ニーチェの思想:第五章「ニーチェは神を信じていないのか?」

それにしても、ニーチェの言う「生の肯定」は、どこか奇妙な印象がある。つまり、なぜそこまで「人間が生き続けること」に、彼は無限の価値を言い続けたのだろう?
そう考えたとき私は、ニーチェは「神の存在を信じ続けている」ということなんじゃないのか、と思ったのである。

パレスチナに由来するこの一神教伝統群の、いずれにおいても尊ばれている創世記の記述を引こう。

神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべて支配せよ。」(『新共同訳聖書』)

島薗進「生ま(れ)ない方がよいという思想と信仰」)
現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想―

ニーチェは、そもそも「神は存在しない」と言ったのだろうか? 彼は確かに、キリスト教の道徳を否定した。そして、イエス・キリストの弱者救済を否定した。しかし、

  • 神そのもの

を否定していないのではないか? そして、そう考えたとき、そもそも「聖書」には、神が「人間は生き続けろ」と命令しているわけで、ニーチェはその神の命令を、

  • だから

「価値がある」と言っているんじゃないのか、そうとしか思えなくなってきたわけだ。
ニーチェが、キリスト教に代わって、古代ギリシアに「戻って」考えることを戦略としたことは有名だ。彼は、デュオニソス神を、キリスト教に代わって、重要視した。それは、

を否定しない、ということを意味する。つまり、ニーチェギリシアの神と、キリスト教の神を区別していない。
ニーチェがなぜ、あれだけキリスト教を馬鹿にして平気だったのかといえば、彼は、自分こそが

  • 真の信仰者

だという自負があったんじゃないか。キリスト教は「神の意図」を間違ってとらえている。本当の神の意図を、正しく受け取っているのは、世界中で唯一自分だけだ、 と。私が「真のキリスト教」を創造する、と。つまり、ニーチェは、キリスト教は馬鹿にしたけど、神を「畏れる」ことは生涯やめることはなかった。
だから、聖書で神が人間に「生き続けろ」と命令したことに従順として従った。そして、それを「徹底」することこそ

  • 価値

なんだ、ということを信じて疑わなかった。

公刊著作の中で力への意志のことを描写する際、ニーチェはあえて挑発的な言葉を用いている。「生そのものは本質的に、自分以外のより弱いものを自分のものにし、侵害し、制圧することである。つまり、抑圧、過酷、自分自身の形式の押しつけ、血肉化といったものであり、最も穏やかな言い方をするとしても、少なくとも搾取なのである。----だが、なぜ昔からの誹謗の意図を刷り込まれてきたこのような言葉を用いなければならないのだろうか。[...]「搾取」は、退廃した社会や不完全で原始的な社会に属すものではない。むしろ、有機体の基本的機能として生きているものの本質に属するものなのだ。つまり、生がもつ意志は結局のところ力への意志なのであり、「搾取」というのはこの力への意志から導き出される一つの帰結なのである」(『善悪』二五九)。
(バーナード・レジンスター『生の肯定』)
生の肯定: ニーチェによるニヒリズムの克服(叢書・ウニベルシタス)

もしも、人間が生き残り続けること「だけ」に価値があるなら、神は人間に

  • 強者は弱者を「奴隷」にしろ

と命令した、ということになるだろう。ニーチェはその「真理」を「発見」した。

私は、生否定的諸価値の心理学的起源へのニーチェの探究を、彼の倫理的見解の中でも最も不穏なものを解明するのに利用できると考えている。彼は、善き生を彼の力の概念の観点から再定義する重要な一節を、冷淡な通告で結んでいる。「弱く、出来の悪い者は滅びるべきだ。これすなわち、私たちの博愛の第一原理である。そして、人は彼らがそのように滅びるのを助けるべきだ」(『アンチ』二)。
(バーナード・レジンスター『生の肯定』)
生の肯定: ニーチェによるニヒリズムの克服(叢書・ウニベルシタス)

もしも、人間が生き残り続けること「だけ」に価値があるなら、神は人間に

  • 強者は弱者を「殺せ」

と命令した、ということになるだろう。ニーチェはその「真理」を「発見」した。
強者が弱者を殺すことによって、地球の「食料問題」が「解決」する。つまり、

  • 口べらし

であるw たとえ、地球上の人口がどんなに増えても、エリートが大衆を、適当に選んで殺せばいい。たとえそうしたとしても、エリートという「頭のいい」人間が未来に生き残るのだから、神の

  • 人間は生き続けろ

という「命令」には従っていることになる。