われている」ことは、日本以上に、さらに先を行った

  • ラディカルな「資本主義」

の、あまりにも「不健康」な、むしろ「病気」と言ってもいいような「症状」にこそ、その特徴があるわけであろう。

儒教国家の韓国は、以前は老人を敬う文化が徹底していたため、「老人が世界一幸福な国」と、外国から羨望の眼差しで見られたものだ。だが今では、とめどもなく広がる「貧困老人」の問題が、大きな社会問題になっている。
韓国の高齢者の貧困率は45・7%に上り、OECD加盟国の中で最も高い。「漢江の奇跡」と呼ばれた成長第一主義の陰で、福祉政策は後回しにされてきた。社会保障制度の整備も遅れ、多くの高齢者たちは退職した後も、日雇い労働をして生活している。韓国で公的年金制度が施行されたのは1988年、会社員だけでなく個人事業主を含めた国民全員が公的年金に加入することになったのは、ようやく1999年になってからのことだ。

私たちは、少なくとも社会主義国は「福祉」が充実している、と考えていた。ところが、中国の経済優先政策は、この「福祉」を犠牲にしてでも、経済成長を優先する。日本やアメリカなんて比べものにならないくらいの過激な資本主義によって、貧富の差が拡大する。

前出の元塾講師イさんは次のように語る。
「大峙洞の塾の特徴は、幼い頃から目標を設定させて徹底的に管理していくことです。早ければ幼稚園の時から、目標とする進路に向けた体系的な教育が施されます。(略)」

新自由主義が拡大した地域で最初に現れる現象が、この

  • 過激な子供教育

だ。子供とは「科学」の「実験台」だ。つまり、科学はその子供が「何になる」かを、さまざまに

することによって、「実現」するのだw ここにおいて、子供は完全に親の「おもちゃ」である。親が子供を「コントロール」して、大学に入学「させる」のだ。

まず、学習塾の先行学習によって、公教育が崩壊しつつあることが指摘されている。学習塾で先行学習している生徒たちは、学校で厳しい先生の授業時間中は、聞いているふりをして塾の宿題を行い、寛大な先生の授業時間には、最初からあからさまに睡眠をとる。授業中に寝ておいて、良いコンディションで塾の授業に臨むためだ。教室の雰囲気がそうだから、他の生徒たちも授業に集中することができない。教師のほうも、生徒がすでに先行学習で授業内容を知っていると考え、基本概念を十分に説明しようとしない。

親が子供を「コントロール」して、大学に入学させる、一番簡単な方法は、小学生のうちに、「高校の授業内容」をマスターさせることだw これを行うには、簡単である。子供を毎日

  • 夜12時まで

勉強漬けにすればいい。ここで、子供の自主性を一切認めてはならないw すべて「親がコントロール」するのだ。親が、「お前は今、これを勉強しなさい」と

  • 決めて

行わせる。これによって、子供は一切の「勉強についての選択」を行うことなく、最初から最後まで、

  • 親が提供してくれた「メニュー」

をこなし続けることで、勝手に成績が上がるw
しかし、ね。
当たり前だけど、子供は親の「おもちゃ」じゃない。こんなことを行っていれば、何が起きるのかは分かりきっているだろう。

イ所長によると、勉強によるストレスで体の不調を訴えるケースは少なくないという。
「今の子供たちは親が作ったハードなスケジュールに合わせて生きています。子供たちは機械じゃないのに、朝は学校に行って、夕方ちょっと休んで、またすぐにスウケジュールに合わせ塾を転々とします。塾に行くと、また宿題が出るじゃないですか。結局、最近の小学5〜6年生は夜12時過ぎまで勉強をしています。このような生活が高校まで続くと、疲労が蓄積されて無気力になり、特別な理由がなくても体に症状が現れます。体全体が痛くて、まともに黒板を見ることができない。吐き気がして授業時間中伏せたままの子供もいます。しかし、病院に行っても内科的な診断は特に出てこないのです。体全体が疲れて、朝起きて学校に行っても椅子に座っている気力さえ出ない......こんなことが長く続いてから、やっと両親も大変だと気付いて、子供を連れて相談に来られるんです」

つまり、子供は

  • 壊れる

のだ! これが、「資本主義」の結末である。資本主義の「悲惨」はむしろ、

において「結果」する。それを「経済成長」によって、理想の「ユートピア」に至れると思い込む勘違い経済学者が後をたたない。奴らの言う通りに、「新自由主義」的に過激化すればするほど、私たちは病気になり

  • 壊れる

だろう...。