そういえば、東浩紀先生の『観光客の哲学』を賞賛している人って、今でもいるのだろうか? あの本で私が特に最悪だと思っているのが、最後にもってくる
- 家族
がなぜ重要なのかの「理由」だと思っている。それは、二つに分けて語られている:
- 遺伝子
- 人に自殺をさせることができる(国家との比較)
いや。本当に、こう書いているわけであるw 恐しい、と思いますよね? 彼そのものは東大出身で、
- 日本国家の御意見番
になることが「夢」とか、ツイッターでつぶやいていたから、私たち日本人は、東浩紀先生の「夢」のためみ、国家に
- 売られ
かねないですねw 一応、上記の二つを説明しておくと、一番目の遺伝子というのは、「精子の自己運動」によって、どの精子が卵子に辿り着いて、受精するのかは完全な「確率」でしかない、というところのようで、そこが彼の昔からの持論の「誤配」「郵便的」なんかとからんで、家族が「素晴しい」理由なんだってさ(つまり、遺伝子こそが「家族」の「神秘」を説明する本質ってわけ)。
それで、二番目であるが、これはルソーの『社会契約論』からの引用という形で語られているわけだけれど、これ、本気で書いてるんだよね。でも、これに近いことは、前半・中盤でも書いているんだよね。人間のアーキテクチャーは、人間的秩序の部分と、動物的秩序の部分の二つによって構成されている、っていうような。つまり、この後半の、人間をまるで「動物」にように「扱う」ことが、彼の考える
という「逆説」になっているわけで、これ、かなり真面目に、この人書いているんだよね。恐しい。
国家が戦争を国民に命じることで、多くの国民を殺してきたように、家族は子供を殺すことができる。そういった「強制力」があるから、
- 社会の秩序
が成立する(つまり、国家は家族を媒介にすることで、国民を「支配」することができる)、ってわけ。つまり、この人にとって、カントの言う「人間の尊厳」「人権」なんて信じてないわけ。徹底して、人間を、人間が動物を扱うような、「管理の対象」として、
- 他人に迷惑をかけない(お金持ちの邪魔を、貧乏人がやらない)
ように
- コントロール
できるかどうかにしか「興味」がないわけで、その、お金持ちにとっての「ユートピア」を、
- 貧乏人の、徹底した、まるで「動物」を扱うときのように、管理すること
によって「実現」しよう、っていう、かなり露悪的に、自分の
- 野心
を書いた本なんだよね。
怖いね、この人。ほんと、この人のいなくなったツイッターは平和だわw
まあ、前置きが長くなっちゃったけど、掲題の本が本格的に検討しているのが
- 愛着形成(つまり、その病気である「愛着障害」)
であることは、なぜこの「愛着形成」の問題が、東浩紀先生の『観光客の哲学』では、まったく出てこないのかについても、ちょっと信じられないような、知的怠慢を感じなくもないわけである。つまり、この東浩紀先生は、一体何を彼の言う「家族」なる概念を通すことで伝えようとしていたのかが、その「隠された陰謀」が、むしろ、家族の問題を語っていると言っておきながら、なぜか「愛着形成」という、近年の研究の大きな成果に言及しないという、意味不明な
- 態度
にこそ、彼の「隠された陰謀」が現れているんじゃないのか、と想像するわけです。
ハーロウが直面した困難とは、親から話された子ザルは、どんなに室温や栄養に配慮して育てても、みんな死んでしまうということだった。生き残っても、反応がほとんどなかったり、落ち着きなく同じ行動を繰り返したり、重い障害を抱えてしまったりして、とても心理実験に使える状態には育たなかっった。
まあさ。この「愛着形成」問題。なんと、人間という種を飛び越えて、サルにさえ見出せる、って言っているわけ。
さらに、
その後、ボウルビィが提唱した母子関係の理論は、生理学的にも裏付けられることになった。愛着は、オキシトシンやバソプレシンというホルモンによって支えられる生物学的なメカニズムでもあり、オキシトシンの働きが解明されるとともに、体内で何が起きていたのかということが明らかとなってきた。
なんと、それが「ホルモン」である、オキシトシンという物質と、綿密な「ストレス免疫機構」との因果関係まで示されている、と言っているわけである。
彼らが自分のことを、愛される資格がない、生きる値打ちがないと思っているのには、その確信の根拠となる原体験がある。
彼らにとってもっとも大切な存在が、彼らをあからさまに見捨てたか、可愛がっているふりをしていたとしても、本気では愛してくれなかったのだ。
「本気で」とは、口先ではなく行動でということであり、彼らがそれを一番必要とした幼いときに、彼らのこを何よりも優先し、気持ちだけでなく時間と手間をかけてくれたということだ。大切な人が、彼らのことより他のことに気を奪われることがあったとか、自分自身のことや生活のことに追われて、どこか上の空であったというとき、幼い子は「自分は市場大切な存在だ」ということを味わい損ねてしまう。
たとえば、その一つは、あなたが親に対して親しみや安心を覚えるかどうかだ。親のことを考えただけで、心が安らぎ、ほのぼのとした気持ちになれるか。それとも、逆に刺々しい思いや苛立ち、怒りを覚えるか。それとも何の感情も湧かないか。
まあ、こういった愛着形成のような、ストレスと関係した行為が、深く
- 免疫機構
と連携しているということは、想像はできたわけであろう。
私はこういうのを読んでいると、もう、「家族」という言葉は使わない方がいいんじゃないのか、とさえ思えてきてしまう。あなたがここで「家族」という言葉で言おうとしていることは、ようするに、「愛着形成」(の免疫機構)のことだじゃないか! それを「家族」という、まるで、
- 遺伝子
という生物学的な親子の間にある「神秘的な意味」みたいに語るから、全ての議論が台無しになる。そうじゃない、育ての「親」の
- サービス
の質こそがこの議論の全てなのであって、どうやってこれを担保するのかが問われているわけであろう。ほんと、東浩紀先生の「家族」は、国家による戦争での死の命令を代替する機能がある、みたいな変な
は、ほんと害悪でしかないから、早く滅んでほしいんだけれど、これが「東浩紀ファンクラブ」の人たちの、
- 彼が何を言っても絶賛の嵐
という、北朝鮮かどっかの国みたいなマンセーを見ていると、どうもそういう日は来そうにないようです...。
- 作者:岡田 尊司
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2019/09/18
- メディア: 新書