経験論批判まとめ

フランシス・ベーコンが『ノルム・オルガヌム』において、「帰納法」による、学問の方法を主張したとき、それ以降の、ジョン・ロックや、ヒュームの「経験論」の基礎が確立された、と言うことができるだろう。そして、それ以降、学問とは

  • 経験論

のことを言うのだ、といった主張が世の中の主流となった。しかし、ここで経験論とは、つまりは「自然科学」のことを言う。いや、正確に言えば、自然科学の方法に準じる、と言った方がいいのだろう。
しかし、である。
言うまでもなく、ベーコン以前にも学問はあったのであり、その頃から、さまざまなことを言う人たちはいた。そして、そういった言説が必ずしも、「経験論」的ではない様相を呈していることは、往々にして見られた傾向だった。つまり、これが俗に言う、「合理論」である。
いずれにしろ、このベーコンの成果を、カントは高く評価したわけであるが、カントは、かなり意図的に、この「経験論」と闘った学者だった、と言っていいだろう。
しかし、それに対して、「気に入らない」といった、露骨な悪意を回りにばらまいて言論活動を繰り返した学者が、それ以降、後をたたなくなる。
その最も典型的が学者が、リチャード・ローティである。ローティほど、カントに、なにか個人的な恨みでもあるんじゃないかと思われるほど、罵詈雑言を終生、浴びせ続けた学者はいないw
ではなぜ、そんなことになってしまったのか? それは、彼ら「経験論者」たちの戦う「フィールド」が、「なりゆき」上、どうしても「合理論」に近くなってしまったからなのだ。

経験論や実証主義から由来した分析哲学に於ても、経験や知識の超越論的な根拠を求めた超越論哲学と同じように、知識の基礎となる言語の規則のなかに超越論的な根拠に等しいものが求められていることに気付かれ、二つの対蹠的な思考法であるかのように見られてきた両者の間に、哲学的対話の可能性が生まれたのである。
(竹市明弘「超越論哲学と分析哲学」)
超越論哲学と分析哲学―ドイツ哲学と英米哲学の対決と対話

経験論の徹底は、必然的に

  • 言語の「発見」

となる。つまり、言語は「経験」するものだからだ。よって、経験論者であり、自然科学者は、この言語の「研究」を始めることになる。しかし、考えてみると、それをやったのが、カントの超越論哲学だった。しかし、その「内容」は、とても経験論者たちが受け入れられない主張を多く含んでいた。
リチャード・ローティも、この経験論における「言語論的転回」の中から、彼の学者活動を始めた。彼が最初に「仮想敵」にしたのが

  • 心(こころ)

であった。それはつまりは、プラトンイデアであり、デカルトのコギトエルゴスムであり、カントの超越論的自我を、徹底して「破壊」するための活動に生涯を費した。ローティは、人間に「心(こころ)」なんて「ない」と言う。じゃあ、その代わりに何があるのかと言えば、それが

  • 言語

である。しかし、こういった態度は、現代の「自然主義」を標榜する、科学哲学者たちの主張を典型的に代表するものだ、と言っていいだろう。人間に「心(こころ)」がない、ということは、人間は

  • 機械(きかい)

だ、と言うことである。つまり、人間は「ロボット」なのだ。そして、この結論は、そもそも「経験論」から必然的に導かれる帰結だった。そうであるなら、ローティがカントを馬鹿にし続けたことも、彼の理論的な立場が必然的にそう振る舞わせていた、と言わざるをえないわけであろう。
(また、経験論を徹底すれば、「道徳」は「存在しない」ということになる。そして、この主張を象徴する形で登場したのが、功利主義である。功利主義は、あらゆる道徳理論は「帰結主義」によって「決定」する、と定義した。しかし、そもそも「帰結」が前提にされるのなら、そのことが、「道徳は存在しない」と言っていることと同値であることは明らかだろう。功利主義者とは、そういう意味で「反道徳主義者」なのだ。)
興味深いことに、こういった「袋小路」に追いつめられていった、「経験論」者は、現代の

にこそ、多く見られる。ローティは、ジャック・デリダを終生、言及し続けた。そして、デリダとは、フッサール現象学であり、ハイデッガーの研究者であった。つまり、この「経験論」の延長にある学問である。ハイデッガーは、晩年、それまでの哲学研究を一切捨てて、ほとんど、「詩(し)」の作成に没頭するようになる。つまり、彼は

  • 悟り

を開いたわけである。もはや、哲学は「終わった」と。そして、こういった「態度」は、ヴィトゲンシュタインであり、デリダにおいても、少なからず踏襲されることになった。
彼らは、彼ら自身が傾倒する、この「経験論」の徹底において、もはや、

  • 哲学

を続けられなくなる。そして、彼らが「逃げた」先が「文学」である。もはや、彼らは「哲学的論争」を続けることに対して、アイロニカルな態度を示すことしかできなくなる。なぜなら、そういった場所に彼ら自身が追い込まれていたことに、誰よりも自覚的だったからだ。
例えば、ローティは自分の立場を「プラグマティズム」と自称したわけだが、それは、全ての「理論的」な態度を否定する、ということであった。つまり、森羅万象の一切を「実践的」の相において眺める、ということである。ローティは、驚かれるかもしれないが、

しているわけである! つまり、その(ポストモダン的な、相対主義の)「徹底」性において、彼は極北にあった。
しかし、ローティにとっての「本質」とは、そういった彼の「態度」が、誰にも理解されなかった、というところにあったのだろう。例えば、ローティは、ニーチェに陶酔した。そして、ニーチェこそが、この「反カント運動」の出発点であった。また、ニーチェこそが、ハイデッガーヴィトゲンシュタインデリダ

  • 反哲学=散文的な「逃避」

の元祖と言っていい存在であった。ニーチェは、そのカント批判において、それを「ニヒリズム」と呼んだ。しかしそれは、もはや、何かを積極的に理論化する「意志」を欠いた態度のことを意味した。「ニヒリズム」とは、

  • 端的にカントを「否定」する

ということであって、もはや、そこには「カントが嫌い」と言い続けているだけの、駄々っ子と変わらない精神的態度に思われた。
例えば、ローティは、彼の「独断論的論証」についての評価の文脈において、

  • カントの「独断論的論証」はダメ

ということを論証する過程で、その代わりとして

という形で、スピノザや、ヘーゲルの「哲学」への、

  • アイロニカルな評価

を、さかんに言及するようになる。当たり前だが、スピノザヘーゲルが、ローティの「経験論」の立場から、直接的に評価できる哲学スタイルでないことは、明らかであるわけだが、

  • カントより「まし」

の一点において、まさに「援護射撃」的に評価をする。
ローティは、カントを認められないあまりに、一切の「理論」に反対する。彼が唯一、その価値を認められるのが

  • 文学

である。つまり、

  • 詩人

だ。もはや、ローティにとって、どんな理論も、それが理論である限り、「欺瞞」だ、ということになる。だったら、全ては「間違っている」。だとするなら、あと取りうる態度は一つしかない。

  • それが「間違っている」ことを「分かった」上で、あえてその「間違ったこと」をやり続ける(実践的に繰り返す)こと

だ、と。ローティは、私たちがそれが「理論」だと

  • 思う

からダメなんだ、と言う。つまり、これが「偽物」だと思いながら、そして、それを「自称」しながら、それを分かった上で

  • 何か

を「言い続ける」実践だけが、私たちに唯一残された態度なんだ、と言うわけである。よって、それは、もはや

  • 文学

という形でしか、表現できない。文学は、ただ「言葉を並べた」ものである。つまり、「これ」が、何かを意味してなければならない、ということはない。あくまでも、それを読む人が、そこに、なんらかの

  • 芸術的なインスピレーション

を感じるかどうか、だけが問われる。つまり、ローティは絶対に、

  • これ以上

を「要求」してはならない、と<倫理的>に要求しているわけである。
しかし、である。
こういった態度は、彼が「経験論者(厳密に言えば、ヒューム主義者)」の立場を貫いたことと避けては通れない関係にある。つまり、そもそもここで問われなければならないのは

  • 本当に「経験論」なんていう立場は「存在」するのか?

なのだ。

しかし、彼[カント]の認識論の企ては、これら[経験論=分析哲学的な]の特徴にはまったく依存していない。われわれの論議とは独立の、外在的(形而上学的)な意味における世界について、有意味に考えることができようとできまいと、われわれは以下のことについて思いをめぐらすことができる。対象概念の地位は、この論議の内部ではいかなるものか。われわれはこの概念をどのように使用するか。対象についてのわれわれの論議が正当な認識をもたらすという主張を、われわれはどのようにして理解できるか。
(ディーター・ヘンリッヒ「挑戦者か競争者か」)
超越論哲学と分析哲学―ドイツ哲学と英米哲学の対決と対話

私たちは物心がつく前から、いろいろなことを考えたり、その内容を他人と話したりしている。そして、そういった対話は、「なんらかの効果」と、「なんらかの結果」において、私たちは、「それなりの意味」があるものとして扱ってきた。
しかし、考えてみると、そもそも、そういったものが、それぞれ、なんらかの「経験論的(=帰納法的)」な形で獲得されたものではないことは自明だろう。そして、そのうちのどれがどっちなのかを聞かれても、思うように分けられない。
こういった問題を、オートポイエーシス理論は、

  • 内からの認識
  • 外からの認識

の「根源的」な差異という形で整理した。外から、第三者的に客観的に(経験論的に)外界が観察されているかと、その内側で、どういった

  • 活動

が続いているのかは、「まったく違った」性質のものである、ということを理解しなければならない。そして、それをカントは「アプリオリ」「超越論的」という言葉に代表させて整理した。つまり、「合理論」とは、なんだか分からないけど、私たちが昔から

  • 分かる

という形で、続けてきたこれが、それはそれなりに一定の「分かるが続く」という形で残っているのなら、その「合理性」を、ひとまずは認めましょう、という主張なのだ。
なんだか分からないけど、私たちが「分かる」と思うことが、常に経験論的に「説明」できるとは限らない。それは、私たちが産まれてから、なにかを「経験」した内容で説明できないかもしれない。つまり、産まれる前から私たちにビルトインされている何かなのかもしれない。または、この世界そのものが、そのようにできている「から」、そうなっているのかもしれない。つまり、こういった「合理性」は、たんに「経験論」という形では、うまく説明できない傾向があるのだ。
(この一番分かりやすい例が、「数学」なのかもしれない。私たちは、当たり前のように「一つ」という概念を使って生きている。しかし、なぜそれが「可能」なのかを、本当に「経験論」で説明できるのだろうか? というか、そもそも「経験論」とは、そういった知を「説明」するようなものなのだろうか?)

目下のところ、私にとって明らかだと思われるのは、<カントのプログラムは、概念と世界、図式と内容の区別を、ローティが攻撃しているような形で単純に前提しているわけではない>ということである。しかも私には、われわれの認識や論議とそれらの対象との区別をローティ氏が否定したがっているとは思えないのである。
(ディーター・ヘンリッヒ「挑戦者か競争者か」)
超越論哲学と分析哲学―ドイツ哲学と英米哲学の対決と対話

つまり、最も根源的な問題は、いくらローティが

  • 反<合理論>

を「語ろう」とも、本当にローティ自身が反<合理論>を

  • 実践できているのか

が怪しいわけである。いくらローティが「私は反<合理論>だ」と、何万回繰り返し語ろうとも、そう語ることが、彼が実際に反<合理論>を

  • できて

いるのかは、まったく「別」のことなのだ! 私たちがローティを「許せない」のは、こういった観点に対する彼の

  • 鈍感さ

であり、このナイーヴさが、まさにポストモダンという「言葉遊び」に対する私たちの

  • 不信感

を直截に意味している、ということが分かるだろう...。