生まれてこないほうが良かったのか?:はじめに

掲題のタイトルが、ベネターの『生まれてこないほうが良かった』という本からとられていることは分かるだろう。といっても、私は反出生主義に賛成だとか反対だとか、といった議論をしたいわけではない。そうではなく、(例えばツイッターなんかを見ていても)間違いなく、彼の反出生主義に

  • 共感的

な人たちがいることをどう考えるべきなのか、が私にとっての興味なのだ。

他方で、「生まれてこなければ良かった」という矛盾を含む主張が、ある種の慰め----自らの生や、生を与えた母や父との関係に苦しむ人たちに、何らかの「癒し」を与えるものだとは予測される。現にインターネット上ではそうした反出生主義に対する感想が散見される。
(橋迫瑞穂「反出生主義と女性」)
現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想―

私はそもそも、具体的な他者に向かって語ることのない主張は無意味だと思っている。つまり、実際にベネターが「生まれてこなければ良かった」と言って、それに共感している人たちがいるなら、彼らに

  • 向かって

語らない一切の議論は、そもそも空疎であり、反倫理的だ。実際にそれで「困っている」人がいるのに、その人たちに対して語ることなく、そもそも何が語れるというのだろう? そして、そうやって語っているつもりになっている、思弁であり、詭弁であり、雄弁は、一体なんだというのだろう? 世の中の一切は「対話」である。その、具体的に目の前にいる人に対して、

  • あなた

はどうなんだ、ということが問われているのであって、ここから「逃げる」一切の

  • 言葉のパズル

はなんの意味もない、オナニー行為でしかない...。