アンフェアな東京オリンピック

東京の新型コロナの、PCR陽性者が3千8百人になり、国の基準で重症者は8百人となっている。そして、多くの入院できずに、自宅待機を強いられている人がいる。
こんな状況で、東京オリンピックが行われているわけだが、海外のマスコミからは、少し違った視点で、この、東京オリンピック

  • アンフェア

だ、という理由で批判が高まっている。
まず、大会が始まる前にさかんに言われていた「バブル方式」が、完全な

  • なんちゃって

であることが、完全に海外の選手や関係者の、「生命」「選手生命」をおびやかす事態になっている。
海外から招待された選手や関係者は、「オリンピック村」という

  • 第二のダイアモンド・プリンセス号

に閉じこめられ、完全な

  • 培養シャーレ

状態に置かれている。次々と、選手村の中では、感染者が現れ、感染の連鎖が起きているわけだが、悲惨なのは、PCR陽性者とされた選手や、濃厚接触者と判断された選手だ。なぜなら、そのために、試合に出場できなくなり、自国へのご帰宅となっているからだ。
彼らは、これまで、必死になって練習をしてきて、ここまで来て出場を拒否されるというのは、今まで、なにをやってきたのだろう、という気持なわけだ。
ところが、である。対して、日本人選手は、そもそも、「選手村」に入っていない。なぜなら、東京都出身なら、自宅から通えばいいからだ。いや、もちろん、そんな理由だけじゃない。

  • 選手村に閉じこめられたら、いつ感染してもおかしくない

からに決まっている。だから、アメリカの一部の競技の選手は、選手村に入らず、近くのホテルで過している、とされている。
ここまで来ると、いやな予感がしてくる。そう。ドーピングと同じ問題である。彼ら選手に、そもそも、真面目にPCR検査をやろうというモチベーションがあるだろうか? 大阪府の吉村が推奨したイソジンで、うがいをして、一時的に口の中から、ウイルスを除去してから、検査をすればいいし、もっと言えば、他人の唾にすりかえたって、分かりゃしない。
考えてもみろ。彼らの選手生命がかかっているわけだ。あれだけ、世界中でドーピングがなくならないのに、なんでそんな奴らが、PCR検査なんて、真面目に受けるか。
しかし、もしもそうであったとすれば、恐しいのは「選手村」である。この中は、濃密なウイルス感染者によって、ばらまかれている状態で、誰であっても、この中にいる限り、いつ感染してもおかしくない。
さて。もう一つ、さかんに言われている問題が、東京の暑さだ。NHKがニュースで、熱中症になるから、外で運動をしないでください、とアナウンスをした後に、オリンピックの話題をやっている「おかしさ」。
いつ死人が出てもおかしくないと言われているわけだが、ここでも日本人選手は有利だ。なぜなら、それなりに、この日本の夏の暑さは知っていて、その中で、トレーニングを行ってきているから(生まれてからずっと、この夏の暑さ対策をしてきたのだから)。対して、海外の人は、この日本の「異常」な湿気の高さを伴う暑さは、おそらく

  • 今まで生きてきて一番熱い

と感じたとしても、少しも不思議ではない、絶対に運動をしてはならない状態だ、というわけだ。
こうやって考えてきたとき、私には一つの疑問がある。それは、今の自民党政権は、

  • わざと、こういった「暑さ」「新型コロナの大流行」の中で大会を開こうとした

んじゃないのか、と。というのは、上記から分かるように、これだけ海外の選手が不利で、日本人選手が有利だと、必然的に

  • 日本人選手のメダルが増える

と考えられるからだ。そして、そうなればそうなるほど、国民の「自民党東京オリンピックを開催してくれて、ありがとう。反対した野党は、死ねばいいのに」という感情を増やし、次の衆議院選挙で有利になる、と考えるからだ。
ところが、である。
そう言っている間に、東京都は過去最高の、一日の感染者数(PCR陽性者数)になっているわけで、このまま重症者が増えて、救急患者がどこにも入院できない状態で、次々と人が自宅待機のまま死んでいったときに、それでも、アホな日本人はオリンピックなんて見ているのか、というわけだ。そんな場合じゃないだろ、と思うわけだが、なんのことはない。そもそも、今の東京オリンピックは上記から分かるように、

  • アンフェア

なんだから、今すぐに、競技を停止しなければならない。そして、上記の問題を解決した後で、残りの競技を行う、というようにしなければならない。そもそも、たかがスポーツなわけだし、優勝したって、どうでもいい、金メダルという、

  • ただの金属の塊

がもらえるだけなわけで、こんなことのために、多くの東京都民の命の危機に優先して、

  • スポーツという、どうでもいい、「ただの遊び」

をやっていること自体が、倫理的に間違っているわけである...。