善と悪の相対性

今期放送の、アニメ「いわかける」の最新話の一つ前の回において、

  • 上原隼(うえはらじゅん)

は、大会で自分の前で次々と一撃を決める、主人公の笠原好(かさはらこのみ)に、自分が彼女に負ける、という事態がどうしても認められず、あせりを重ね、次第に身体が動かなくなる。大会が終わり、彼女はボルダリング部を休部して、自分を一人で見つめなおす決意をする。
そして、最新話で、上原隼(うえはらじゅん)が子ども向けのボルダリング教室の教師をやっていたところに、別の高校の

  • 内村茜(うちむらあかね)

が偶然、同じバイトの仕事を行う関係で彼女の前に現れる。
茜は、隼に、子どもたちを前にした、実技演習を求めるが、隼は壁に掴まったまま、一歩も動けない。茜はそこで、彼女が

  • スランプ

に陥っていることに気付く。
茜と隼の関係は子どもの頃から始まる。その頃から、才能を発揮して、ボルダリング教室でも、づぬけた才能を見せていた隼は、いつも、誰よりも最初に壁を登りきり、上から他の子どもたちを眺めていたわけだが、茜は、そんな隼を、いつも下から、うらやましげに眺めている多くの子どもたちの中の一人だった。
高校生になった茜は、「いじめっ子」になっていた。いつも、「新人」にさまざまな嫌がられを行い、新人潰しとも呼ばれていた。
彼女の目標は、隼だった。いつも、いつか、自分が隼を追い抜いて、彼女の上に立つことが夢だった。
そんな彼女にとって、今、目の前で一歩も上にあがれず、腕をプルプルさせて固まっている姿は、まさに、千載一遇のチャンスだった。今なら、彼女に勝てる。こんなチャンスは二度とないかもしれない。
しかし、である。
そんな隼を見ていた茜は、だんだんイライラし始めた。
「こんなの違う」
そう。彼女は「こんな」隼に勝ちたかったのではなかったのだ。彼女が勝ちたいのは、いつも、ボルダリングの壁のてっぺんに登って、上から下を見下ろしている、その、にくらしいまでの、生意気な彼女だった。
そう。茜にとって、隼はいつも「輝いていた」。だから、そんな隼に彼女は勝ちたかった。勝つことが意味のあることのように思えた。
自然に茜は、隼に向かって叫んでいる。「さっさと、いつものように、てっぺんまで登って、こっちを見下ろしやがれ!」
さて。茜(あかね)は「いじめっ子」である。もしもそういった「悪」が、彼女の本質なら、彼女は、たんに隼(じゅん)を、潰して、自己満足できただろう。しかし、そうできなかった。それは、茜(あかね)の

  • 幼少期

に関係している。なぜ、茜(あかね)は今、茜(あかね)なのか? それは、隼(じゅん)がいたからだ。いつも、隼(じゅん)を見ていた。だから、今、彼女はここに

  • 存在する

のだ! いつも、嫉妬をしながら、くやしい思いをしながら、下から見上げることしかできなかった彼女。しかし、それも彼女の立派な

  • 一部

なのだ。そのとき、なんとか隼(じゅん)に追い付き、彼女に並びたい、そう願った彼女は、決してその時の自分を嗤うことはできない。その瞬間も、かけがえのない、彼女の今を形成している、大切な一部だからこそ、どうしても今の彼女の、その時の見る影もない、自分を見失っている姿を認めたくなかったのだ...。