生まれてこないほうが良かったのか?:第二章「ハードSF」

さて。あなたはSF小説の読者だろうか? しかし、このSF小説も、よく考えてみると「聖書」と非常に似た構造をしていることが分かる。
聖書は人間に、「子どもを産め」と命令した。よって、人間が子どもを産み、はるか未来まで「生きなければならない」ことは

  • 決定した

と言うことができるだろう。しかし、だとするならその「未来」なるものは、どういった世界になっているだろう? これが「ハードSF」である。つまり、SF小説とは正統なる

  • 聖書

の読解の延長上にあるものなのだw
ところが、である。
よく考えてみてほしい。もしも、私たち人類が、はるか未来まで「生き延びる」ことが

  • 決定している

となったら、どういうことになるだろう? よく考えてみてほしい。もしも「生き延びる」んだったら、

私たちは、「どんな悪をやってもいい」ということにならないだろうか? なぜなら、どんな悪を行ったって、どうせ、はるか未来まで「生き延びる」ことは<決定>しているのだから。つまり、

  • 一切の道徳が「無意味」であることが証明されてしまう

わけである。ここに、ゼロ年代の「ハードSF」は、一貫して

ことの理由がある。「ハードSF」は「アンモラル」と

  • 同義

の意味しかなくなる、堕落した、悪の活動と区別がつかなくなるのだ(このことは、ニック・ランドの新反動主義であり、暗黒啓蒙が、「遺伝子決定論」を介して、ポストモダン哲学者と「似た」、新自由主義的な、世界の世紀末的なサバイバルネスを強調した議論を展開したことが象徴している)。