全人類の滅亡

さて。全人類の滅亡は「いつ」起きるだろうか? こう言うと、まるで、「いつかは必ず」全人類が滅亡する、と言っているように聞こえるかもしれない。
しかし、ほとんどこれと同じことを言っている人は、特に、科学者には多い。その一つの分かりやすい例が、

  • 火山の爆発

だ。というか、少なくとも、「日本列島」はこれによって、何度も火の海になって、

  • 人間が住めない場所

になっている。ということは、なぜそれと同じことがもう一度起きないと思えようか。問題はそれが「いつ」なのか、なのである。1千年後か、1万年後か。はたまた、もっと先かもしれない。
つまり、ここで「なぜ私たちは平気な顔をして生きていられるのか」ということになるが、少なくとも、あと何十年かでそれが起きる「確率」は低い、と考えているのだ。
もしも、少なくとも私たちの寿命の間、または、孫、曾孫の間くらいまでは起きないんじゃないのか、と考えているなら、それは「はるか未来」に起きる、ということになる。だとするなら、それまでに人類は、なんらかの

  • 解決策

を見つければいい、ということになる。例えば、宇宙で生きる方法とか。
しかし、である。
これを逆に考える人もいるわけである。どうせ、人類は、いずれ滅びる。だったら、なんでここまでして「人権」を大事にしているんだ、と。つまり、

  • お年寄りは、どうせ生きたって、あと何年かで死ぬんだから、さっさと死んでもらって、そのためにかかったはずの費用を、若者の「今をエンジョイする」お金に回したらどうか?

というわけである。つまり、若者が「馬鹿騒ぎ」をするためのお金を

  • お年寄りを「殺した」お金で<どんちゃん騒ぎ>をする

というわけである。まあ、これに近い考えで、今世界中の「最先端」を走っている国とされているのが

  • オランダ

である。オランダの「尊厳死法」は、そもそも、肉体的な「苦痛」を理由にして承認されるものだけでなく、

  • 精神的な「苦痛」

でさえ理由として認められている。そして、今、法案として提出されているのが

  • なんの理由もなかったとしても、<死にたい>と意志している人に対しても「尊厳死」を認めるべきだ

というわけである。もしも人類が「いつか」は死んで滅びるなら、年寄は先に死ぬかどうかの違いしかない、というわけだろう。だったら、さっさと死にたいなら死ねばいい。つまり、これを国家が

  • 応援すべき

だ、というわけである。例えば、今回の新型コロナで、世界中から、さんざんな批判を浴びているのが、スウェーデンだ。流行の最初、彼らは「ノーガード戦法」ではないか、と疑われた。実際に、統計を見ると、お年寄りの死者数が、他の周辺国と比べて、圧倒的に多かった。
しかし、である。そもそもスウェーデンは、

  • 日本を圧倒するまでに「人権」が発達している国

として、特に、日本の「リベラル=人権派」の人たちから、礼賛されてきた国なわけだ。例えば、videonews.com で、日本がいかに「遅れた」人権国家であるかを、ボロ糞に、糞ミソに、罵倒し続けてきた、ジャーナリストの神保さんと、社会学者の宮台さんは、

VIDEO NEWS » 感染が拡大してもスウェーデンが独自のコロナ対策を貫ける理由

で、これ以上ないくらいに、スウェーデンを「礼賛」している。つまり、テグネルは「日が暮れるまで、マスコミの質問に答える」という理由で、だから、スウェーデンは日本より素晴しい国だ、というわけだ。
しかし、そもそもスウェーデンでは、テグネルが「決定」した、新型コロナ対策に、国民は反対できない、と言う。つまり、これはある種の「独裁」になっている。だから、あれだけの死者が出ても、国民はテグネルと戦えなかった、と考えることもできる。また、今、スウェーデンは多くの死者を反省して、多くのPCR検査をやっているわけだが、これも、テグネルは「批判的」だ、という話もある。つまり、テグネルに「逆らって」、国会が、PCR検査を増やした、というわけだろう。
この、videonews.com での神保さん、宮台さんの二人は、流行の最初から、一貫して、日本の新型コロナを

  • ただの風邪

だ、として、対策の「し過ぎ」として批判している。つまり、「ノーガード戦法」をやるべきだ、という立場だ。これは、ようすうに、

  • 集団免疫論

を、この流行の最初から、一貫して、主張している(おそらく、なんらかの、日本の「疫学者」たちの主張を鵜呑みにしたものなのだろう)。感染症は、ほとんどの人類が感染するか、ワクチンができるかしなければ、「流行」は終わらない。私たちにできることは、この流行の

  • ピークの山

を低くすること、つまり、医療機関がオーバーフローすることによって、十分な医療資源があれば、本来は救えたはずの患者の死をなくすことなんだ、と。
しかし、もしもこれが正しいなら、国家は、比較的に流行が抑えられている間に、

  • 医療資源の増大

を行なわなければならない、ということになるだろう(つまり、医者の育成から始まり全てについてだ)。しかし、そんなことはやっていない。つまり、この「集団免疫論」は嘘なのだ。そうではなく、「スウェーデン方式」、つまり、

  • どうせ、老い先短い高齢の年寄は、この機会を「これ幸い」と、大量に新型コロナで殺すことによって、日本の医療費の抑制を行い、日本の財政危機の解決に「貢献」できる

という

  • 民主主義的「選択」

の話をしているわけである。日本の財政危機は、悲惨だ。毎年、50%以上の赤字国債で、日本人は「未来の若者」に借金を負わせる代わりに、今の

  • 贅沢(ぜいたく)

をしている。だったら、これを「民主主義」的に「解決」しなければならない。この一番、簡単な方法が、この新型コロナの流行を使って

  • 日本の年寄を「一掃」

してしまえば、という考えなわけである。まあ、日本の「財政の危機」を解決するための、一番「安直」に思い付きそうな、解決策というわけだ。
しかし、そう考えれば、今、ネットを中心にして、政府のPCR政策を批判している人たちの「動機」も分かるわけであろう。検査さえやらなければ、

  • 年寄を「殺せる」

というわけだw なぜなら、検査をしない限り、その人が「新型コロナ」であることは決定しない。ということは、その人は

  • まだ「病気」と決まったわけではない

というわけだw 病気と決まっていない人に「治療」をしないからといって、誰も責められない。つまり、大量に<合法的>に

  • 年寄を「殺せる」

手段を国家は、とうとう、この新型コロナを機会にして、手に入れたのだ。
世界中の国家は、「競争」している。この競争に勝っているのが、オランダやスウェーデンといった国家だ。オランダは、大量の「自殺者」を「安楽死」させることによって

  • 国家が大量のお年寄りの「介護」をするお金を<節約>する

ことによって、国家の「成長力」を下支えしている(まあ、穿った見方だがw)。スウェーデンの今回の新型コロナ対策も、基本的にこれと同じ考えだ、と考えられるだろう。介護施設の、大量の高齢患者が、モルヒネで殺されたわけだが、国家の言い分は、

  • ある年齢を超えて、基礎疾患などの重病を複数かかった場合、そこから手厚い医療を施しても、そうしなかった場合と比べて、「統計的」に、そこからの平均寿命は「変わらない」

というわけである。つまり、これは

  • 科学

だ、というわけである。
これが、なぜ日本の、PCR検査抑制論者たちが、「なにかホンネを隠して語っているように聞こえる」理由なわけである。つまり、人前で、大きな声で「老人を殺すべきだ」とは言えない。でも、陰で、専門家同士の会話では、堂々と

と、仲間内では言っていて、この意見に賛成しない人たちを非国民扱いして、ボロクソに馬鹿にしている。そして、自分は愛国者だと、国家に気に入られようと、阿(おもね)っている、というわけである。
おそらく、全人類から喝采を浴びて現れる<世界の救世主>は「全人類の滅亡」を行うことによって、まさに「喝采を浴びながら」、人類は滅びていくことになるのだろう。つまり、

  • 殺すことは<救済>

だ、というわけである。私は、あなたが「かわいそう」だから、あなたを「殺す」んです。つまり、私は「正義」のために、あなたを「殺す」んです。あなたは私に「殺される」ことで、私に「感謝する」。こうして、

  • 不幸な人

が「どんどん死ぬ」ことによって、人類の「不幸」が

  • 減って

人類の、「幸せの総量」が増えることで、功利主義的に、人類の「幸せ」の総量が増える。この究極の形態が、

  • 全人類の<自殺>

だ。人類は、「人間の尊厳」を尊重するがゆえに、全人類の「自殺」を

  • 応援する=殺す

のだ。まあ、世界中の宗教教団で、集団自殺が何度も繰り返し起きている理由も、これと同じなのだろう...。