エラー・カタストロフ

それにしても、今年の東京の夏の新型コロナも、ちょうどお盆くらいを境に、急激に減少していったわけで、まあ、これだけを見れば、去年と同じ挙動をしている、と言いたくなる。
これを「季節性」と言うのは簡単だし、確かになぜ、毎年の普通の風邪が、そういった急激な増加をした後に急激に下がるのかは、なかなか説明の難しい現象だ、と言えよう。
(もしも、ウイルス自体に例えば、「気温」などとの相関関係があるなら話は早いのだろうが、別にそんなことは見つかっていない。)
まず、これを「普通」に分析してみよう。そう考えると、まあ、誰でも考えるのが、

  • それを境にした頃に、人間の集団行動が変わっている

という仮説が成り立つ。ちょうど、夏の真っ盛りから、お盆を境に、生活が秋めいてくるわけで、その間で、人間集団の単位で、なんらかの人々の

  • 行動習慣

が変わっていることが大きいのではないか、というわけである(これは、冬の流行がちょうど、大晦日から正月をはさんで来ることとも関係していて、ここで人々の「接触機会」が増えているが、それが終われば、いつもの習慣に戻るという関係になっている)。
これに対して、東大の児玉龍彦先生が主張しているのが、Eigen が提唱した、遺伝子複製の「エラー・カタストロフ理論」だ。つまり、なんらかの変異が蓄積していくと、ある閾値を境にして、急激に「自壊」を始める、という考えだ。
つまり、そう簡単に遺伝子の変異が後世に残らないことの反証として語られるものであって、それなりに一定の理論的な裏付けがある、と言えなくもない。
ただ、京都大学の西浦先生は、この説明を採用していないようだ。西浦先生の考えは、

  • 人々の行動が、回りからの「情報」によって、自粛をしたり、それを止めたりを繰り返している

という部分を重要視している。患者が増えすぎて、入院できなくなると情報が増えたら、人々が「怖がって」、自粛を「始める」。そして、そういう情報が聞こえてこなくなったら、自粛を「止める」、と。
まあ、この一つの根拠は、インドの大流行で、収束するまでに7割が抗体をもつまでに至った、という話があるわけで(このとき、インドの)、そう考えると

  • なんにも「対策」をしないと、(かなり)どこまでも感染が広がる

とは言いたくなる、というわけだ。

インドのコロナ地獄を招いた張本人、モディ首相の「償われることのない」重罪(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

上記の記事を見ると、インドでのデルタ株の大流行は、モディ首相の「自業自得」なんじゃないのかとすら言いたくなる醜態なわけで、なかなか、こういった集団現象の統計的な考察は難しいわけだ...。