私は実在論がなにか分かっていない:第四章「実践種」

なぜ科学は、簡単に植原先生の「自然種」の提案に賛成できないのか? それには、具体的な「判例」があったからなのだ。

一九九〇年代の前半になされた、記憶の本性と被暗示性の影響力に関する科学的な発見によって、多重人格障害に関する疑念が、とりわけ習熟した臨床家のあいだに生じるようになった。他我の存在を明らかにするために催眠が用いられていることがとくに問題とされた。ポール・マキュー(2008)が記すように、多重人格と診断される症例の数が劇的に増えたことによって、そうした症例は「多重人格」を発見する技術を誇るメンタルヘルスの専門家が期せずして作り出したものではないかと疑われるようになったのである。
リリエンフェルドとリン(2003)によれば、MPDの大半はMPDの専門家によって診断されており、交代人格はそうした専門家の心理療法が始まったあとに初めて現れる傾向があった。ドラマチックな症例研究、とりわけ『失われた私』のもととなった症例シビルをより注意深く考察することで、それらがかなり虚構化された物語だったことがわかった。最終的に、多重人格障害の「流行」は、暗示にかかりやすい患者が多重人格という役割を採用することを助長しない面接法の使用によって消去できることが示された。この発見によって、多重人格の存在を文字通りに信じることは難しくなった。
(ピーター・ザッカー『精神病理の形而上学』)
精神病理の形而上学

こうやって次々と多重人格を診断していた医者は、実際に多重人格を

  • 発見

していたという意味では、植原先生の言う「実在」である。しかも、科学者による、れっきとした、研究結果だ。また、これも科学の「発展」だ、ということにならなければならない。

奴隷制について再考しよう。一八五一年、アメリカの医師サミュエル・カートライトは、逃亡への反抗的欲望を示す奴隷はある種の精神科疾患を罹っていると考え、それをドラペドマニアと名づけた。逃亡に成功した奴隷については、彼らは自由な状態を扱えるようにはできていないために黒色人種性感覚異常(または悪辣さ)いう、より悪性の疾患を患うだろうとカートライトは主張した。しかし打つ手がないわけではない。「適切な医学的助言が得られ、それが厳密に守られれば、逃亡という黒人の問題行動はほぼ完全に予防できる」と彼は語っている(Cartwright, 1851/2004, p.34)。
(ピーター・ザッカー『精神病理の形而上学』)
精神病理の形而上学

これが異様に思えるのは、私たちが奴隷制が廃止された現代だからだ、となぜ言えないことがあるだろう? つまり、本当に科学は進歩するのだろうか? また、はるか未来に、黒人奴隷制が復活したとして、どうしてこういった

  • 病気

が「復活」しないと言えるだろう?
こういった議論を振り返ったとき、何が問題なのか? 私たち、たかだか人間が「自然種」を語ろうなんていうのは、どこか

  • 傲慢

なんじゃないか? というか、こういった実践的な学問のあり方を主張したものこそ

だったんじゃないのか? こういった考察の延長で、ピーター・ザッカーは「実践種」という考えを提示する。

実践種についてさほど肉食系ではない例を、ホーウィッツとウェイクフィールド(2012)が大人と子どもとの区別に関する議論のなかで提示している。彼らによれば、大人と子どもの区別は恣意的なものではないが、その線引きはその分類が何のために用いられるかによって異なる。たとえば運転免許の取得、合意による性交、結婚、収監、飲酒、軍隊への加入、法的契約のそれぞれについて、それが可能な人かどうかを決定する際に、聖人の線引きについてさまざまな仕方が導かれる。
(ピーター・ザッカー『精神病理の形而上学』)
精神病理の形而上学

例えば、この本で例として挙げられているものに、メランコリー疾患がある。実は、この病気は、今の精神科医の病気の分類からはなくなっている。それは、歴史的な経緯から、どうしても分類上

  • 曖昧

だったから、ということになっているわけだが、ピーター・ザッカーは自らのこの、プラグマティズムの立場であり、実践種の考えから、医療の現場で、このメランコリー疾患を使ってもいいのではないか、と提案する。なぜなら、あくまでもその現場において、一定の

  • 分類

上の共通了解があるのであれば、それはプラグマティズム的に「有用」に機能すると判断できるからであって、こういった例は、どこか、唯名論であり、規約主義に親和的な例のように思えなくもない。