謝罪する若者

いやあ。どうでもいいが、videonews.com の神保さん。首相の会見で、質問を当てられてましたねw 番組で首相が質問の答えを原稿読んでいることや、必ず首相の会見で出席したときには、質問に手を挙げてきたけど指されたことがないとかネタにしていたけど、これでこのネタは使えなくなったっていうこと?
ネットでは相変わらず、出羽守が東京は早くロックダウンしろ、の大合唱だ。ものすごい罵詈雑言だ。もうパニックと言っていいだろう。彼らは日本人がロックダウンの「定義」を知らないことを罵倒する。そんなことも知らないのか、と。

誤解している人が多いのですが、ロックダウンとは、全市民を閉じこめるものではないです。1.出勤せねばならない人は出勤できます 2.必要不可欠な外出は認められます 3.必要不可欠には、ペットの生命、健康も含まれます 4.ロックダウンは自粛ではありません強制措置です 5.経済的には国家が補償します
@BB45_Colorado 2020/03/27 22:55

ここで、今の東京の状況と違っているのは、4 と 5 となるだろう。4 を東京や日本がやらないのは、なぜか? 今はまだその時期じゃないからか、それとも、法律や憲法に反すると考えているからか? よく分からないが、5 については、今回の安倍総理の会見でも、ある程度の条件の範囲で保障は行う旨のことは言っているわけで、それが上記の「定義」に合わないと言われてばそれまでなのであろう。ロックダウンは

  • 短期間

の措置と考えられている。短期間だから、国家が「もちこたえられる」という解釈だ。しかし、それが長期化したなら、いずれこの条件は緩めなければならないということになる。だとするなら、いつがそのタイミングなのかは政治判断なのであろう。
クラスターの問題ということでは、海外からの「帰国者」がクラスターとなっているのではないか、という指摘がある。つまり、アメリカやヨーロッパのより、悪性の強い突然変異をしたウイルスが東京には入ってきているんじゃないのか、という仮説である。
(どうでもいいが、以下のサイトを見るとかなりの割合が海外渡航者、または、外国人に見えるのだが。

新型コロナウイルス感染症の現在の状況について(令和2年3月28日版)

どうなんだろう?)
あと、今の東京の感染者の急増は、ほとんど、都内の、ある一つの大きな某病院内の、院内感染が半分近く、といった指摘もある。怖いのが、クラスターを特定できない、クラスター不明の患者の激増だったわけで、そういう意味では、単純に今の人数の増加が、それ以降の「指数関数」的な増加を示唆していると、パニックを誘導するのは、危険な行為で、やはり専門家の判断をあおぐということになるのだろう。
総理の会見は、治療薬やワクチンの開発に「めど」がつけば、将来が見通せる、というのが主張の中心だったと思う。しかしもしもそれがほとんど唯一の「希望」のような意味で語っているのなら、あまり将来は楽観できない、といった印象を受けた。つまり、新薬はそんなに簡単な話じゃないだろうからだ。
さて。
土曜日の今日は、普通に近所に買い物に行ったが、前日に比べれば、売り切れがほとんどとまでではなかった。外出禁止要請が効いているのかもしれない。
踏切の前で、押し車を使った男のお年寄りの方が、強風に煽られて目の前で、道に倒れていたのを助けて起こしてあげたのだが、なんだか、3・11での「災害ユートピア」の議論を思い出した。こういった「危機」のときにこそ、人々は「助け合い」の行動を動機づけられるのであろう。
ネットをいろいろ見ていたら、次のような、ちょっと不謹慎な、ちょっと「ほほえましい」記事を見つけた。

「スプリングブレークの時の新型コロナウイルスに関する私の無神経な発言を心から謝罪したいと思います。あの時、私は自分の言動がいかにひどいものか分かっていませんでした。時間をかけて自分の間違いの責任を取り、あの発言で気分を害された方におわび申し上げたく思います」
「他の多くの人びとと同様、私にも長年尊敬している高齢の方や、感染すれば重症化する危険のある家族がいます。私はやっとこのウイルスが、われわれ全員にとっていかに危険なものかを理解しました」
「私たちの世代は自分たちが無敵だと感じているかもしれません。あの発言をした時、私もそう感じていました。でも、私たちにはコミュニティーの忠告に耳を傾け、従う責任があるのです」
「私は今回のことで自分と向き合い、教訓を学び、みんなの幸せを祈っていきたいと思います」
コロナ禍でもビーチで遊んでいた若者が…過ちに気づき懺悔(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

前回、少し「道徳」について書いたが、こうやって「若者」が

  • 反省

をしている文章を見ることは、この先の「将来」にこの「道徳」には少しは、なんらかの役割があるんじゃないのか、といった希望を抱かせてくれる。大事なことは、メッセージが相手に

  • 伝わる

ということなのだ。それは、相手が「ルールに従う」という「行為」によって証明される。それは、決して「受け手側」だけの「責任」ではないのだ。受け手側が「気づく」「悟る」ことは、そんなに簡単な話じゃない。もっと言えば、これは必ずしも「合理的」な順序で人々に受け入れられるのではない(そんなスピードでは間に合わなかったし、人間が今まで生き残れたのも、そうではなかったからだ)。おそらく、上記の記事で反省している若者は、フェイスブックかなんかで、さんざん批判されたから、それが

されている状況で、今まで通りにバカな書き込みを、さすがにやりづらくなった、といった程度の認識なのだろうが、まあ、それが人間の「合理性」なのであって、たとえそれであっても

  • ルールに従う

かどうかが、私たちのこの社会を回せるかどうかにかかってくる...。