飯田隆「綜合的アプリオリから規約へ」

ネットで調べてたら見つけた1993年の論文。
例えば、リチャード・ローティは、分析哲学は、A・J・エイヤーの『言語・真理・論理』から始まった、と言っている。
それはつまり、クワインによる、論理実証主義への批判だ、と。ヴィーン学団。もっと言えば、カルナップ批判。つまり、彼による

ですよね。

論理実証主義のこうした位置づけは、この哲学的運動がドイツ語圏から英語圏に拡大するに当たって大きな力となった書物が、その冒頭に述べるところでもある。すなわち、エイヤーの『言語・真理・論理』第一版(一九三五年)の序文はつぎのように始まっている。

この書物で述べられる見解は、バートランド・ラッセルウィトゲンシュタインの説に由来するものであり、これら両者の説は、それ自体、バークレーとデヴィド・ヒュームの経験論の論理的帰結である。

この一文を現在読み直すとき、ひとはまず、ウィトゲンシュタインの説が「バークレーとデイド・ヒュームの経験論の帰結である」とされていることに、ある感慨を覚えるはずである。しかし、エイヤーのこの書物に描かれているような論理実証主義の主張が、バークレーとヒュームの経験論の論理的帰結であるとすることに、目くじらを立てる人はそれほど多いとは思われない。
このように論理実証主義を経験論の伝統に位置づけることが現在広く行われるようになったのには、エイヤー以上にクワインの影響によるところが大きい。

でも考えてみると、これ。明らかに変だよね。だって、論理実証主義って、

  • 新カント派

なんですからw

こうして論理実証主義の一次資料が整備された結果はっきりしてきたことは、当たり前と言えば当たり前であるが、論理実証主義者の多くは最初から論理実証主義者であったわけではないということである。とりわけ、シュリック(一八八二年生まれ)、ライヘンバッハ(一八九一年生まれ)、カルナップ(一八九一年生まれ)の初期の哲学的経歴が明らかになるにつれて、つぎのような事実は否定できないものとなってきた。つまり、後年論理実証主義の中心人物となるこれらの哲学者の、一九二〇年代はじめまでの問題関心は、まさに当時のドイツ語圏の哲学のそれと同じだという事実である。かれらはいずれも、十九世紀後半から明確な形を取ってきたカント復興の流れに属する哲学者として、その哲学的経歴を開始している。

完全な

  • 歴史捏造

だよねw つまり、分析哲学って、「起源」が

  • うさんくさい

んだよね...。なんか、彼らが「自明」だと言ってやっていることが、そういった歴史の改竄から始まっていることが、かなり根本的な、この業界の

  • いんちきくささ

に、深く関係しているよね。つまり、彼らは、かなり意図的に

  • カントという「起源」

を「隠して」、自分たちの主張を、あたかも「経験論」の延長で、その未開の地から始めたかのようなパフォーマンスを行った、ということなんだよね。むしろ、彼らが「うさんくさい」のは、意図してカントを

  • 読まない

という

  • パフォーマンス

の方にこそ、その「本質」がある、ということなんだと思う。そして、「経験論」が、カントを「盗用」していく、そのチンピラとしての所作に、その深刻な学問としての「誠実さ」が問われてきたんだと思うわけである...。
http://dep.chs.nihon-u.ac.jp/philosophy/faculty/iida/doc/KANT.pdf