人を殺すとどうなるか?

(といっても、その通りのことをここで書きたいわけではない。そうではなく、今回の選挙のことを書きたいと思っている。)
まず、もしも菅総理が今も政権をもっていて、そのまま継続を賭けて、選挙を行っていたら、どういう議論が行われていただろうか?

当たり前だけど、ほとんど、この二つに議論は占められたであろう。果して、東京オリンピックをやってよかったのだろうか? やって良かった、と言うことは、相当にデリケートにならないと難しい雰囲気がある。まあ、当事者の選手の方々は「うっかり」パブリックな場で、そう言ってしまうだろうが。
その理由は当たり前で、東京ではオリンピックの間に、

  • 自宅放棄政策

が選択されたからだ。多くの患者が、新型コロナの症状がありながら、病院に入院できなかった。それを、国と東京都は

  • 自宅療養

と呼びやがった。もしもそれが「療養」なら、誰一人として死なないだろうw
そう考えたとき、「果して東京オリンピックはやらない方がよかったんじゃないのか」という疑問は当然のこととして現れてくる。もしもやらなかったら、多くの人は今も生きていたんじゃないのか?
そして、この疑問というか、「怒り」が爆発したのが、横浜市長選挙だった。菅元総理が、与党候補を「応援」と言うやいなや、その候補は急降下していった。みんな、

  • 菅元首相だけは、どうしても許せなかった

からだ。こいつに殺される。そう思ったら、なんとしても「菅が応援してる候補」だけは、選挙で落として地獄行きにしないと気が済まなかった。
こう考えてきたとき、もはや「決着」はついている、と言っていいんだと思っている。東京オリンピックはやるべきじゃなかった。早い話が、

  • 自宅放棄政策

をやらざるをえなくなった時点で、たとえどんな理由があったとしても、東京オリンピックを正当化できなくなった。もしも東京オリンピックが成功だと言いたいのなら、なにがなんでも、自宅放棄政策をやってはならなかった。しかし、そうできなかったのだから、何を言っても、もはや、東京オリンピックは正当化できないわけである。
この事実は、もっと直截に言うことができる。もしも、東京オリンピックを正当化できるなら、菅元首相は、再選を目指して、菅政権のまま選挙を行っていたであろう。そして、選挙の演説で

と、何度も何度も国民に訴えて、その「成果」を自慢しただろう。
しかし、それはできなかった。
そんな、KYなことは、さすがに恥かしくてできなかったのだ。
あのな。人殺しが何を言っているんだ、と。人を殺しておいて、かけっこや、玉蹴りが「楽しかった」のか? 馬鹿じゃないか。人の命をなんだと思っているんだ、と。
今回の選挙でも、もはや誰も、東京オリンピックの話をしていない。なぜなら、誰もが、これが「失敗」だったことを知っているからだ。失敗だったから、菅元首相は退陣したことを知っているからだ。だから、今さら誰もその話題をしない。そんな評価の決まっている話を今さらむしかえすほど、私たちは暇じゃないからだ...。